パキスタンで公園の設計をしている日本人
● パキスタンで公園の設計に従事しているある日本人とその妻は,戸別の伝道奉仕をしていたエホバの証人に会いました。夫の英語の理解力が増すにつれて,家庭聖書研究は2か国語で行なわれました。妻は日本語で答え,夫がそれを英語に通訳するのです。ふたりはもともと仏教を信奉していましたが,急速に変化し,仏教の本をすべて焼きました。そして新らたに得た信仰について親族全員に手紙で知らせ,友人や仕事仲間にも証言しはじめました。それは反対を招きました。特に職場では,人々がいっしょになって,その人が配った小冊子と「ものみの塔」誌を焼きました。その間ふたりが出席したのは主の記念式と特別な公開講演だけでした。エホバの証人はふたりと「ものみの塔」誌の1970年6月1日号に掲載された,「あなたはご自分の学んだ事柄に関して何をしておられますか」と題する記事を討議しました。するとそのすぐあと,ふたりは地元で開かれた巡回大会に出席し,それ以来日曜日の集会に毎週出席しています。夫は話されている事柄の60%ぐらい,また妻はわずか5%しか理解できないにもかかわらず出席しているのです。夫は現在,戸別の伝道奉仕に携わっており,ハルマゲドン後にもっと大きな公園を設計することを楽しみにしています。
― エホバの証人の1971年度年鑑より