『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』
「マタイによる書」の内容
11 (イ)論理的な手順として,この福音書はどんな記述で始まっていますか。初期のどんなできごとが語られていますか。(ロ)マタイがわたしたちの注意を引いている預言の成就としてどんな例がありますか。
11 イエスと「天の王国」のたよりの紹介(マタイ 1:1–4:25)。論理的な手順として,マタイはまずイエスの系図から始めます。こうしてユダヤ人の読者の注意は,イエスがアブラハムとダビデの相続者として法的な権利を持つ者であるという点に引き寄せられます。ついで,イエスが奇跡的にはらまれたこと,そのベツレヘムにおける誕生,占星術者たちの訪問,怒りたったヘロデがベツレヘムの二歳以下の男児すべてを殺害したこと,ヨセフとマリアが幼子を連れてエジプトに逃げたこと,そののち戻って来てナザレに住んだことなどに関する記述が続きます。マタイは,イエスが予告されたメシアであることを立証するため,読者の注意を預言の成就に向けることに気を配ります。―マタイ 1:23 ― イザヤ 7:14。マタイ 2:1-6 ― ミカ 5:2。マタイ 2:13-18 ― ホセア 11:1およびエレミヤ 31:15。マタイ 2:23 ― イザヤ 11:1,新世界訳(英文)1958年版脚注。
12 イエスのバプテスマの時,またその直後にどんなことが起きますか。
12 マタイの記述はその後30年近くを跳び越えます。バプテストのヨハネがユダヤの荒野で伝道し,「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」と宣べ伝えています。(3:2)そして,悔い改めたユダヤ人にヨルダン川でバプテスマを施し,パリサイ人とサドカイ人に対しては,きたるべき憤りについて警告しています。そこへイエスがガリラヤから来てバプテスマを受けます。直ちに神の霊が彼の上にくだり,天からの声がこう言います。「これはわたしの子,わたしの愛する者であり,この者をわたしは是認した」。(3:17)ついでイエスは荒野に導かれ,そこで四十日のあいだ断食をしたのち,悪魔サタンの誘惑を受けます。イエスは神のみことばから引用して三たびサタンを退け,最後にこう言います。「サタンよ,離れ去れ!『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,彼だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあるのです」― 4:10。
13 ガリラヤにおいて,人をはっとさせるようなどんな運動が今や始まりますか。
13 「あなたがたは悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」。こうした,はっとさせるようなことばが,油そそがれたイエスにより,ガリラヤ地方でふれ告げられるようになります。イエスは漁をしていた四人の人を召し,イエスに従って「人をすなどる者」とし,彼らを連れて「ガリラヤの全土をあまねく巡り,諸会堂で教え,王国の良いたよりを宣べ伝え,民の間のあらゆる疾患とあらゆる病を治され」ます。―4:17,19,23。
14 山上の垂訓の中でイエスはどんな幸福について話されますか。また,義についてはなんと言われますか。
14 山上の垂訓(5:1–7:29)。群衆があとに従いはじめた時,イエスは山に登ってゆき,腰をおろして弟子たちを教えはじめます。イエスはこの感動的な話を九つの「幸福」から始めます。つまり,自分の霊的な必要を自覚している人たち,嘆き悲しむ人たち,柔和な人たち,義に飢え渇いている人たち,あわれみ深い人たち,心の純粋な人たち,平和を求める人たち,義のために迫害される人たち,そして,非難され偽りのことばで悪く言われる人たちは幸福です。「喜び,かつ喜び踊りなさい。天においてあなたがたの報いは大きいからです」。イエスは弟子たちを「地の塩」また「世の光」と呼び,天の王国に入るために求められる義が書士やパリサイ人の形式主義とはかけ離れたものであることを説明されます。「あなたがたは,あなたがたの天の父が完全であられるように完全でなければなりません」。―5:12-14,48。
15 イエスは祈りと王国についてはどんなことを言われますか。
15 イエスは偽善的な施しと祈りを戒めます。また,父のみ名の神聖にされること,神の王国の到来すること,そして自分たちの日ごとの食物を祈り求めるようにと弟子たちに教えます。山上の垂訓全体を通して,イエスは神の王国を前面に掲げます。そして,ご自分に従う者たちが物質上の富に関して思い煩ったり,ただそのために働いたりすることのないよう警告します。天の父は彼らがほんとうに何を必要としているかを知っておられるからです。それでイエスは言います,「王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなたがたに加えられるのです」― 6:33。
16 (イ)イエスは他の人との関係についてどんな助言を与えますか。神の意志に従う人と従わない人に関してなんと言われますか。(ロ)イエスの教えは人々にどんな影響を与えますか。
16 師は他の人との関係についてこう助言します。「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」。命に至る道を見いだす少数の者とは,天の父の意志を行なっている人々です。不法を働く者はその結ぶ実によって知られ,また退けられます。イエスは,ご自分のことばに従う者を,「思慮深い人」にたとえます。それは,「岩塊の上に家を建てた人」です。この話は,耳を傾けて聴く群衆にどんな影響を与えますか。彼らは「その教え方に驚き入(り)」ました。イエスが「権威のある人のように教えておられ,彼らの書士たちのようではなかったから」です。―7:12,24-29。
17 イエスはメシアとしての権威をどのように示されますか。愛のこもったどんな関心を表わされますか。
17 王国を宣べ伝える業の拡大(8:1–11:30)。イエスは多くの奇跡を行ない,らい病人・まひした者・悪霊に取りつかれた者などをいやします。また,あらしを静めることによって風や波を制する権威をさえ発揮し,死んだ少女をよみがえらせることも行ないます。イエスは群衆が「羊飼いのいない羊のように」痛めつけられ,ほうり出されているのを見て深い同情を感じます。イエスは弟子たちに言われます,「確かに,収穫は大きいですが,働き人は少ないのです。それゆえ,収穫に働き人を遣わしてくださるよう収穫の主人にお願いしなさい」。―9:36-38。
18 (イ)イエスはどんな指示と訓戒を使徒たちに与えますか。(ロ)「この世代」にはなぜ災いが来ますか。
18 イエスは十二使徒を選び出して任務を与えます。そして,その業をどのように行なうべきかについて明確な指示を与え,「行って,『天の王国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と述べて,彼らの教えの中心教義を強調します。また,賢明で愛のこもった訓戒のことばを語ります。「あなたがたはただで受けたのです,ただで与えなさい」。「へびのように用心深く,しかもはとのように純真なことを示しなさい」。彼らは憎まれ,また迫害されることでしょう。しかも,親密な関係にある親族からそれが及ぶかもしれません。しかしイエスは彼らに銘記させます。「自分の魂を見いだす者はそれを失い,わたしのために自分の魂を失う者はそれを見いだすのです」。(10:7,8,16,39)彼らは出かけて行きます。自分の割り当てられた都市で教えまた宣べ伝えるためです。イエスは,バプテストのヨハネがご自分に先だって遣わされた使者,約束された「エリヤ」であることを述べます。しかし,「この世代」はヨハネをも人の子イエスをも受け入れません。したがって,この世代,およびイエスの強力な業を見ても悔い改めなかった諸都市には災いが来ます! しかし,イエスの弟子となる者たちは自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。
19 パリサイ人が安息日のイエスの行動について質問した時,イエスは彼らをどのように公然と非難しますか。
19 パリサイ人は論破され,公然と非難される(12:1-50)。パリサイ人は安息日に関してとがめだてしようとしますが,イエスは彼らの言いがかりを論破し,彼らの偽善に対して仮借のない有罪宣言を始めます。イエスは彼らに告げます,「まむしらの子孫よ,あなたがたは邪悪な者であるのに,どうして良い事がらを語れるでしょうか。心に満ちあふれているものの中から,口は語るからです」。(12:34)預言者ヨナのしるし,つまり人の子が三日三夜地の心にいること以外には,彼らに対してなんのしるしも与えられません。
20 (イ)イエスが例えで話すのはなぜですか。(ロ)ついでイエスは王国に関するどんな例えをされますか。
20 王国に関する七つの例え(13:1-58)。なぜイエスは例えで話されるのですか。弟子たちに対してイエスはこう説明されます。「あなたがたは,天の王国についての神聖な奥義を理解することを聞き入れられていますが,あの人びとは聞き入れられていません」。イエスは,見かつ聞くがゆえに彼らは幸いであるとされます。ついでイエスは,聞く者をさわやかにする豊かな教えを例えの形で与えます。つまり,種まき人,畑の雑草,からしの種粒,パン種,隠された宝,価の高い真珠,引き網に関する例えであり,それらはいずれも「天の王国」のある面を描き出しています。しかしながら,人々は彼につまずき,イエスは彼らにこう告げます。「預言者は自分の郷里と自分の家以外では敬われないことはありません」。―13:11,57。
21 (イ)イエスはどんな奇跡をされますか。それはイエスがなんであることを示しますか。(ロ)人の子の王国に関してどんな幻が与えられますか。
21 「キリスト」によるなおいっそうの宣教と奇跡(14:1–17:27)イエスは,柔弱なヘロデ・アンテパスの命令でバプテストのヨハネが首を切られたとの知らせに深い憂いを覚えます。そののち,奇跡によって五千人以上の群衆に食物を与え,海の上を歩き,パリサイ人たちのその後の批判を退けて,彼らを『自分たちの伝統のゆえに神のおきてを踏み越える』者とし,悪霊につかれた者や「足なえ,不具者,盲人,おし,その他さまざまの人」をいやし,再び七つのパンと数匹の小さな魚で四千人以上の人に食物を与えます。(15:3,30)イエスの質問に答えてペテロはイエスがどのような者であるかを明らかに述べ,「あなたはキリスト,生ける神の子です」と語ります。イエスはペテロをほめたのち,『この岩塊の上にわたしは自分の会衆を建てる』と言明されます。(16:16,18)そののちイエスは,近づいている自分の死について,また三日めに復活することについて語りはじめます。しかし,弟子たちの中に「人の子が自分の王国をもって到来するのをまず見るまで,決して死を味わわない者たち」のいることをも約束されます。(16:28)その六日後,イエスはペテロとヤコブとヨハネを連れて高大な山に登り,彼らはイエスが栄光のうちに変ぼうするのを見ます。幻の中で,彼らはモーセとエリヤがイエスと語り合うのを見,また天からの声が,「これはわたしの子,わたしの愛する者,わたしはこの者を是認した。この者に聴き従いなさい」と言うのを聞きます。山を下りて来てから,イエスは,約束の「エリヤ」がすでに到来したことを彼らに告げ,彼らは,イエスがバプテストのヨハネについて述べておられることに気づきます。―17:5。
22 イエスは人をゆるすことに関してどんな助言をされますか。
22 イエスは弟子たちに助言を与える(18:1-35)。カペルナウムにいる間に,イエスは,謙遜さについて,また迷った羊を取り戻すことの大きな喜びや兄弟間の罪を解決することについて弟子たちに話します。ペテロは,『兄弟を何回ゆるすべきでしょうか』と尋ね,イエスはこう答えます。「あなたに言いますが,七回までではなく,七十七回までです」。要点をさらにはっきりさせるため,イエスは,主人から6千万デナリの負債をゆるされた奴隷の例えをします。この奴隷はのちに,わずか百デナリの負債を返さなかったことで仲間の奴隷を獄に入れました。結果として,このあわれみのない奴隷は,自らも牢番たちに引き渡されてしまいました。イエスはその要点をこう語ります。「もしあなたがた各自が,自分の兄弟を心からゆるさないなら,わたしの天の父もあなたがたをこれと同じ仕方で扱われるでしょう」― 18:22,35。