恐れる理由はない
◆ 反対を恐れる理由はなにもありません。次のような結果の得られることがよくあるからです。ポルトガルでのこと,関心のある一婦人が自宅でエホバの証人とともに聖書研究をしていたところ,警官がやってきて,その建物に住むある借家人から,その婦人のへやでエホバの証人の集会が開かれているとの電話連絡があった旨,述べました。しかし警官が見たのは,集会ではなく,ふたりの女性が聖書研究をしているところでした。ふたりは警察に連行され,エホバの証人とともに集まってはならない,と申し渡されました。後に,関心のあるその婦人が結社を禁じられた宗教団体と関係して聖書研究をしている,という非難の手紙が,そのアパートの所有者に送られました。その婦人の夫は聖書研究をしていませんでしたが,エホバの証人がこのように非難されていることに不審をいだき,エホバの証人のどこがそんなに悪いのかを調べてみることにしました。そして,妻の聖書研究に参加した夫は,以前,疑問に思っていた多くの問題の答えが得られることに気づいたのです。うれしいことに,そのふたりは今では,定期的にエホバの証人の会衆の集会に出席しています。
― エホバの証人の1970年度年鑑より