真理に目ざめるよう援助される
今日,進化論は一般に広く教えられており,その結果大勢の人々が進化論を支持しています。しかしエホバの証人は進化論ではなく聖書を終始信頼しており,人々が真理に目ざめるよう援助を差し伸べています。以前進化論者であった一人の人は自分の経験を次のように語っています。
「私は真理を知る前は絶対的な進化論の信奉者でした。それもある進化論者に師事して学ぶほどの熱の入れようで,進化理論はまずゆるぎないものと確信していました。ですから聖書の奉仕者が来ても全く相手にしませんでしたし,むしろ彼らを妄信者とさえ思っていました。しかし,そんな私も,ある日奉仕者の持ってきた一冊の雑誌に目をうばわれました。それは1974年4月22日号の『目ざめよ!』誌で,『進化論は最大の挑戦に直面する』という特集号でした。私はその題名と記事の内容がどうも気になってしまい,それを買い求めてその晩に完読しました。驚いたことに,その雑誌には進化論よりはるかに理にかなった説明がなされていたのです。それからというもの聖書も調べてみる必要があると感じた私は,自分の持っていた進化論に関する資料と奉仕者が提供してくれた資料,特に『進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか』および『聖書はほんとうに神のことばですか』と題する本を中心に,約1か月位,それこそ寝る間も惜しんで徹底的に調べてみました。そしてついに結論に達しました。物質というものの存在があって初めて推論の成り立つ進化論は,どうして物質そのものが存在するようになったかを全く説明していません。いや,そうすることができないという点に気がついたのです。ところが,聖書はこの最も重要な問題に対して実に明解に答えてくれています。イザヤ書 40章26節には,『主のいきほひ(エネルギー)大なり』とあるからです。物質がエネルギーを生み出すように,エネルギーによって物質が産出されることが可能なことはすべての科学者も認めるところです。私はこれを知った瞬間に,今まで絶対的なものと信じていた進化論が音をたてながら崩れ落ちてゆくのを感じ,驚きとともにある種の恐れさえ感じました。
「それ以来私は創造者のことをなお一層知りたくなり,聖書研究に応じました。集会にも出席するようになり,そのたびに確信が深まってゆきました。当然のことながら私はこの喜びを妻とわかち合いたく,一緒に真理を学ぶように勧めました。しかし,妻は14年来ある新興宗教の信者で,全く相手にしてくれませんでした。それどころか,私が真理の話をすればする程一層心を閉じてしまい,口もきいてくれなくなってしまいました。しかし,今振り返ってみるとそれも無理ありませんでした。私は,ただ真理に引き寄せたいばっかりに,妻の立場も考えず,分別や思いやりの欠けた古い人格まる出しの強引な証言をしばしば行なったからです。私たちの間柄が一時危機的になったこともありました。それで,私はクリスチャンとしての行状によって証言してゆくよう努力しました。こうして約5か月ほど後に,妻はついに真理に目ざめてくれ,偶像なども処分し,以前の組織から脱会してくれたのです。私はその時真理の偉大さを改めて知った思いで,エホバに感謝しました」。
人類の創造者なる神のみ言葉は,確かに人の生活に大きな影響を及ぼします。