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  • 目ざめよ! 1975
目ざめよ! 1975
目75 3/22 29–31ページ

『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

ヘブライ人への手紙の内容

10 この手紙はキリストの地位について何を述べていますか。

10 キリストの高められた地位(1:1–2:18)冒頭の部分はキリストに注意を引いています。「神は,昔には,多くの場合に,また多くの方法で,預言者たちによってわたしたちの父祖に語られましたが,これらの日の終わりには,み子によってわたしたちに語られました」。このみ子はすべてのものの相続人と定められたかたであり,その父の栄光の反映です。わたしたちの罪のための浄めをなし終えた今,「高大な所におられる威光の右に座られました」。(1:1-3)パウロは次から次へと聖句を引用して,イエスがみ使いたちより高い地位にあることを証明します。

11 (イ)聞いた事がらに普通以上の注意を払うようにとパウロが助言しているのはなぜですか。(ロ)その経験と高められた地位とのゆえにイエスはどんな事を成し遂げることができますか。

11 パウロは,『普通以上の注意を払うことが必要である』と書きます。なぜですか。なぜなら,「み使いたちを通して語られたことば」に従わない人々が厳しい応報を受けたのであれば,『わたしたちの主を通して語られたという点で,これほど偉大な救いをおろそかにした場合,わたしたちはどうして逃れられるでしょうか』とパウロは論じます。神は「人の子」をみ使いたちより少し低くされましたが,今わたしたちは,このイエスが「死の苦しみを忍んだゆえに栄光と誉れの冠を与えられた」のを見ています。「これは,神の過分のご親切のもとに,彼がすべての人のために死を味わうため」であった,とパウロは書きます。(2:1-3,6,9)多くの子らを栄光に導くにあたり,神はまず,彼らの救いのための主要な代理者であるこのかたを「苦しみを通して完全に」されました。悪魔を無に帰せしめ,「死に対する恐れのために生涯奴隷の状態に服していた者すべてを」解放するのはこのイエスです。こうしてイエスは,「あわれみ深い忠実な大祭司」となります。そして,すばらしいことに,自分自身試練のもとで苦しみを経験したイエスは,「試練に遭っている者たちを助けに来る」ことができます。―2:10,15,17,18。

12 神の休みに入るためにクリスチャンはどんな歩みを避けなければなりませんか。

12 信仰と従順によって神の休みに入る(3:1–4:16)イエスはモーセ以上の栄光に値するとみなされます。したがって,あらゆる民族から成るクリスチャンは,イスラエル人の不信仰の例から警告を得,「生ける神から離れて,信仰の欠けた邪悪な心」を育てることのないようにすべきです。(ヘブライ 3:12。詩 95:7-11)神はご自分の創造の業を休まれましたが,それと同じように,神の民に対して「休み」が約束されています。生来のイスラエルは,「信仰の欠如のゆえに」,また「不従順のゆえに」その休みに入ることができませんでした。「それで,神の民のために安息の休みが残っています。神の休みに入った人は,神がご自分の業を休まれたと同じように,その人も自分の業を休んでいるからです」。イスラエルが示したような不従順は避けるべきです。「神のことばは生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣より鋭く……心の考えと意向とを見分けることができるのです」。(ヘブライ 3:19; 4:6,9,10,12)それゆえ,もろもろの天を通られた偉大な大祭司イエスについての告白を堅く守るべきです。それによってあわれみを得るためです。

13 (イ)キリストはどのようにして『永久の祭司』,永遠の救いに責任を持つ者となりましたか。(ロ)なぜパウロは,円熟を目ざして進んでゆくことをヘブライ人に促しますか。

13 キリストの祭司職の優越性に対する円熟した見方(5:1–7:28)キリストは自分に栄光を付したのではありません。「あなたはメルキゼデクのさまにしたがって永久に祭司である」と言われたのは父ご自身でした。(ヘブライ 5:6。詩 110:4)まず,彼は苦しみを通して従順さの点で完全にされました。これは,彼に従うすべての者の永遠の救いに責任を持つ者となるためでした。彼については「言うべきことはたくさんありますが,説明しにくく思えます」,とパウロは語ります。実際には教える者となっているべきなのに,ヘブライ人は依然乳を必要とする赤子の状態にあります。「固い食物は,円熟した人びと,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人びとのものです」。使徒パウロは,「円熟に向かって進んで」ゆくようにと促します。―ヘブライ 5:11,14; 6:2。

14 どうしたら約束を受け継ぐことができますか。希望はどのように確立されていますか。

14 神のことばを知ったのちに離れ落ちた者が再び悔い改めに立ち返ることは不可能です。「なぜなら,彼らは神の子を自分で改めて杭につけ,公の恥にさらしているからです」。ただ信仰としんぼうによってのみ,人々はアブラハムに対してなされた約束を受け継ぐことができます。それは二つの不変のものつまり神のことばと誓いによって,確かなもの,またゆるがぬものとされた約束です。彼らの希望は,「魂の錨,確かなもの,またゆるがぬもの」であり,イエスが,前駆者またメルキゼデクのさまにしたがう大祭司として「幕の内側に」入ったことによって確実にされました。―6:6,19。

15 メルキゼデクのさまにしたがうイエスの祭司職がレビの祭司職に勝ることはどのように示されていますか。

15 このメルキゼデクは「サレムの王」でありかつ「至高の神の祭司」でした。家長アブラハムさえも彼に什一をささげ,またこのアブラハムを通して,まだその腰にあったレビも同じ事をしたのです。こうして,アブラハムに対するメルキゼデクの祝福は,当時生まれていなかったレビにも及びました。これは,レビ系の祭司職がメルキゼデクの祭司職より劣るものであることを示しています。さらに,完全にすることが,アロンを元とするレビ系の祭司職を通してもたらされていたのであれば,「メルキゼデクのさまにしたが(う)」別の祭司が必要だったでしょうか。さらに,祭司職が変わるからこそ,「当然律法の変更も生じる」のです。―7:11,12。

16 イエスの祭司職が律法下の祭司職に勝ることを示しなさい。

16 事実,律法は何も完全にはせず,むしろ,弱く効果のないものであることを示しました。死にゆく者であったため,その祭司たちは数多くいましたが,メルキゼデクのさまにしたがう大祭司は「永久に生き続けるので,後継者を持たずに自分の祭司職を保ちます。それゆえ,彼は自分を通して神に近づく者たちを完全救うこともできます。常に生きておられて彼らのために願い出てくださるからです」。この大祭司イエスは「忠節で,偽りも汚れもなく,罪人から分けられ」ていますが,律法によって任命を受ける大祭司たちは弱く,他の人のための執り成しに先だって自らの罪のための犠牲をささげなければなりません。こうして,明言された神の誓いのことばは,「永久に完全にされたみ子を任命する」のです。―7:24-26,28。

17 どんな点で新しい契約は優越していますか。

17 新しい契約の優越性(8:1–10:39)イエスは,「それだけ勝った契約の仲介者でもあ(る)」ことが示されています。その契約は「勝った約束に基づいて法的に確立されたもの」です。(8:6)パウロはエレミヤ 31章31-34節全体を引用して,新しい契約の律法が人々の思いと心の中に記されること,すべての者がエホバを知るようになること,また,エホバが「彼らの罪をもはや決して思い出さない」ことを示します。この「新しい契約」が以前のものを廃れたものとし,それは「近く消えてゆく」のです。―ヘブライ 8:12,13。

18 二つの契約下の犠牲の問題をパウロはどのように比較していますか。

18 パウロは以前の契約下の天幕で年ごとにささげられた犠牲について述べます。それは「法的な要求であって,物事を正すための定めの時まで課せられ」たものです。しかし,キリストが大祭司として到来した時に携えていたのは,自らの貴い血であり,やぎや若い雄牛の血ではありませんでした。モーセが動物の血を振りかけたことによって以前の契約は有効になり,模式的な天幕は清められました。しかし,新しい契約に関連した天的な実体のためには勝った犠牲が必要でした。「キリストは,実体の写しである,手で作った聖なる所にではなく,天そのものに入られたのであり,今やわたしたちのために神ご自身の前に出てくださるのです」。またイエスは,イスラエルの大祭司がしたように,年ごとに犠牲をささげる必要もありません。「今,ご自分の犠牲によって罪を取りのけるため,事物の諸体制の終結のときに,ただ一度かぎりご自身を現わされた」のです。―9:10,24,26。

19 (イ)律法は何を成し遂げることができませんでしたか。なぜ?(ロ)神聖なものとすることに関する神のご意志はなんですか。自分の信仰をしっかり保つことについてパウロはどんな強い訓戒のことばを述べていますか。

19 要約としてパウロはこう述べます。「律法はきたるべき良い事がらの影」ですから,それに基づく犠牲を繰り返しささげることによって罪の意識を除き去ることはできませんでした。しかし,イエスは神のご意志を行なうために世に来ました。「ここに述べた『ご意志』のもとに,わたしたちは,イエス・キリストの体がただ一度かぎりささげられたことによって,神聖なものとされている」とパウロは述べます。それゆえ,ヘブライ人は,自分の信仰を公に言い表わすことを,たじろぐことなくしっかり保ち,「互いのことをよく考えて愛とりっぱな業とを鼓舞し合い」,集まり合うことをやめるべきではありません。真理の正確な知識を得た後にも意識的に罪を犯しつづけるなら,「罪のための犠牲はもはや何も残されて」いません。パウロはこう告げます。「あなたがたは,啓発を受けたのち数々の苦しみのもとで大きな闘いに耐えたさきの日々をいつも思い出しなさい」。はばかりのないことばで語る態度を捨ててはなりません。それには大きな報いが伴うのです。約束の成就にあずかるために忍耐し,「信仰をいだいて魂を生き永らえさせる者」となるべきです。―10:1,10,24,26,32,39。

20 (イ)信仰とはなんですか。(ロ)パウロはここで,輝く信仰の姿をどのように描き出していますか。

20 信仰の定義とその例示(11:1–12:3)信仰! そうです,それこそ求められているものです。パウロはまずそれを定義します。「信仰とは,望んでいる事がらに対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です」。ついで,わずか一章ながら,読む者を奮い立たせるような筆致で,パウロは,昔の人々の姿を,次々と簡潔に描き出します。それは,生き,働き,戦い,忍耐し,信仰によって義を受け継ぐ者となった人々です。「信仰によって」アブラハムはイサクやヤコブとともに天幕に住み,「真の土台を持つ都市」を待ち望みました。その建築者は神です。「信仰によって」,モーセは,「見えないかたを見ているように」終始確固としていました。パウロは続けます,「このうえ何を言いましょうか。さらにギデオン,バラク,サムソン,エフタ,ダビデ,またサムエルやほかの預言者たちについて語ってゆくなら,時間が足りなくなるでしょう。彼らは信仰により,王国を闘いで打ち破り,義を成し遂げ,約束を得(ました)」。他の人々も,あざけり,むち打ち,なわめ,拷問などの試練を受けましたが,釈放を受け入れようとはしませんでした。「さらに勝った復活を得ようと」していたからです。確かに,「世は彼らに値しなかった」のです。これらすべてはその信仰のゆえに証しされましたが,約束の成就にはこれからあずかるのです。パウロはさらに続けます,「こうして,これほど大ぜいの,雲のような証人たちに囲まれているのですから,わたしたちも,あらゆる重荷と容易に絡みつく罪とを捨て,自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走ろうではありませんか。わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスをいっしんに見つめながら」― 11:1,8,10,27,32,33,35,38; 12:1,2。

21 (イ)クリスチャンは信仰の闘いにおいてどのように忍耐することができますか。(ロ)神の警告を聴くべきより強力な理由をパウロはどのように示しますか。

21 信仰の闘いにおける忍耐(12:4-29)パウロは,信仰の闘いにおいて忍耐するようにと説きます。エホバは子として彼らを鍛練しておられるからです。今は,弱った手とひざを強くし,自分の足のためにまっすぐな道を作ってゆくべき時です。有毒な根や汚れが入って来ないよう厳重に警戒しなければなりません。エサウの場合のように,それが元となって神から退けられるようになることがあるのです。エサウは神聖な物事の価値を認識しませんでした。文字どおりの山で,モーセは,「わたしは恐ろしさに震える」と語りました。それは,炎の燃え立つ火と雲と声の恐るべき光景のためでした。しかし,ヘブライ人のクリスチャンたちは,それよりはるかに畏怖を感じさせるもの,シオンの山と天のエルサレム,幾万ものみ使い,初子たちの会衆,すべてのものの裁き主なる神,より勝った新しい契約の仲介者なるイエスに近づいたのです。今や,神の警告を聴くべき理由はいや増しています。その昔,神の声は地を震わせました。しかし今,神は,天と地を共に激動させることを約束しておられます。パウロは論点を明示してこう述べます。「それゆえ,わたしたちは,揺り動かされることのない王国を受けることになっているのですから……敬神の恐れと畏敬とをもって,受け入れられるしかたで神に神聖な奉仕をささげ(ましょう)。わたしたちの神は焼き尽くす火でもあるのです」― 12:21,28,29。

22 読者を築き上げるどんな助言のことばでパウロは手紙を結んでいますか。

22 崇拝の問題に関するさまざまな勧め(13:1-25)パウロは,読む者を築き上げる助言の形で手紙を結びます。兄弟の愛を保ちなさい。人を親切にもてなすことを忘れてはなりません。結婚はすべての人の間で誉れあるものとみなされるべきです。金銭に対する愛を避けなさい。指導の任に当たっている人々に従順でありなさい。奇妙な教えによって気を奪われてはなりません。最後に,「彼[イエス]を通して常に賛美の犠牲を神にささげましょう。すなわち,そのみ名を公に宣明するくちびるの実です」― 13:15。

「平和の神が,……あなたがたにあらゆる良いものを備えてそのご意志を行なわせ,みまえにあて大いに喜びとなる事がらを,イエス・キリストを通してわたしたちの中で行なってくださいますように」― ヘブライ 13:20,21。

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