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目ざめよ! 1970
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神の崇拝には多くの費用がかかりますか

西ドイツでは毎年,新教徒4万人,カトリック教徒2万3,000人が教会を脱退しています。なぜですか。西ドイツの週刊グラフ誌である1968年8月6日号ステルン誌によれば,「多数の西ドイツ市民は教会税の支払いを避けるため教会を去っている」とのことです。「神の崇拝には費用がかかりすぎる」というのが同誌の結論です。

多くの人にとってこれは耳なれないことかもしれませんが,西ドイツ政府はルーテルおよびローマ・カトリック教会のために収税の仕事もしています。前述のステルン誌によれば,西ドイツ政府は,これら二つの教会組織のために毎年,40億マルク(3,600億円)の教会税を徴収しています。

普通程度の収入のある教会員に対する教会税の税率は収入の1.6%ですが,資産家の場合,税率は3.2%です。税金はたいていそうですが,教会税も累進課税方式で徴収されるので,資産家ほど高額の教会税を,しかも高率で支払わされます。それで西ドイツでは現在,ある高額納税者がこうした教会税の合法性をめぐって訴訟を起こしています。

いうまでもなく,教会側はこの訴訟事件を見守っています。教会税が教会の豊かな財源となってきたからです。事実,この教会税のおかげで教会の財政は空前の繁栄を誇っています。また,教会は教会税を用いてあらゆる様式の教会堂を建てることができました。しかしそうした多数の超近代的な教会堂は,信者を取り戻すよりも,観光客を引きつけているにすぎません。また教会は教会税として受け取る資金を用いて娯楽施設,病院,老人ホームその他の施設をも造っています。しかし教会の資金のこうした使途に難色を示す当局者もいます。こうした教会税と,西ドイツ近年の繁栄のゆえに,教会は1945年以来,それ以前の400年間に行なった以上の建築事業を成し遂げたとさえ言われています!

教会税は特に資産家にひどくこたえるため,多数の裕福な教会員は課税率の引き下げを要求しています。ある教会の責任者は,その教会の裕福な教会員の相当数が同様の要求をしたにもかかわらず,一貫してそうした要求を退けてきたと豪語しました。しかしこれは例外のようです。年収7万マルク(630万円)以上の場合,税率を引き下げて妥協するのが相場のようです。むろんこうした譲歩が行なわれても公にされることはありません。

西ドイツ各地の教会を正式に脱退した幾千人もの教会員の中には,教会員の中で最も富裕かつ有力な財政上の支持者や実業家も含まれています。ある世論調査によると,政府が教会税の徴収を廃止すれば,いま教会税を支払っている西ドイツ市民の5分の1は教会に対する財政的支持をやめるだろうとみられています。東ドイツの共産主義政府はこうした教会税を徴収していません。

西ドイツの一部の牧師はこうした金銭上の問題で大いに気を悪くしています。彼らは宗教改革者マルティン・ルターに従っているようです。前述のステルン誌は寄付をしぶる教区民をルターがきびしく叱ったことばを引用しています。ルターは教区民が態度を改めないかぎり,説教はしないとさえ警告し,その主張の正しさの裏づけとして,イエスが追随者に対し,豚に真珠を与えてはならないと語ったことばを取り上げました。―マタイ 7:6。

他の国々の多数の自称クリスチャンも,崇拝には費用がかかりすぎるという態度を示しているようです。1968年10月18日付,ニューヨーク・タイムズ紙は,アメリカの主要新教諸派の大多数が教会の寄付の減少のため財政困難に陥っていると報じました。一部の牧師が事態をいかに憂慮しているかは,一昨年の9月,アメリカ,ミズーリ州セデーリアのルーテル派の一牧師が教区民にあてた一部次のような手紙からもわかります。

「わたしは失望し,嫌悪し,うんざりさせられ,途方に暮れ,大いに憤りを感じています。そしてイエス・キリストに対するあなたがたの反応をいまいましく思っています。…教会員をみまわすとき……そこに一群のにせの教会員を見ます。…もしあなたがたがほんとうに教会を信じているのであれば,先日のように教会の役員会が1,000ドル(36万円)借りる必要はなかったのです。…わたしはあなたがたの聞き苦しい言いわけを耳にしています。それはなんとけちな話でしょう! 洗礼を受けた“信者”が300人もいるのですから,日曜日の礼拝には毎週少なくとも200人は出席すべきです。数週間前の礼拝には40人出席しました。なんとむなしいことではありませんか。…あなたがたはいったいなぜこの教会の信者になったのですか」。

前述のステルン誌によれば,崇拝には費用がかかりすぎるとありましたが,神の崇拝とはそういうものですか。そうではありません。費用がかかりすぎるのは,神を代表すると唱えながら,実際には神を誤って伝える宗教組織だけです。というのは一つには,クリスチャン会衆のために税金を徴収する仕事を世の政府に依頼するようなことは聖書のどこにも許されていないからです。そのうえ,寄付盆をまわすことについて述べたことばは,「新約聖書」すなわちクリスチャン・ギリシア語聖書のどこにも見あたりません。イエスはご自分の使徒を派遣したとき,使徒たちに対し明確にこう命じました。「価なしに受けたれば価なしに与へよ」― マタイ 10:8。

現代のエホバのクリスチャン証人は,神の崇拝がそれほど費用のかかるものではないことを実証しています。エホバの証人は使徒たちの実践したキリスト教につき従い,ぜいを尽くした教会堂を建てたり,給料で雇われる牧師階級を設けたりしませんでした。証人たちは最初から,寄付盆をまわすことをせず,むしろ,神のお目的の促進を図る寄付をしたいという自発的な願いを,人々の心の中に起こされるエホバ神により頼んだのです。

そうすることによってすばらしい結果を見ました。エホバ神は彼らの努力を確かに祝福されました。その成員の数は1928年から1948年までに4倍にふえ,また次の20年間,つまり1948年から1968年までにおよそ4倍に増加しました。このすべてを自発的に,喜んで,また熱心に成し遂げてきたのは,神の崇拝に費用がかかりすぎると考えるどころか,キリストのくびきは負いやすく,その荷は確かに軽いという事実を経験している人々です。―マタイ 11:28-30。

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