やみから霊的な光に導かれる
今日のわたしたちの世界は,神を知らず,多くの場合神を知ろうともしない人々で満ちています。このような状態は霊的なやみであり,天の光の父であるエホバ神からの霊的な光を受け入れようとしないために生ずる暗やみです。しかし光の神エホバは,人類に真理の光を広く与えておられ,それを受け入れる人々は祝福され,心の目が開かれてきました。大宮市に住む一人の盲人の経験は,そのことをよく示しています。
この人は中学二年生の時に,マルクス・レーニン主義を源流とする全国的な政治団体に加入し,政治闘争や他の要求運動に参加するようになりました。さらに,自分の抱えていた身体上の障害やそれに関する矛盾に目を留め,社会状勢や生活感情にも興味を持ち,まじめに生きて行きたいとの願いを持って生活していました。しかし,政治運動に参加しているという理由で周囲の人々から問題児と見られることに反発を感じ,非常に反抗的な態度を取るようになりました。多くの事を知り問題を正すために教師になりたいと願い,中学を卒業した後,上京して上級の学校に入学しました。しかし,問題を正すどころか自分が徐々に体制にのみ込まれてしまうように感じた彼は,学校の勉強に対する熱意を失い,政治運動や社会運動,それに学内紛争に活発に携わるようになりました。しかし結局は,それらも失敗に終わりました。依然,人間として本当の生き方をしたいと願っていた彼は,マッサージ,鍼,きゅうの免許を活用して開業するかたわら,心理学や哲学を調べるようになりました。
そのような生活を始めて間もなく,つまり1974年の5月に一人のエホバの証人が彼の家を訪問しました。その時のことを彼は次のように語っています。「その人は聖書の観点からいろいろな質問を列挙しました。それは確かに私の興味を引くようなものでした。その人はエホバ神について話し,週一度の聖書研究を提案しました。それは,自分の考えていたのとは全く違った生き方でしたが,私自身そのような生き方を求めていましたので,興味を覚え,研究に応じました」。このようにして,「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」という題の小冊子を用いて,聖書研究が行なわれるようになりました。初めは学問的な興味から研究が始まったものの,進むにしたがって聖書に対する知識が増し,聖書の正確さを理解して,次第に信仰を持ちたいと考えるようになりました。
しかし,そのころまでに完全に目が見えなくなり,右の耳も全く聞こえないという状態になっていた彼にとって,克服しなければならない問題もありました。例えば,聖書研究はどのような仕方で行なわれたのでしょうか。彼は次のように述べています。「研究に用いる出版物をテープに録音してもらうよう[司会をしてくれるエホバの証人]に依頼したところ快く応じてくださいました。その後は,質問に対する答えや聖句を前もって予習し,点字で書き留めておくか覚えておくことができました。大体,一回の研究のための予習は6時間くらいかかりました」。さらに,クリスチャンの集会に出席することも,障害を抱えた彼にとっては挑戦となりました。盲人の彼が,集会に出席している大勢の人々とどのように交わったらよいのかということに戸惑いを感じたのは容易に理解できることです。彼は,目が見えないだけでなく右側の耳が聞こえないため,右から何かを言われても分かりません。しかし,慣れるにつれて,また,周りのクリスチャンたちから暖かい励ましを受けて,それらを克服することができました。このようにして,聖書研究やクリスチャンの集会から励ましを受けながら彼はよい進歩を示し,話し方を訓練するためにエホバの証人が行なっている教育課程である神権学校に入学するようになりました。話の割当てを果たすのに彼は大きな努力を払い,それをりっぱに行なうことができました。どのようにして,大勢の聴衆の前で6分間の話を行なったのでしょうか。彼は次のように述べています。「指定された聖書の朗読箇所を読むのに8分ぐらいかかってしまいますので,6分間に収めるためにその部分の聖句を覚え,その後点字から読むようにしました」。
神権学校で訓練を受けた彼は,自分の学んだ良いたよりを一般の人々に分かち合う業にも参加するようになりました。初めのうち,彼は家の人の反応を受けとめたり,それに受け答えるという点で少し困難を感じましたが,祈りのうちにある方法を見いだしました。つまり,会衆の中の絵の上手な人に,出版物の中の絵を描いてもらい,いつもそれをケースに入れて持って行くのです。そしてその絵の下には,いろいろな聖句が引用されています。この絵によって証言活動が楽しくなり,効果がありました,と彼は述べています。彼はまた,非公式の証言によっても人々に真理を伝えており,そのようにして真理を伝えた一人の人と共に,この夏の大会でバプテスマを受けました。
このように,実際の目が見えない人であっても,光の父であるエホバ神からの真理の光を受けることにより,霊的な意味で目が開かれるのです。詩篇作者がエホバについて語った次の言葉は,確かに真実です。「命の泉はあなたと共にあり,あなたから来る光によってわたしたちは光を見ることができるからです」― 詩 36:9,新。