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  • 親族に真理を伝えることは喜びをもたらす
  • 目ざめよ! 1977
目ざめよ! 1977
目77 2/22 28–29ページ

親族に真理を伝えることは喜びをもたらす

自分の家族のだれかがエホバの賛美者になるのを見るのは,わたしたちにとって特に大きな喜びとなります。次の二つの経験に示されているように,大勢の人がその喜びを味わっています。

● 「私はエホバ神に深く感謝しています。なぜなら,親族のほとんどが真理を学んでいるからです。このように申しますと,ごく自然に機会が与えられたように感じられるかもしれませんが,決してそうではありませんでした。というのは,ある事情により親子の縁を切られ,兄弟とは仲たがいするという,親族としてはまれな状態にあったからです。主人の実家とは絶縁状態にあり,三人の兄弟は,目と鼻の先に居ながら,あいさつも交わすことのないような嫌悪の状態が四,五年も続いていたのです。そのような中にあって,私はエホバの証人の伝道者となりました。

「この当時までは,縁を切られている私が真理を伝えなくてもだれかが伝えてくれるだろう,と考えていました。そのころから私の良心は痛みを感じるようになって来ました。それは,まったく知らない他人を訪問し命を得るよう援助しているのに,主人にとっては愛する兄弟である親族を私は顧みていない,と思ったからです。しかし,どう伝えるか,考えただけでも気の遠くなるような状態でした。主人の兄弟たちは事業を営んでいるのでとても忙しく,この世的には恵まれているので,家から家の伝道ではまず難しいのではないかと感じました。そうであればどんなことをしてでも私が伝えなくてはと思い,色々と考えましたが,やはり私の力ではどうすることもできません。それからというものは,時あるごとにエホバに祈りました。『大患難を迎える前にその機会を開けてください。そして私を用いてください。そうさせていただけるなら私はどんなことでもします。たとえそのために命を失うようなことがあっても……』。その当時は必死でした。そして,時あるごとにエホバ神にお願いしました。

「このような祈りをするようになってから一年もたたないうちに,事態は思いがけない方向に変化していきました。主人の兄が癌と宣告され,それを悲観した主人の父は自殺を図ったのです。半年ほどの間に主人も主人の兄弟たちも最愛なる人を一時に二人も亡くした訳ですから,それは大変なものでした。これを機会にいや応なく接するようになり,真理を伝えるチャンスが訪れました。主人は私が親族の者と親しくすることをとても嫌いましたが,そのような中で兄嫁との定期的な聖書研究が取り決まりました。研究が進むにつれ,兄嫁の主人からの迫害も加わり,その迫害も離婚するという脅しだけではなく,身体的にも迫害を受けました。お互いに歩いて一,二分の距離にいながら一切の行き来を禁じられ,研究さえ危うい状態になりました。そのために主人の弟の嫁や癌で父を失った姪たちも恐れをなしてしまって私に近寄らなくなり,私自身もすっかり落胆して,もしかしたら兄嫁も離れてしまうのではないかと考えるようになってしまいました。サタンのわなだと気づいた時に,自分がエホバに『命さえ…』とお願いしたことを思い出し,エホバに許しを求め,再びエホバから力を得させて頂くことができるようになりました。そのような中で兄嫁は新しい人格を身に付け,実際の行ないに表わすようになりました。兄嫁は真理を愛する人でしたから,わずか10か月くらいでバプテスマを受けました。それからというものは,兄嫁と二人で,エホバに力づけていただきながら,一人一人に伝えました。まず弟の嫁三人,それから癌で父を亡くした姪二人,そして姪の主人に伝えました。みんな真理が深く入るにつれ,行ないによって実証するようになりました。何年か前まではお互いに憎みあっていたことがうそのようです。私は,エホバの証人でなかったなら,今このような幸せはなかったと思います」。

● 「1964年4月のある日,私の家に中年の婦人が訪問し,間近に訪れる神の王国政府について聖書から話をされました。私は長い間教会へ行っていましたので,人間は正しい事をし神を信じていれば死んで天国へ行ける,また地上のあらゆる問題の解決は地上の政府にしか頼ることができない,と思っていました。二,三の質問の後,婦人の勧めにより聖書の研究をすることを約束しました。研究が進むにつれ,1914年に天の王国が建てられたことや間近にその王国政府によってこの地上に大変化が起こることを知り,驚きと喜びのため胸がどきどきするのを覚えました。早速,埼玉の実家へ行き,父母や兄弟に知らせました。しかし期待していたこととは反対に,あまり良い反応を示さないのでがっかりしてしまいました。そのころ主人にも学んだ事柄に従って話していましたが,主人は12月ごろエホバの証人の一長老と学び始め良い進歩を示し,翌年8月にバプテスマを受けました。その大会のため仙台へ旅行する際留守番を頼んだ妹にお礼のため何をしようかと考えた私は,二週間後に同じ大会が静岡で開かれたのを機会に,ドライブを兼ねてその大会へ招待しました。幻稚園に勤めていた妹は,最初あまり関心を示していませんでしたが,エホバの証人の子供たちがあまりにもよく訓練されているのを見て考え方を変え,ほどなくして聖書の研究を始め,よく進歩して特別開拓者となり奉仕に励んでいます。この間にも他の兄弟や両親に証言することをあきらめていたわけではありません。『ものみの塔』や『目ざめよ!』の予約をプレゼントしたり,新しい出版物が出ればすぐ持って行って話したり,また野外奉仕で会う多くの人々の経験なども話しました。しかし家族の反応は決して良いものではありませんでした。いやな顔をされたこともしばしばあり,今日は真理の話はすまいと思って帰って来る時もありました。が,そんな時,なぜ一言も話さなかったのかと残念に思いました。

「1973年の大阪大会は私たち夫婦にとって考えさせられる大会でした。かねがね必要の大きな所で奉仕したいと思っていましたので,早速協会へ手紙を書き,北海道札幌へ転居することにしました。それは親族に証言する良い機会ともなりました。母はあまりの驚きに寝込んでしまい,兄弟たちも,何も家まで売らなくても,とあらゆる方法で思いとどまらせようとしました。しかし私たちの決心が変わらなかったのを見て,弟は自らトラックで荷物を運んでくれ,そこでエホバの証人たちの親切に触れ,何か深く考えているようでした。

「後日その弟は証人と研究を始め,少し先に学び始めていた妻や子供と共に集会に出席するようになりましたが,翌年2月,交通事故に遭い突然亡くなりました。私たち夫婦と特別開拓者の妹は三晩に渡り,人の死,復活,将来の希望,事物の体制の終わり,サタンの存在などについて話しました。末の弟は,遊びに夢中であまり会えず宗教などには無関心のようでしたが,真剣に考えることの必要を認め研究を始めるようになりました。また既に結婚している妹と近所に住んでいる弟嫁の姪も学び出し,さらに,兄とその妻も学び始めました。そして,迫害に遭い,家を追い出され,二人の子供まで奪われてもなお忠実を保っている妹を見て,『これまでされてもやめない宗教には何があるのか』と言って父も母も学び始めています。現在,妻や子供たち,妹や私たち家族すべて合わせると16人が奉仕や研究に励んでいます」。

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