『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』
「ルカによる書」の内容(つづき)
10 ルカは何を手がけますか。
10 ルカの導入のことば(ルカ 1:1-4)ルカは,すべての事について始めから正確にそのあとをたどったこと,そしてそれを論理的な順序で書き記そうと思い定めたこと,それは,「きわめてすぐれたテオフィロ」がそれらの事の「確かさを十分に知(る)」ためであったことを記しています。
11 ルカによる書の初めの章にはどんな喜ばしいできごとが語られていますか。
11 イエスの幼いころの生活(1:5–2:52)ひとりのみ使いが老齢の祭司ゼカリヤに現われ,彼に息子が生まれること,そして彼がそれをヨハネと名づけるように,との喜びのたよりを伝えます。しかし,その男の子が生まれるまでゼカリヤはものを言うことができないでしょう。彼の妻エリサベツは,同じように「ずっと年を取っていた」にもかかわらず,その約束どおり妊娠します。その約六か月後,み使いガブリエルはマリアに現われ,彼女が「至高者の力」によって子をはらみ,イエスと名づけるべき男子を産むことを告げます。アリアはエリサベツを訪ね,喜びのあいさつののち,歓喜してこう語ります。「わたしの魂はエホバを大いなるものとし,わたしの霊は,自分の救い主なる神のゆえに喜ばずにはいられません」。彼女は,エホバの聖なるみ名と,神を恐れる者たちに対するエホバの大いなるあわれみとについて語ります。ヨハネが誕生するとゼカリヤの舌は解け,彼も神のあわれみについて語り,ヨハネがエホバの道を備える預言者となることについてはっきり語ります。―1:7,35,46,47。
12 イエスの誕生と子ども時代についてどんなことが述べられていますか。
12 やがてイエスがベツレヘムで生まれ,ひとりのみ使いが,この「大きな喜びとなる良いたよりを」,夜間に自分の群れの番をしていた羊飼いたちに発表します。律法にしたがって割礼が施されます。ついでイエスの両親が神殿で彼を「エホバにささげ」た時,老齢のシメオンと女預言者アンナがその子どもについて語ります。その後,ナザレに戻ったイエスは,「成長して強くなってゆき,知恵に満たされ,神の恵みが引き続きその上に」あります。(2:10,22,40)12歳の時,ナザレからエルサレムを訪ねたイエスは,その理解力と答えとによって教師たちを驚かせます。
13 ヨハネは何を宣べ伝えますか。イエスのバプテスマの時,またそのすぐあとにどんなことが起きますか。
13 宣教のための準備(3:1–4:13)ティベリウス・カエサルの治世の第15年,神の宣言がゼカリヤの子ヨハネに臨み,ヨハネは「悔い改めの象徴としてのバプテスマを宣べ伝え」てゆきます。それは,すべての肉なるものが「神の救いの手だてを見る」ためです。(3:3,6)すべての民がヨルダン川でバプテスマを受けていた時,イエスもともにバプテスマを受けます。そして彼が祈りをしていると,聖霊が彼の上に下り,彼の父は天からの是認を表明します。イエス・キリストはこの時約30歳です。(ルカはここでイエスの系図を掲げています。)そのバプテスマののち,40日のあいだ霊が荒野においてイエスをあちらこちらと導き,その場所で悪魔が彼を誘惑しますが,成功しません。そのため,悪魔は,「別の都合のよい時まで」引きさがります。―4:13。
14 イエスは自分の使命をどこで明らかにしますか。その使命とはなんですか。それを聞いていた人々はどのように応じますか。
14 イエスのガリラヤでの宣教(4:14–9:62)イエスは自分の育った町ナザレの会堂でイザヤ書 61章1,2節の預言を読み,それを自分にあてはめて自分の使命を明らかにします。「エホバの霊がわたしの上にある。貧しい者に良いたよりを宣明させるためわたしに油をそそぎ,捕われ人に釈放を,盲人に視力の回復を宣べ伝え,打ちひしがれた者を解き放して去らせ,エホバの受け入れられる年を宣べ伝えさせるために,わたしを遣わしてくださったからである」。(4:18,19)人々は,初めはイエスのことばを喜んでいますが,彼が話を続けてゆくにつれ,やがて怒り立つようになり,彼を除き去ろうとします。そこで彼はカペルナウムに下り,そこで多くの人をいやします。群集が彼のあとに従って来て,彼を自分たちのところに引き留めておこうとします。しかしイエスは彼らに告げます,「わたしはほかの都市にも神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」。(4:43)彼はユダヤの諸会堂で宣べ伝えます。
15 ペテロ,ヤコブ,ヨハネ,そしてマタイが召された次第を述べなさい。
15 ガリラヤにおいて,イエスは,シモンとヤコブとヨハネに奇跡的な魚獲を得させます。そして,シモン・ペテロに,「今からのち,あなたは人を生きながら捕るのです」と告げます。それで彼らはすべてのものを捨てて彼のあとに従います。イエスは祈りと教える業とを続けます。そして,「彼がいやしを行なうようにエホバの力がそこに」あります。(5:10,17)彼はさげすまれた収税人レビ(マタイ)を召し,マタイは盛大な宴席を設けてイエスに敬意を表します。そこには「非常に大ぜいの収税人」もともに出席します。(5:29)これをきっかけとしてイエスはパリサイ人たちとたびたび相対するようになり,怒りに燃えた彼らはイエスを害そうとして共謀します。
16 (イ)イエスはどんなことののちに十二使徒を選びますか。(ロ)山上の垂訓に関する並行記述の中でルカはどんな点を特に目だたせていますか。
16 神に夜どおし祈ったのち,イエスは弟子たちの中から十二使徒を選びます。さらにいやしの業がなされます。ついでイエスは,ルカ 6章20-49節に記録される話をします。それは短くまとめられてはいますが,マタイ 5–7章にある山上の垂訓と並行する記述です。イエスは二つのことを対照的に述べます。「あなたがた貧しい者は幸いです。神の王国はあなたがたのものだからです。しかし,あなたがた富んだ人たちには災いが来ます! あなたがたは自分のなぐさめをすべて得ているからです」。(6:20,24)彼は,自分の敵を愛すること,あわれみ深くあること,与えることをならわしにすること,そして,心の良い宝の倉から良いものを取り出すことについて,聞く人々に訓戒します。
17 (イ)その後イエスはどんな奇跡をしますか。(ロ)イエスは自分がメシアであるかどうかに関して,バプテストのヨハネのもとから来た使者に対してどのように答えますか。
17 カペルナウムに戻ったイエスは,ひとりの士官から,病気の奴隷をいやしてくださるようにとの依頼を受けます。その士官は,イエスを自分の屋根の下に入れる価値が自分にはないと感じ,そのおられるところからただ「そのおことばをくださ(い)」とイエスに頼みます。それに応じて奴隷はいやされ,イエスは感嘆してこう述べます。「あなたがたに言いますが,イスラエルにおいてさえ,わたしはこれほどの信仰を見たことがありません」。(7:7,9)そののち,イエスは死人を初めてよみがえらせます。ナインのやもめのひとり息子であり,イエスはそのやもめを「哀れに思」われたのです。(7:13)イエスに関するたよりがユダヤじゅうに広まると,バプテストのヨハネは彼のもとに獄から使いを送り,「あなたがきたるべきかたなのですか」と尋ねさせます。それに答えてイエスは使いの者に言います,「行って,あなたがたが見聞きしたことをヨハネに報告しなさい。盲人は見えるようになり,足なえは歩き,らい病人は清められ,耳しいは聞き,死人はよみがえらされ,貧しい者には良いたよりが告げられています。それで,わたしにつまづかないでいる人は幸いです」― 7:19,22,23。
18 王国の伝道は,どのような例え,業,また助言のことばをもって続いてゆきますか。
18 イエスは十二使徒を伴いつつ,「都市から都市,村から村へと旅をされ,神の王国の良いたよりを宣べ伝えまた宣明」します。彼は種まき人の例えをし,その話のしめくくりとしてこう語ります。「ですからあなたがたは,どのように聞くかに注意を払いなさい。だれでも持っている者,その者にはさらに与えられますが,持っていない者,その者からは,持っていると思うものまで取り去られるのです」。(8:1,18)イエスは驚嘆すべき業と奇跡とを行ないつづけます。また,十二使徒に,悪霊を制し,病気を治す権威を与え,「神の王国を宣べ伝え,かつ病気をいやさせるために」彼らを遣わします。五千人の人が奇跡によって食物を与えられます。イエスは山の上で変ぼうし,その翌日には,弟子たちが治すことのできなかった,悪霊につかれた少年をいやします。そして,イエスに従おうとする人々に訓戒のことばを与えます。「きつねには穴があり,天の鳥にはねぐらがあります。しかし人の子には頭を横たえる所がありません」。神の王国にふさわしい者となるために,手をすきにかけて後ろのものを見てはなりません。―9:2,58。
19 イエスは隣人に対する真の愛についてどのような例えを話しますか。
19 イエスのユダヤにおける後期の宣教活動(10:1–13:21)イエスは「収穫」のためにさらに70人を遣わし,遣わされた人々はその宣教の成功を見て喜びに満たされます。イエスが伝道していると,ひとりの人が自分の義を示そうとして,「わたしの隣人とはだれのことでしょうか」とイエスに尋ねます。それに答えて,イエスは良いサマリア人の例えを話します。ある人が強盗たちに襲われ,半殺しの状態で道のかたわらに横たわっていますが,そこを通る祭司とレビ人はそれを無視します。ところが,立ち止まって優しく彼の傷の手当をし,彼を自分のろばに乗せて宿屋に連れて行き,その看病の費用を払うのはさげすまれたサマリア人です。そうです,隣人となったのは,「その人に対してあわれみ深く行動した者」です。―10:29,37。
20 (イ)イエスはマルタとマリヤに対してどんな点を明らかにしますか。(ロ)祈りについてはどんなことを強調しますか。
20 マルタの家で,イエスは,家事のことで過度に思い煩っていたマルタを穏やかに叱責し,座ってイエスのことばを聴き,良いほうを選んだマリアをほめます。イエスは弟子たちに模範的な祈りを教え,また,たゆまず祈りつづけることの必要性を強調して,「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます」と教えます。のちにイエスは悪霊たちを追い出し,「神のことばを聞いてそれを守っている人たちこそ幸い」であると言明します。また,食事をしているさいに律法に関してパリサイ人と論じ合い,「知識の鍵」を取り去ったことに対して彼らに災いを宣告します。―11:9,28,52。
21 イエスは貪欲さについてどんな警告を与えますか。弟子たちに対してどんなことを勧めますか。
21 イエスが再び群集とともにいたとき,ある人が,「わたしの兄弟に,相続財産をわたしと分けるように言ってください」とイエスに言います。イエスは次のように答えて問題の核心を突きます。「油断なく見張っていて,あらゆる貪欲に警戒しなさい。満ちあふれるほど豊かであっても,人の命はその所有している物からは生じないからです」。それからイエスは,大きな納屋を建てるためにそれまであった納屋を壊し,その夜のうちに死んで自分の富を他の人に残したある富裕な人の例えをします。イエスはその要点を簡潔に述べます,「自分のために宝をたくわえても,神に対して富んでいないものはこうなるのです」。さらに,弟子たちに天的な宝を求めることを勧めたイエスは,「恐れてはなりません,小さな群れよ。あなたがたの父は,あなたがたに王国を与えることをよしとされたからです」と語ります。イエスが18年間病んでいたひとりの女を安息日にいやしたことは,敵対者たちとさらに衝突する結果に至りますが,結局彼らは恥をこうむります。―12:13,15,21,32。