真理によって急速に神の組織に導かれた青年
私はエホバの証人の全時間奉仕者ですが,10月なかばのある土曜日,聖書の伝道をしていた時に,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を求めてくださった若い男の方がいました。
翌週の金曜日の夕方に再び訪問したところ,その方はまさしく“羊のような”方でした。「既成の学校制度,エスカレーター式の教育の仕方に大いに疑問を感じ,高校を中退して神父になって同じような人を助けたいと思いましたが,聖書はひとりではなかなか理解できないものですね」と言われた時の私の驚きと喜びとをどうぞご想像ください。
その次の日曜日から5つの集会を現在に至るまで休まれたことのないその方と,週2回合計5時間におよぶ聖書の討論をさっそくはじめました。かわいた砂が水を吸いこむように,その方はものみの塔協会の出版物や聖書をよく研究し,勉強なさいました。
その翌週は巡回訪問で,さらにその次の週は巡回大会でした。1971年10月29日から31日にわたる東京・墨田区での巡回大会の開催をその方が知ったのはわずか10日前でしたが,宿舎部門の奉仕者のご厚意により全日出席できました。その方は大会2日目まで当世流行のロングヘアーでした。けれども3日目に自発奉仕がしたいとおっしゃった時,係りの奉仕者から「長髪はふさわしくないでしょう」との親切な助言を受け,「どうしたらいいでしょうか」とお尋ねになりました。「切れば自発奉仕はできますし,野外での伝道も長髪だとできないんですよ」と私が言いましたら,その日のお昼休みのうちにさっぱりと短くしてしまわれ,午後からは自発奉仕さえ楽しまれました。私がお会いしてからなんと2週間ほどで,その方は行ないを変化させたのです。
10月31日に「とこしえの命に導く真理」と題する,ものみの塔協会の本の第1章の研究が始まり,その本だけでなく,「ものみの塔」誌まで,参照されているすべての聖句を調べるという徹底的な予習のもとに熱のこもった研究が続きました。前述の「真理」の本の章がすすむにつれ,その方の本箱からは哲学の本がなくなり,高価なクリスマスソングのL・Pレコードが姿を消し,かわりに聖書文書が多くを占めるようになりました。あんなに望んでいた神父の職も,それが偽りの宗教の世界帝国である“大いなるバビロン”の中心であることを知るとすぐ考えを改め,その望みを捨てました。大会や「ものみの塔」誌を通して,また,クリスチャン兄弟姉妹の経験談により,全時間の開拓者として伝道をすることこそ最大の特権であり,喜びのある生活をもたらすものであることを知ったので,12月末にはご両親や先生に証言し,開拓奉仕という自分の目標を定め,その目標も段階を追って着実に達成する計画をたてられました。
まず最初にはじめたのは伝道でした。1月22日土曜日のはじめての奉仕では,いっしょに6時間野外で「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌を配布するわざを楽しみました。この意欲はさらに増し加わり,その後もほとんど毎日奉仕に参加され,2月末からは週3日のパートタイムの仕事を始め,平衡の取れた奉仕にいどみはじめました。2月には家庭聖書研究を司会することさえでき,88時間を費やして80冊の雑誌を配布し,雑誌の予約購読を4件取り決めるというすばらしい奉仕をなさいました。積極的で提案をすぐ受け入れるその方の証言に私達も励まされています。
その方のもう1つの大きな変化はすばらしいものです。4月7日から9日にかけて鹿沼で開かれた大会でバプテスマを受け,クリスチャンとなられました。
思えばその方は,「とこしえの命に導く真理」の本を2か日半で勉強し終えて伝道者となり,その後2か月半で「神が偽ることのできない事柄」と「神の自由の子となってうける永遠の生命」の本を終え,バプテスマを受けられました。このような聖書研究生と勉強したのは私もこれが初めてで,励まされたり,反省させられたり,悩みや喜びをともにしたりしました。すべてが順調だったわけではありませんが,いつもエホバ神からの保護と導きを感じつつ,サタンの妨害に打ち勝ってこられたことをとてもうれしく思っています。エホバは確かに私達の心からの祈りを聞いてくださる方です。どんな時でもすべてをエホバにゆだねてさえいれば,エホバはかならず何らかの方法で教えてくださるのです。特にエホバの組織を通してたくさんの提案や励ましをいただき,私は今それらすべてに感謝しております。
集会,エホバ神の設けてくださったすばらしい霊の宴に,すべての研究生また関心のある方々をなるべく早い時期に招待し,愛のある組織の中で私たちが今得ている平安と満足と多くの恵みとをそれらの方も受けられるように懸命に努力しつづけることは,ほんとうにたいせつなことです。―エホバの証人の巡回大会で語られた経験