ある若い奉仕者からの手紙
「私は16歳のエホバの証人です。学校での柔道に関する一つの経験をしたのでお知らせしたいと思います。
「1973年4月に東京のある高等学校のデザイン科に入学しました。それは私立ですが,毎週木曜日の一時間目に柔道の授業があるのです。担当の体育科の先生に理由 ― クリスチャンとしてなぜ柔道ができないか ― を話し,1回目は見学させてもらいました。その日の放課後にクラスの担任の先生に呼ばれ,やはり理由を話しました。それら2度の話ではいずれも手短にクリスチャンの良心に従うゆえにできないと告げました。そしてそれから少したってから,土曜日でしたが,教頭先生に呼ばれました。教頭先生は同じ格技である剣道を長年し,また日蓮宗の信者でもある人です。そして2,3時間にわたり話しました。なかなか手厳しいことも言われましたが,その日は遅くなったので一応家に帰りました。
「それから今度は母が教頭先生の所に呼ばれ長々と話したそうです。学校側としては,特定の授業をしない生徒はやめてもらいたいとのことでしたが入学の時に十分調べなかった責任はあると言い,考えてみるとの返事が母により私に伝えられました。それを中心とし前後3回にわたる職員会議がひらかれたということを担任の先生が言っていました。その会議では,『学校,特に高校における教育はその生徒の人としての土台をかためる所だ。したがって中学を卒業して入ってきたばかりの生徒の中にすでにその土台 ― 一つの主義,主張をもってきた生徒がいることは,教育者として喜ぶべきことであり,その者をやめさせるべきではない』と先生たちの多くが私を弁護してくれたそうです」。