聞きとどけられた誠実な祈り
● デンマークに住む,救世軍の一兵卒は,誠実な祈りを捧げることによって真理を得ました。ところがそれにはしばらくの時間がかかりました。救世軍の兵士として献身した1942年当時,この人は神の導きを得たいとの誠実な祈りをささげました。「わたしは自分の献身を軽々しく考えませんでした。進むべき道を知るために祈り,聖書を読むことを勧める教えを真剣に受け入れました。わたしは正しい道を示してくださるよう神に祈りました。わたしが祈り終えるや,だれかが玄関の戸をたたきました。出てみるとひとりの少女が『ものみの塔』誌を紹介しました。わたしはそれを求めましたがまったく読みませんでした。救世軍にいても聖書を理解する助けにならないことがわかると,わたしはそれから離れ,まもなく家族とともにカナダへ移住しました。船の上でわたしは再度神に祈り,進むべき方向についての導きと,もし真の宗教があるなら,そこへ導いてくださいと神に求めました。カナダに着いたわたしたちは,家賃のあまり高くないアパートを捜してくれる人が必要でしたので,デンマーク人の司祭に電話をかけてみました。しかし番号をまちがえたらしく,電話でわたしがあなたは司祭ですかと尋ねたところ,相手の人は,『いいえ,司祭といっても少なくともあなたが考えておられるような司祭ではありません』,と答えました。親しみ深いその人は自分がエホバの証人であることを親切に説明しました。わたしが困っていることを話しましたら,彼は30分もたたないうちに車でやって来て,わたしたちの住まいとなる,すっかり設備の整った家へ案内してくれました。その夜彼は,かなりの食料と『ものみの塔』誌数冊,それに1冊の本を持って来ました。神がわたしの祈りにこたえて,そうした人たちをつかわしてくださったことを確信していましたが,まもなくわたしは他の場所へ移り,その人との音信もとだえました」。
その後デンマークにもどったこの人は,友人を訪問した時「ものみの塔」誌を目にしました。その友人はしばらくエホバの証人と勉強して,学んだ事柄が真理であると確信していましたが,それに従って生活することはできないと感じていたのでした。友人の話に深く心を動かされた彼は,神が真理に導いてくださるよう3度祈りをささげました。彼はこう語っています。「ちょうどその晩,ふたりの伝道者がわたしの家を訪れ,聖書研究が始まりました。今度こそわたしは真理を見いだしました。そしてただひとつの願いは,エホバ神がこの『終わりの時』に,この地でなされる神のみわざにわたしを用いてくださることです」。
― エホバの証人の1970年度年鑑から