聖書の原則に従って子供を教育する
今日多く見られる少年たちの犯罪,非行はどうしたら防ぐことができるだろうか。自分の家の子供たちがそのような道に引き込まれないようにするには,親はどのように育てたらよいのだろうか。また,自分の子供は手に負えなくなったと感じている親も今日多くなっているが,就学できる年齢になってから人格を作り始めれば良いのだろうか。多くの経験と研究の結果は,子供に対する訓育はごく幼少の時から始めるべきであることを示している。年少であっても,神のみ言葉である聖書から健全な原則をしっかりと教えられた子供たちは,周囲の圧力や嘲笑に屈しない強さを示すことができる。
横浜に住むエホバの証人のひとりの主婦は次のことを観察することができ,こう報告している。
「聖書によって育てられた息子(当時5歳)は,(それが聖書に起源を持たない異教の祭りであることを知っているので)幼稚園をあげてのクリスマス会に出席したがりませんでした。しかし父親の命令には従って幼稚園には出掛けることになりましたが,子供の喜ぶ劇やおゆうぎまたお菓子が提供され,多くの誘惑やおどしがかけられたにもかかわらず絶対にその会につらなろうとしなかったのです」。
その結果,小さいながら自分の信仰に堅く立った者として園長からほめられ,そのお気にいりになることになった。彼女はその息子について次のようにも書いている。
「京都において100名近くの親族が集まって法事が行なわれた時,クリスチャンである私はよいとしても,息子は本家の唯一の男の子であるから何としても法事に出席し参加させなくてはならないと強制されました。(当時3歳でしたから)母親のまねをしているにすぎないのだから,ひとりだけ引き離せばどうにでもなると親族は考えました。お寺の前に来た時,本人はお寺に入るのはいやだと言いました。大人たちは,おがまなくてもよいから中に入るだけ入れということになり息子は中に入りました。本堂に近づくにつれて大人の考えが分かって絶対に本堂には入らないと言いだしました。大人がなだめても,すかしても,おどかしても無理でした。さわぎがひどくなる一方なので大人たちはついにあきらめ,息子は参加しないですみました。それ以来主人も他の親族も息子に偶像崇拝を決して要求しません」。
こうした子供の態度は単に親にいわれたことを守っているだけのかたくなな信念とはちがう。むしろ,その理由をはっきりと教えられ,それにより善悪に関する明解な反応を示す良心が強められるのである。自分の信仰について説明する機会が与えられれば進んでそうするであろう。
東京練馬の小学校三年の一少女の経験もそのことを示している。社会科の時間に先生は戦争の写真を見せて,戦争についての作文を書かせたとき,次のようなことが報告された。
「父母会の席上,その先生は,優れた内容のもの五つを読ませました。最初の四つは戦争で死ぬこと,家族と別れ別れになることの悲しみをつづったものでした。最後に娘の作文が読まれました。私自身娘の作文の内容に驚きました。他の方々も態度を変えて熱心に聞いていました。それには聖書を使って命の大切さ,戦争の罪悪について書いてありました。先生はその作文から深い感銘を受けたと述べられました。その結果,多くの出席者が,どのようにしつけをしているのですかと尋ね,そのうちの二人の方は聖書の話を聞くようになりました」。
前述の少年は現在9歳ですが6歳のときからクラスの友人のひとりに聖書を教え続けてきました。年若い彼の教え方は簡単ではっきりとしたものです。「第一のものを第一にする様に,そしていつも人間に従うのではなく,エホバに従わねばならない」と言うのです。