自殺寸前のところを救われる
人種の違った人と同棲したため,私は両親から縁を切られ,父親からは今度会ったら殺してやるとまで言われました。二つの世界の間にはさまれ,どちらからも受け入れられず,私のほうもどちらかの世界を選ぼうとはしませんでした。苦しみと憎しみに満ちたこの世の中に嫌気がさし,世の中を変革しようとして共産主義,ヒッピー生活,女性解放運動などあらゆるものに手を出し,自分が正しいと考えるもののために闘いました。やがて,教会の教える神に対して憎しみを抱くようになりました。たとえ火の燃える地獄で焼かれることになっても,そのような神には決して仕えない,と心に決めました。
しかし,この体制とその体制の神に対する2年にわたる闘いののち,私は精神的に参ってしまいました。自殺する決心をし,最後に生まれて初めて名前も知らない神に祈りました。無知な私は,自分のことを何か気づかってくれているのなら,その日の2時前に何とかしてください,さもないと自殺します,と神に告げました。それから,祈りのことなど全く忘れて,自殺の準備に取り掛かりました。
2時前にエホバの証人が私の家の戸口をたたいたのです。このエホバの証人は幾度も私の家にやって来たことのある人で,その回数は数えられないほどでした。その婦人が訪問する時,私はいつも寝ていました。毎回文書を求めはしましたが,その婦人の神に対して軽べつ的な態度を示しました。その日,その婦人がやって来ると,腹立ちまぎれに大声で非難の言葉を浴びせました。しかし,その婦人が自分の崇拝している神について話し始めた時,私は初めてその話に耳を傾けました。飢えに苦しむ人々や体の不自由な子供たちで満ちた堕落した世界をもたらすことが神のご意志などではないことが説明されました。その婦人の言葉に私は一条の希望の光を見いだし,一緒に聖書を研究することにしました。その後ほどなくして,私は自分の命をエホバにささげ,バプテスマを受けました。
この体制が終わりを迎え,語ったことを必ず行なう神がおられるという知識は,私の思いと心に,幼い子供のころから経験したことのない平安をもたらしました。今では結婚も法律にかなった正式なものとなっていますが,エホバは私の結婚生活を祝福し二人の息子を授けてくださいました。また,エホバの組織には,私を真に愛してくれる友人たちがいます。
これ以外にも沢山の祝福がありますが,この命がなければ,そうした祝福の一つといえども現在のように享受することはできません。エホバが私の祈りを聞き届けてくださらなかったなら,そして愛するエホバの証人が私の所を再び訪問してくれていなかったなら,私は死んでいたことでしょう。しかし,私は生きています。この命は定めない時にいたるまでエホバのものです。―寄稿。