先生と学友との家庭聖書研究を司会している高校生のすぐれた経験
わたしは今四つの家庭聖書研究を司会しています。そのうちの二つはわたしと同じ学校の同学年のかたとの研究であり,もう一つは同じ学校の先生との研究です。他の一つは野外の戸別伝道で得られたもので,大学4年生のかたとの研究です。
そのうちの二つは特に喜びの多い研究で,これからお話ししたいと思います。ある日,わたしは歴史の授業を聞いていました。その日はキリスト教の事に関する授業でしたので,もちろんわたしは注意しながら講義を聞いていました。
特に目だった点として,その歴史の先生は普通の授業をなさる時よりも詳しい説明をされました。あまりにも説明が詳しいので,ひょっとしたらクリスチャンなのかなと思いましたが,何となく口調が疑問や非難を含むようなものだったので,やはり違うのかなとも思いました。でも,とにかくわたしはその先生にぜひ聖書からの証言をしたいと思わずにはいられませんでした。
それから数日後,わたしは授業が終わってから学校の近くの住宅を伝道しました。その時に,ほんとうに偶然にわたしはその歴史の先生のお宅を訪問することができたのです。
わたしが訪問した理由を話すと,先生と奥さんは気持ちよくへやの中へ通してくださいました。あいにくお客さんが来ていましたので,最初に先生とふたりで話をしました。わたしが聖書を開いて話を進めて行くに従って先生は興味を持ちはじめましたその先生と奥さんは毎週教会に通うクリスチャンだったのです。人間の死の状態,またキリストは神ではないという事について話すと,先生の驚きは最高潮になり,奥さんを呼んで,「話を聞かせてもらいなさい。牧師さんよりこわい」と言いながら出て行かれ,今度は奥さんと話すことになりました。奥さんも同じ結果でした。少しの時間が過ぎ,先生はお客さんを帰し,3人で話ができるようになりました。
最後にわたしは今まで引用した聖句はこの真理という本から取ったと説明し,その後の聖書研究を取り決めました。次の研究日はその翌日でした。この日もやはり喜びに満ちた研究ができ,わたしのほほは喜びでひきつっていたほどです。
わたしが冬休みで家に帰らなければならなかったので,少し研究がぬけましたが,その後は毎週定期的に研究することができました。ある時3年生のかたから,その先生が授業中にハルマゲドンの事について話していたというのを聞くこともできました。
また先生はこんな事を話してくださいました。それは研究が4回目ぐらいの時です。
「わたしは友人との話が好きで,よく友人が家に来て話をして行きます。しかしその友人たちがわたしにあたえてくれたものは何もありませんでした。(この友人の中には牧師のかたも含まれているようです。)ところが生徒である君からこんなに良い事を知らされるなんて,これはきっと神の導きであるに違いないと,さっき妻といっしょに話をしていたんです」。このことばを聞いた時のわたしは雲にでも乗っているようで,エホバに感謝せずにはいられませんでした。
先日の研究の時にちょっとした問題が起きました。研究の日の前日,奥さんが子どもを連れて実家に帰ってしまったのです。その理由は夫婦げんかでした。でも,研究が始まる直前に奥さんが子供たちを連れて帰って来て,無事にご夫婦で研究を始めることができました。奥さんの表現によると,その時は冷戦状態だったそうです。その話を聞かされたわたしは,予定の章を終えると,「幸福な家庭生活を築く」と題する20章を少しだけ研究することを提案し,先生と奥さんに1節ずつ交互に注解して読んでいただきました。時間のために章の半分までしか進みませんでしたが,おふたりにとって耳の痛い所が出てきたにもかかわらず,冷戦状態は各節を進むごとにしだいになくなってゆき研究を終えた時にはいつものように喜びがあふれていました。今もそのご夫婦は熱心に研究をしておられます。
もうひとりの進歩的なかたは,真理を知る以前,自分の生活をなんとか改善したいと常に考えていました。つまり生活が悪かったのです。それでその人は本屋でクリスチャン・ギリシア語聖書を求め,それを熟読し,マタイ伝 6章の祈りの部分を見つけ,その祈りとともに,自分の生活が改善されるよう,そして真理を知りたいと祈り求めていました。ちょうどその時,わたしはその学友を巡回のしもべの講演会にさそうことができ,それが機会となって研究がはじまりました。
そうした経験を持っておられたので,そのかたはめざましい進歩をしました。そして学校の中でよく証言されるようになりました。ほどなくして全部の集会に出席されるようになり,テストの期間中もよく努力され,欠席することなく乗りきることができました。よく個人勉強をされ,学校が終わってから夜寝るまで,ある時には1時,2時までそのかたのスタンドの光は消えませんでした。たいせつな部分は適当な紙に書いて記憶にとどめるという勉強の方法を取っています。冬休みの期間中帰省しても家の近くの会衆と交わり,学校で大きな喜びとともに再会できました。しかしその喜びもつかの間,その方は重要な決定を迫られることになりました。わたしたちの学校では体育の中に柔道と剣道が単位に含まれていたためです。わたしの場合は剣道でしたが,剣道の先生が理解あるかたで,見学することによって単位が取れるようになりました。しかしもちろん,前学期の点数は落第ぎりぎりの50点でした。ペーパーテストの時はいつもテスト用紙に証言だけを書いて提出しています。ところが,その研究生は柔道の方です。先生がかなりむずかしいかたのようですが,聖書からの良い証言をして,今その問題を克服している最中です。また,わたしとともに巡回大会のすべてのプログラムを楽しむことができ,2月か3月にはもう伝道者になるという良い計画とともに聖書の勉強に努力されています。言い忘れましたが,もちろんそのかたの祈りは聞かれ,生活は全く改善されました。
わたしたちはふたりとも学校の寮にいますので,いつも行動を共にすることができます。毎朝早めに登校し,だれもいない音楽室で日々の聖句と聖書朗読を楽しんでいます。
個々の研究からわたし自身も多種多様な事柄を学べ,自分自身の大きな霊的食物になっています。このような喜びと光にあふれた生活にエホバが導いてくださったことに,このうえない感謝の念を強めることができました。そしてこれからもほんとうにわずかしか残されていない期間をエホバの栄光のために費やしたいと心から願っています。―エホバの証人の巡回大会で語られた経験。