1冊の本が3人兄妹を聖書の真理に導いた経験
私たち3人の兄妹は次のようないきさつで聖書の真理を知りました。私のすぐ上の兄(3番目の兄)が友人の家で「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」という本を見て興味を持ち,同じ仕事をしていた別の友人にその「進化」の本を見せたところ,その人も興味を持ちました。兄たちは医師として病院に勤めていたので経済的にも恵まれており,「進化」の本と,「神が偽ることのできない事柄」と題する本を他の人々にも配るため,ものみの塔協会の東京支部から30冊ずつ取り寄せました。その時私も兄からその本をもらって読み,それが進化論に対して聖書の創造説をわかりやすく実証している事に興味を持ちました。
私は,聖書といえばイエス・キリストしか知らなかったのですが,兄からもらった「とこしえの命に導く真理」という本もひとりで読んでいくうちに,聖書の神がエホバというお名前を持っておられることを知りました。その「真理」の本の最後のページに「神が偽ることのできない事柄」が紹介されていたので,その本も兄からもらって読みました。しかし,理解しにくいまま途中でやめてしまいました。
その後ある日,三番目の兄は歯科医院の待合室でそこに置いてあった「ものみの塔」誌を読み,聖書研究の大会があることを知りました。それに参加したいと思った兄はものみの塔協会の東京支部に手紙を書いたところ,徳島のエホバの証人の会衆の住所を紹介されました。
兄はさっそく日曜日にその紹介された会館を訪れ,集会の終わりに念願の宿舎申込書をいただきました。その時エホバの証人から無償の家庭聖書研究のあることを聞き,それを取り決めていただきました。
こうして,そのエホバの証人が訪れた時には,下宿の管理人と他の下宿人2名,2番目の兄,3番目の兄,私の合計6人がいっしょに「真理」の本で聖書の研究を始めました。そして1970年夏のエホバの証人の佐世保地域大会に初めて,3番目の兄と兄の友人と私との3人で出席しました。
講演の内容はあまりよくわかりませんでしたが,古代の民族衣装を着て演じられた,聖書のエステル書を扱った劇は興味深く観覧できました。大会には全国から多くの人々が出席していましたが,柔和な人々で,すがすがしい気分を味わって帰りました。そして,聖書にしるされているとおりに生活ができれば,それはどんなにか平安な生活になることだろうかと考えると,心の高ぶりを押えることができませんでした。
真理を学ぶにつれ,いっしょに学んでいた人たちのうち3人はやめましたが,わたしたち兄妹の3人は続けました。
当時,私は婚約中でしたが,「真理」の本の20章「幸福な家庭生活を築く」を読み,また研究した時,私の考えは変わり,よく考えたすえ,同意の上で婚約を解消しました。両親は私の結婚のためにいろいろ準備をしていたのでたいへん反対し,『聖書のことをやめないかぎり,父のこの下宿には住まわせない』と言いました。しかし,私と兄たちはいっこうやめようとしなかったので,私から兄たちを引き離せばやめるだろうと思い,兄たちを下宿から追い出しました。
私は夕食を兄たちとともにするため下宿での食事をやめて毎日兄の所へ行き,いっしょに食事を取り,集会や伝道の時にはいつもいっしょに励ましあいました。
3番目の兄は1971年6月のエホバの証人の巡回大会で,私は同年8月の地域大会でバプテスマを受け,ともに6か月間,休暇を利用して行なう開拓奉仕をしました。そして,それぞれ1972年1月と3月から1か月間に100時間を伝道に費やす正規開拓奉仕に喜んで携わっています。
3番目の兄の友人は,エホバの証人との家庭聖書研究をし,現在2番目の兄とともにエホバの証人の伝道者として奉仕しています。
このように私たちは1冊の「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」の本からエホバ神のあわれみある祝福を受け,4人が神の奉仕者になりました。そして,反対していた親族のうちのひとりと,歯科医院の奥さんが3番目の兄と家庭聖書研究を始めました。―エホバの証人の巡回大会で語られた経験。