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  • 目ざめよ! 1979
目ざめよ! 1979
目79 9/22 24ページ

真の幸福に導かれる

私は終戦まぎわに誕生しましたが,父はその2か月後に病死しました。夫を亡くした母は,私を他人に預けて,ある家庭に内縁で入りました。後に10歳になっていた私は母の元に引き取られましたが,家庭の暖かさは与えられませんでした。その上,ギャンブル好きの母は,私を連れてパチンコ屋や鉄火場に通いました。このような生い立ちのため,私は母をはじめ他の人々を熱烈な愛で慕う心の成長は止まったまま大人になったようです。

19歳のころ,妻と知り合っていましたが,20歳で東京に転勤になり,そのころにギャンブルの面白さを知り,25歳で結婚したころには相当ひどいギャンブル狂になっていました。当時,外交の仕事をしていましたので,出勤すると仕事はそこそこにして時間の都合をつけては競馬場や競艇場通いで,夜は夜で決まってマージャンでしたから,帰宅は深夜という,ギャンブルに明け暮れる毎日でした。そのうちに,得意先の集金を使い込むようになり,その事が社長に知られ,「二度とまちがいを犯さず,給料とボーナスで返済するなら」という条件で,解雇されずに済みましたが,半年もたたないうちに同じ事をしてしまい,結局,長年勤めた会社を辞めなければなりませんでした。しかし,幸いにも同業の会社に勤めることができ,そこでは経営者として責任ある仕事を任され厚遇されたにもかかわらず,またギャンブルの魔力に負けて同じ失敗をしてしまいました。この時は会社の資金300万を使い込んでいたのです。私の実家と妻の実家(この時初めて私がギャンブル狂であることを知った)が寄り集まって穴うめしましたので,警察ざたにはならずに済みましたが,何度も失敗を重ねながら一度としてギャンブルから手を引くことができなかった私は,母から受け継いだ因縁のようなものに支配されて,一生ギャンブルから抜け出ることができないような恐怖を感じていました。前途を悲観した私は,自殺を決意し,ビルの屋上に上りましたが,二人の息子の顔が脳裏に浮かび,それを振り切って飛び降りることはできませんでした。

私は妻と出会った時,結婚するなら彼女しかないと思いましたが,それでも彼女を心から愛することはありませんでした。家族が強い愛の絆で結ばれ,それがお互いを元気付け,喜びとなるものである事など全く知りませんでした。そういうものを全く与えられなかった私は,子供のころから,父と母の愛に恵まれた同年の子供たちさえうらやましく思ったことは一度もありませんでした。ですから,妻や子供にとって,私の不誠実さや無関心がどれほどつらいものかも分からなかったのです。また,妻が私の生い立ちを哀れんで,私と一緒に是非とも暖かい家庭を造りたいと願って結婚したことや,それを裏切り続けてもなお望みを絶たない辛ぼう強さなど,理解の及ぶところではありませんでした。しかし,後に私は,妻の愛のみならず,最もすばらしい愛について理解するに至ったのです。

ともかく,私の母の元に身を寄せて,希望のない再出発が始まりました。私が外で働くことに危険を感じた妻は,自宅で何らかの仕事をすることを強く要求しました。それで借金返済の手っ取り早い手段として,自宅を改造してマージャン屋を始めました。私自身マージャンは大好きでしたから,熱を入れ,店は繁盛し,借金は順調に返せるようになりました。しかし,失敗して帰って来た私の前でまだ賭博をやめようとしない母に対して,妻は不満をつのらせるようになりました。その上,すきがあれば手を出したいと狙っていた私を監視しなければならない妻は,だんだんヒステリックになり,ノイローゼ気味になっていきました。私自身もそんな中で心身共にくたくたになり,離婚せずに付いて来た妻をうとましくさえ思うようになっていました。

今から6年程前,東京に住んでいたころ,私は「進化と創造」の本,妻は「真理」の本をそれぞれエホバの証人から求めていました。それから5年後,妻は読みあきた本ばかりが並んでいる本棚から,今まであまり興味をそそらなかった一冊の黄色く変色した「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」と題する本を何気なく取り出して読み始めました。以前,妻はマルクス・レーニンだの,唯物論などと唱える組合の活動家と交わっていたため,全くの無神論者でした。しかしその本を読んだ彼女は,ひどく心をゆさぶられ,偉大な理知ある創造者の存在を否定する根拠が持てず,ある種の漠然とした恐れを感じていました。エホバの導きがあったのでしょうか,程なくして伝道者が訪れ,聖書研究を始めるようになりました。「真理」の本の「幸福な家庭生活」の章から学び始めた妻は,その感動を私に話しました。生き生きと学んでいる妻を見て,自分もやってみたいと思い,さっそく私の聖書研究も始まりました。

私は聖書を読めば読むほど,これは真理だという確信を深めてゆきました。無気力だった私の心の中にも,ヘブライ 4章12節にある通り,『神のことばは生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣より鋭く,刺し通し』たのです。まず,日常のささいな事にもうそをつかないよう努力しました。妻からの信頼は急速に回復し,喜びを持って従うようになりました。自分自身と家族を幸福へ導くための案内書,すばらしい指導書を手にしたのです。学び始めて2か月後,たばことギャンブルをやめて,誠実に生きる事を強く願うようになりました。それを決心した時,マタイの中の「いっさい誓ってはなりません。……あなたがたの“はい”ということばは,はいを,“いいえ”は,いいえを意味するようにしなさい」という簡単明瞭な言葉を素直に受け入れることにしました。(マタイ 5:34,37)もう人が私を監視する必要は全くありませんでした。苦しみをほとんど感ずることなく,その後きっぱりと断つことができたのです。優柔不断の私がこれをなし得た事は,切なる祈りをエホバが聞いてくださり,私に力を与えてくださった結果であることに疑問の余地はありません。エホバが力を及ぼす神であることを知った私にとって,身辺を整理するのにちゅうちょする必要はありませんでした。問題の多いマージャン屋の処分,借金返済,新しい就職口と,問題は多くありましたが,エホバは道をことごとく備えて祝福してくださいました。

私と妻と息子二人は,今,愛と喜びに満ちたクリスチャンの家庭生活を得ている幸せな家族です。そして,エホバとイエスの愛を知り,それに答え応じる喜びに勝るものは何もない事を確信し,妻と共にバプテスマを受け,エホバのご意志を行ない続けたいと願っています。―エホバの証人の巡回大会で語られた経験。

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