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  • どのようにキリストは再臨しますか?
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 2/1 43–44ページ

どのようにキリストは再臨しますか?

キリスト・イエスが良い人であつた事に就いては,疑いがありません。ですから,追随者達を欺くということはありませんし,また偽る事もありませんでした。キリストはまた賢明な,大いなる教師でした。ですから,キリストは直接には神の子ではなかつたが,しかしキリストは自分自身を欺いて神の子であると信じたなどとは想像出来ません。それで,キリストが神の子である事を否定する者は,板挟みの苦しい立場に直面します。若しも,神の子でないならば,キリストは自分自身を欺いた間抜けか,それとも香具師でした。聖書の真理には,そのような不合理はありません。聖書の真理は,事実と,理性と一致しています。

此の言,またはロゴスが地上に来て,人となつた時に,イエスは人間の身体に化身して一部は霊者,一部は人間になりませんでした。明白に,次のように述べられています。『それで,言は肉となつて,私達の間に住まわれた。』イエスは肉となりました。天使達が昔,少しの時の間だけしたように,イエスは,人間の肉の身体を身につけたのではありません。それですから,使徒パウロはこのように述べているのです。『神は,その子を遣わされた。その子は女より生まれた。』アダムのすべての子孫と同じように,イエスは人間の母から生まれました。他のすべての人と違つているのは,ただイエスの天の父であるヱホバ神が生命の精,または実質を与えたということです。若しもイエスが神であると共に人間であつたならば,イエスは肉体の疲労を知らなかつたことでしよう。また,『旅行をして疲れたので』或る井戸で休息を取ることも必要でなかつたでしよう。―ヨハネ 1:14; 4:6。ガラテヤ 4:4,新世。

イエスは,人間の母を持つていましたが,アダムの普通の子孫ではありませんでした。しかし,私達は逆な方に極端に行つて,イエスは,神と等しいなどと考えるべきではありません。イエスは,自分は神と等しくないということを,はつきり述べられました。『私自身では,一つの事をもする事が出来ない。』『父は私よりも,より大きい方である。』イエスは,彼は神であるなどとは全然主張しませんでした。イエスは,彼は『神の子』であると主張しても,冒瀆しているとは非難されないとはつきり話しました。―ヨハネ 5:30; 10:36; 14:28,新世。

ヱホバ神は,始まりを持つていません。(詩 90:2。エレミヤ 10:10)しかしイエスには始まりがあります。イエスは『すべての創造のうちで,最初に生まれた者』『神による創造の最初』です。イエスは,神と等しくあろうなどという野心を持つていませんでした。彼は自ら,謙遜な態度を取りました。そして,現在,非常に高められましたが,それでもイエスは彼の父に,永遠に服従します。―コリント前 15:28。ピリピ 2:5-9。コロサイ 1:15。黙示 3:14,新世。

復活以前でも,また復活以後でも,イエスは,再び戻るということを繰り返し話しました。イエスが天に昇天する時に,天使達は類似の証言をしました。そして,イエスの追随者達は,イエスの再臨に強い関心を持つて居ました。―マタイ 24:3。ヨハネ 14:2,3。使行 1:11。黙示 22:20。

しかし,どのようにイエスは来ますか? 目に見えますか,それとも目に見えませんか? 地上に来る以前に,イエスは栄光ある霊者でした。(ヨハネ 17:5)彼は栄光を捨てて,或る特別の目的のために,地上に来ました。すなわち,「神の真理に関して,人々に証しをするため」『多くの人のために,彼の魂(人間としての生命)を贖いとして,与えるため』そして『苦しみを受けた事から,従順を学ぶため』でした。(マタイ 20:28。ヨハネ 18:37。ヘブル 5:7,8,新世)イエスに就いての神のこれらの目的を達成しましたので,イエスはもう人間の身体でいる必要はありません。イエスは,肉に於いて殺されましたが,霊に於いて生かされました。天に昇天した時,イエスは天使達よりも,もつと上に高められました。そして,イエスの父の明白な像となりました。それですから,サウロ(後のパウロ)は,ダマスコへ行く途で,イエスの栄光を少し見るだけで盲目となつたのです。―使行 9:3-5。ヘブル 1:3,4。ペテロ前 3:18。

復活の後に,イエスは人間として現われましたが,それは真です。しかし,そのことは,追随者達に,イエスは,もはや死んでいないということを単に証明するためでした。此の目的のために,昔に天使達がしたように,イエスは人間の身体に形を現わされました。(シシ 13:9-21)その身体は,同じ身体である筈がありません。何故ならば,戸が閉まつていても,イエスは現われる事が出来ました。(ヨハネ 20:19)また,人々がイエスを認める事が出来なかつたのは,しばしばでした。マリヤは,イエスのことを園の番人と考えました。エマオへ行く途中で,二人の者は,イエスを見知らぬ人と考えました。また,漁業の仕事をしていた使徒達も彼を見知らぬ人と考えました。どの場合でも,人々はその外見ではイエスを認めませんでしたが,イエスのした事,話した事で,イエスを認めました。―ルカ 24:13-35。ヨハネ 20:11-14; 21:4-14を見なさい。

確かに黙示録 1章7節は『見よ,彼は雲と共に来る。そしてすべての目は彼を見るであろう。』と述べています。しかし,地上のすべての人間が,文字通りの身体を空中に見ることは,物理的にも不可能でありましよう。それに,イエスは,はつきりとこのように言いました。『しばらく経てば,世はもはや私を見ることはないであろう。』(ヨハネ 14:19)すべての人の目がイエスを見る唯一の方法は,明らかに心の目によります。そして,理解の目によつてイエスの臨在を見分けることです。此の見ることは,文字通りの意味ではないことは,丁度イエスが語つた盲目が文字通りの意味でないことと,同じです。―マタイ 15:14。エペソ 1:18。

しかし,キリストは,天に昇つたのと『同じような様子で,来る』と,天使達は語りませんでしたか?(使行 1:11)真です。しかし,天使達は,キリストは同じ形,同じ身体で来ると言わなかつた事に注意してください。世はキリストの行くのを見ませんでした。キリストは静かに,人の目に立たずに去りました。唯キリストの追随者達だけが,彼の行くのを知つていました。キリストは,このような様子で再び戻るでしよう。

ですから,キリストの再臨,彼の再臨は人間の形でもつて現われると考えるべきではありません。それでは,キリストはどのように再臨しますか? どんな意味で? 昔にヱホバ神が地に来られたのと同じ意味で,キリストは実際に再臨するでしよう。(創世 11:5。出埃 3:8)大いなるヱホバ神が,その王座を去られて,地に文字通りに来るなどと,私達は一瞬といえども考えるべきではありません。今では,キリスト・イエスは,彼の父の明白なる像でありますから,イエスがその再臨についての約束を成就するために,天の王座を去ることは必要であるなどと考えるべきではありません。ヱホバ神は,地を訪れたと言われていますが,それは,ヱホバ神が地の出来事に注意を向けられたからです。此の考え方を証明するのに,欽定訳とドーエイ訳では,ルカ伝 1章68節と使徒行伝 15章14節で,神はその民と国民を訪れたと書かれてありますが,アメリカ標準訳と新世訳では,神は,その民と国民に『注意を向けられた』と書かれてあります。そして,ノックスの翻訳によると,使徒行伝 15章14節はこうです。神は国民を『是認を以つて見られた。』

若しも,キリストの再臨が,人間の身体でもつて地上に再臨するのでないならば,何時キリストは到着し,何時彼は臨在するということが,どうして判りましようか? キリストの再臨を研究するこの続きの記事の次に,その質問に対して答えられます。

[44ページの囲み記事]

私の父の家には住居は多い。そうでないとすれば,私はあなた方に言つた筈である。―あなた方のために場所を備えに行く。私が行つてあなた方のために場所を備えるならば,また来て,私のもとにあなた方を迎え,私の居る所にあなた方が居られるようにしよう。ヨハネ 14:2,3,新世。

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