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目ざめよ! 1974
目74 4/8 30–31ページ

『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

聖書の第42番めの本 ― ルカによる書

筆者: ルカ

書かれた場所: カエサレア

書き終えられた時期: 西暦56年から58年ごろ

含まれている時代: 紀元前3年から西暦33年

1 ルカはどのような福音書を書きましたか。

ルカの福音書は,鋭い知力と優しい心とを持つ人によって書かれました。こうしたすぐれた資質の配合と,そこに加えられた神の霊の導きの結果として,正確で,しかも暖かみと情感のあふれる記述がまとめられました。冒頭の句の中で,筆者はこう述べます。「わたくしも,すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどりましたので,それを……あなたに,論理的な順序で書いてお伝えすることを思い定めました」。彼の詳細かつ細心なる記述法は,こうした主張の正しさを十分に裏付けています。―ルカ 1:3。

2,3 どんな外面的また内面的な証拠は,医者ルカがこの福音書の筆者であることを示していますか。

2 その記述のどこにもルカの名は出て来ませんが,古代の権威者たちは,ルカがその筆者であるという点で一致しています。内面的な証拠もその点を強力に裏付けています。パウロは,コロサイ 4章14節で,彼のことを「愛する医師ルカ」と呼んでおり,ルカのこの書は,教育のある医師に期待されるような学者的な作風を備えています。ルカの巧みな用語選定と,他の三つの福音書を合わせたよりも広範な語彙とは,彼が論じようとした重要な主題に対する,きわめで慎重で包括的な論述を可能にしています。放とう息子に関するルカの記述は,短い物語としては最高の傑作であると評する人もいます。

3 ルカは,医学関係の用語,もしくは彼が医学的な意味を付したことばを合計300以上用いており,それらは,クリスチャン・ギリシャ語聖書の他の筆者によって用いられる場合でも,それとは異なった意味合いで用いられています。a 例えば,らい病について述べるときでも,ルカは他の人々と必ずしも同じ用語を用いていません。他の人々にとって,らい病はらい病でしたが,医者ルカにとっては,「体じゅうらい病の男」について述べている場合のように,同じらい病でもいろいろな段階がありました。ラザロについて,ルカは,「かいようだらけの身」であった,と述べています。福音書筆者たちの中で,ペテロのしゅうとめが「高い熱」を出していた,と記している者はほかにいません。(ルカ 5:12; 16:20; 4:38)他の三人も,大祭司の奴隷の耳をペテロが切り落としたことを述べていますが,イエスがその奴隷をいやしたことにも言及しているのはルカひとりです。(22:51)ある婦人について,「十八年のあいだ虚弱の霊につかれた女がいた。彼女は体が折れ曲がり,身を起こすことが全くできなかった」と記すのは,いかにも医師らしい描写です。そして,あるサマリア人が行なった救急処置についてあれほど詳細に記録したのは,『愛される医者ルカ』以外のいったいだれでしょうか。そのサマリア人は,「その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をし(た)」のです。―13:11; 10:34。

4 ルカによる書が書かれたのはいつごろと考えられますか。その時のどのような状況がその見方を支持していますか。

4 ルカがこの福音書を書いたのはいつでしょうか。「使徒たちの活動」の1章1節は,その書の筆者(それもルカであった)がその時以前に「最初の記述」つまりルカの福音書をまとめ終えていたことを示しています。「使徒たちの活動」は,西暦61年ごろ,ルカが,カエサルへの上訴の時を待つパウロとともにローマにいた間に書き終えられたと考えられます。したがって,ルカの福音書は,西暦56年から58年ごろ,カエサレアにおいて書かれたものでしょう。それは,パウロの三回めの宣教旅行が終わってルカが彼とともにフィリピから帰ってからのことであり,パウロが上訴のためローマに連れて行かれる前,カエサレアの獄で二年間待っていたあいだのことです。b その期間,ルカはそこ,パレスチナにいましたから,イエスの生涯と宣教活動に関し,『すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどる』ことのできる場所にいました。こうして,ルカの記述はマルコの福音書よりも先にできたと考えられます。

5 ルカはイエスの生涯のできごとについて『正確にそのあとをたどる』ための資料をどこから得たと考えられますか。

5 ルカは十二使徒のひとりではなく,イエスの死後にはじめて信者になったとさえ考えられますから,彼自身は,自分の福音書に記録したすべての事がらの目撃者ではありませんでした。しかし,宣教者としての活動を通してパウロときわめて密接に交わっていました。(テモテ第二 4:11。フィレモン 24)したがって,当然予想されることですが,ルカの書いたものにはパウロの影響が表われています。その点は,主の晩さんに関するふたりの記述,つまり,ルカ 22章19,20節とコリント第一 11章23-25節を比べることによってもわかります。それ以外の資料として,ルカはマタイの福音書,そしておそらくはヨハネの兄弟ですでに故人となっていたヤコブの覚え書き,また,パウロを通してマルコの覚え書きを参照することもできたでしょう。そして,『すべてのことについて正確にそのあとをたどる』ために,イエスの生涯のできごとに関する多くの目撃証人,例えば,当時まだ生き残っていた弟子たち,そしておそらくはイエスの母マリアにも自ら親しく会見することができたでしょう。わたしたちは,信頼できる細目事項を集めるために彼が起こさなかった石はなかったという点を確信できます。

6 ルカの福音書に記録されている事がらのうち彼独特の部分はどれほどありますか。彼は特にだれを対象として書きましたか。なぜそのように言えますか。

6 四福音書を調べると明らかになる点ですが,それら四福音書は単に他の記述を繰り返しているのではなく,また,きわめて重要なこの聖書の記録についてただ幾通りかの証言を備えることを目的としているのでもありません。ルカの記述はその論述法において特に他と異なっています。その福音書に記述されている事がらのうち59%までは彼独特のものです。彼は,他の福音書に述べられていないたとえ話を17,奇跡を7つ記録しており,自分の福音の三分の一を説明に,三分の二を話されたことばにあてています。四つの福音書の中でいちばん長いのはルカの福音書です。マタイはユダヤ人を対象として書き,マルコはローマ人を対象として書きました。ルカの福音書は「きわめてすぐれたテオフィロ」にあてられており,彼を通して,あらゆる国の「善意の人びと」にあてられています。(ルカ 2:14)自分の記述に全人類的な訴えを添えようとしたルカは,イエスの系図を『神の子アダム』にまでさかのぼっています。これは,特にユダヤ人のために書いたマタイがその系図をアブラハムで止めているのと異なっています。ルカは,イエスが「諸国民からベールを取り除く」ための手段となるというシメオンの預言的なことばに特に注目し,「肉なるものはみな神の救いの手だてを見るであろう」と記しています。―3:38; 2:29-32; 3:6。

7 ルカの福音書が典拠の正しいものであることをどんな事実が強力に証言していますか。

7 その記述全体を通じて,ルカは,自分が傑出した語り手であることを示しています。彼の記述はよく整えられており,かつ正確です。ルカの記述にあるこうした正確さと忠実性こそ,それが典拠の正しい信頼できる書物であることの証拠です。法律関係の一著述家は近年このように述べました。「伝奇物語,伝説,虚偽の証言などは,それが取り上げるできごとの起きた場所をどこか遠い所にし,起きた時間をあいまいにするものである。こうしてそれらは,われわれ法律を扱う者が優れた弁論に見る第一の法則,つまり,『供述は時間と場所を明示せよ』という点に反するのである。他方,聖書は,そこに記述する事がらの時間と場所を最高度の正確さで示している」。c その実例として,彼はルカ 3章1,2節を挙げています。「ティベリウス・カエサルの治世の第十五年,ポンテオ・ピラトがユダヤの知事,ヘロデがガリラヤの地区支配者,一方その兄弟フィリポがイツリアおよびテラコニテ地方の地区支配者,そしてルサニアがアビレネの地区支配者であった時,祭司長アンナス,およびカヤファの時代に,神の宣言が荒野においてゼカリヤの子ヨハネに臨んだ」。ここに時間や場所に関してあいまいさは全くありません。ルカは高官の名を七人も挙げ,それによってわたしたちは,ヨハネの(そしてイエスの)宣教開始の時期を確証することができるのです。

8 ルカはイエスの誕生の時期をどのように「正確に」示していますか。

8 ルカは,イエスの誕生した時期を確定するための二つの指針をも与えています。ルカ 2章1,2節でこう記しているからです。「さてそのころ,人の住む全地に登録を命ずる布令がカエサル・アウグスツスから出た。(この最初の登録はクレニオがシリアの知事であった時に行なわれたものである)」。ヨセフとマリアが登録のためにベツレヘムに行ったのはこの時であり,ふたりがそこに滞在している間にイエスが生まれました。わたしたちは一注解者の次のことばに同意せざるをえません。「ルカが常に完全ともいうべき正確さでその記述を進めていることは,ルカの歴史感覚の鋭さを明瞭に示すものである」。d わたしたちは,「すべてのことについて始めから正確にそのあとをたど(った)」というルカの主張を,正当なものとして認めなければなりません。

9 ルカの記録するイエスのどんな預言は西暦70年に著しい成就を見ましたか。

9 ルカは,ヘブライ語聖書の預言がイエス・キリストにいかに正確に成就したかについてもはっきり示しています。彼は,その点に関し,霊感のもとになされたイエス自身の証言を引用しています。(ルカ 24:27,44)さらに彼は,将来に起きる事がらに関するイエスの預言をも正確に記録しています。その中には,その詳細な予告どおり,驚くほどの成就をすでに見たものも多くあります。例えば,まさにイエスの予告どおり,エルサレムは先のとがった杭の堡塁で囲まれ,西暦70年,恐怖の大虐殺のうちに滅びました。(ルカ 19:43,44; 21:20-24。マタイ 24:2)世俗の歴史家フラビウス・ヨセファスは,ローマ軍に同行してそのできごとの目撃者となりましたが,杭を作るためにそのあたり一帯の樹木が幅18㌔にわたって伐採され,攻囲の柵が8㌔にわたって築かれ,多数の女子どもが飢きんのために死に,百万人以上のユダヤ人が命を失い,9万7,000人が捕りょとなったことを証言しています。今日に至るまで,ローマにあるチツスの凱旋門は,エルサレム神殿からの戦利品を携えたローマ軍の凱旋行列の模様を描き出しています。e わたしたちは,ルカの記録した他の霊感の預言も同じように正確に成就することを確信できるのです。

[脚注]

a W.K.ホバート著「ルカの医学用語」,1954年版,11-28ページ。

b 大英百科事典,1946年版,第三巻,528ページ。

c I.H.リントン著「法律家の見た聖書」,1943年,38ページ。

d A.レンドル・ショート著「現代の発見と聖書」,1943年,159ページ。

e ヨセファスの「ユダヤ戦記」,V,12,2,3節; VI,1,1節; VI,9,3節; VII,1,1節。「聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です」(英文)の研究9,第25節も参照。

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