境遇を最大限に生かしなさい
自分の生活はこのうえなく理想的な生活だ,と考える人が今の時代にいるでしょうか。おそらくいないことでしょう。わたしたちはみな,なんらかの困難や厄介事をがまんしなければなりません。しかし,現在のような不完全な状態のもとにあっても,自分の置かれている境遇を最大限に生かす努力をするのはどうでしょう。そうするなら,多くの祝福があるにちがいありません。
あなたは大家族をかかえた家庭の主婦ですか。時々不愉快な気持ちになったり,うんざりしたり,少しばかり欲求不満を感じたりすることがありますか。汚れた皿は積み上げられ,洗濯物は大きなかごにいっぱい,そうじの必要なへやもいくつかあるかもしれません。でも,物事を積極的に見るのはどうでしょう。こうしたことはまさに,家族が十分の衣食と,雨つゆをしのぐ場所をもっているということではありませんか。あなたのような場合と,空腹をかかえ,着るものも家もない何百万もの人々の場合と,どちらがよいでしょうか。
あるいはあなたは,切りつめた生活をしなければならない状態に置かれているかもしれません。その場合,これは問題をうまく処理する自分の創意への挑戦である,と見るのはどうでしょう。晩年に裕福な生活を送ったある主婦の話ですが,その人にとって一番楽しかったのは不況下の困難な時代だったということです。借金をしないで暮らして行くために,すべての物を最大限に生かして使うことに喜びがあったのです。それに,現代の悪い病気の非常に多くは,豊かな暮らしとかなり深い関係があることをご存じでしょうか。
それともあなたは,65歳かそれ以上の年齢に達した,強制退職の犠牲者ですか。今は毎日がやたらに長く,精神状態ばかりか健康までへんになりそうに感じられますか。そういう場合には,積極的な見方をして,ほかの人の助けになることを考えるのはどうでしょう。老人と身体障害者の扱いにかんするあるテキストは,「老爺は料理をしてくれる者がいなければ餓死し,老女は料理をしてあげる者がいなければ餓死する,という伝説がある。これは一般に受け入れられている明白な真理である」と述べています。ですから,あなたの援助から益を得られる人はたくさんいるのです。
また,今は長老株の市民なのですから,二,三の趣味をもって生活を楽しむ時かもしれません。写真技術,なにかの楽器の演奏,または外国語を習うこともできます。また,盆栽作りやアフリカスミレの栽培など,園芸もおもしろいかもしれません。あるいはあなたの気性は,木や皮,金属などを材料にしていろいろな物を作ること,または詩や記事を書くこと,などに向いているかもしれません。こうした趣味が,初老の人々の生活を楽しくするばかりでなく,収入源ともなっている場合が少なくないのです。
あるいはあなたは,一家の働き手で,目下失業中かもしれません。そういう状態にいるのは確かに苦しいことです。しかしこの場合でさえ,消極的な考えに負けて,にがにがしい気持ちを抱いたり,不気げんになったりすることでは事態は改善されません。賢明な道をとってください。自分が得ている祝福を考えて感謝しましょう。ある程度健康で体力があるなら,それを感謝することができます。愛する者たちがいれば,それも感謝する理由になります。愛する者たちは,はかりしれない価値の宝ではありませんか。失業保険,社会保障,貯蓄,または他の形の補助がありますか。もしあれば,そのことにも感謝しましょう。
自分が置かれている境遇を最大限に生かすことを学んでください。仕事を探す時間にもおのずと限りがあります。しかし,職についていたときには,家のまわりに,しなければならないことがたくさんあっても,時間がなくてできなかったのではないでしょうか。今はその時間があります。それをすることに関心をもつのはどうですか。
また失業しているために読書の時間が,しかも興味本位のものばかりでなく教育的な本を読むための時間も,今はたくさんあるでしょう。またよりよい職業を得るのに役だつ何かの技術を習得することもできるかもしれません。
それともあなたは身体に障害のある人ですか。ではカリフォルニアに住む,7人の子どもをもつある父親から教訓を得てください。その人は手足が完全にまひする病気にかかり,四肢まひ患者になってしまいました。そういう状態になってから13年たちますが,たいへん明るく,楽観的で,外向的です。頭と声のほかは何も使えないので通信クラブにはいり,テープ録音という方法で世界中の人々と文通しています。テープは子どもが替えます。その人の経験は,『足のない人を見て,自分にくつがないことをこぼすのをやめた』という古いことわざを思い出させます。
エホバの献身したクリスチャン証人たちはとりわけ,置かれた境遇を最大限に生かすことを学びました。物質的な事柄を慎重に考えることに加え,余分な時間さえあればそれを奉仕の促進に用います。彼らは個人的に聖書の勉強や研究を行ない,また神の王国のよいたよりを伝えることや,聖書と義を愛する人々を弟子とすることに時間をささげます。―マタイ 24:14; 28:19,20。
エホバの証人は容易には落胆しません。その一例はプエルトリコに住む,ある献身したクリスチャンの婦人です。その婦人の夫は未信者です。多くの主婦の例にもれずその婦人も家を整え,夫の食事を準備します。そしてそのかたわら毎日数時間,神の王国のよいたよりを他の人々に伝えます。そして完全に盲目であるにもかかわらず,このすべてを喜んで行ないます。彼女は盲導犬の助けを借りていろんな場所に行きます。
献身したこれらのクリスチャンたちが,物事を最大限に活用するうえでとくに助けになっているのは,彼らが,心と魂と思いと力とをつくして神を愛し,また自分自身を愛するように隣人を愛することです。まず神の王国と神の義を求めよ,という神のことばを彼らは守り,敬虔と満足が大きな利得であること,また受けるよりも与えるほうがもっとさいわいであることを知りました。もしあなたが,自分の置かれている境遇を最大限に生かしたいと思われるなら,エホバの証人は喜んでご援助いたします。―マルコ 12:30,31。マタイ 6:33。テモテ前 6:6。使行 20:35。