真理の価値を見いだした人々
人生には何の希望もなく,宗教にも無関心で,エホバの証人が訪問しても聖書の話に耳を傾けなかった60歳の一人の婦人が,聖書を手にしてわざわざ札幌から沖繩まで出かけるように心を動かされたのは何がきっかけだったのでしょうか。その婦人はこう説明しています。
「1978年の(エホバの証人の)国際大会のとき,エホバの証人となっていた長男の家族(沖繩在住)が,同じ沖繩の3人の婦人のエホバの証人を伴って来札しました。その時の長男夫婦の行状の素晴しさと,孫たちの従順な態度に感心した上,同伴の婦人たちのクリスチャンとしての素晴しい行状にすっかり心をひかれてしまいました。十日あまり滞在して帰りましたが,その期間中,本当に毎日が楽しくて,楽園に生活しているように思えました。……帰ったあとに私の部屋に残されたものは1冊の聖書だけでした。私の60年余の人生は何の希望もなく,宗教にも無関心でしたから,以前エホバの証人が訪ねてきても話を聞き入れることはありませんでした。そのため長男が残していった聖書も頑固なまでに,開いてみることさえしませんでした。
「約1年ほど経過したとき,その間ずっと沖繩のエホバの証人や長男家族と過ごした時の楽しかったことや彼らの行状がいつも頭から離れませんでしたが,もう一度長男に会いたいという気持ちは次第に高じてゆきました。とうとうその気持ちを抑えることができず,思い切って聖書を持って沖繩に出かけました。
「3人のクリスチャン婦人や仲間の皆さんの温かいクリスチャン愛に接し,集会に出席したり,長男の聖書研究にも参加したりして,お年寄りがどのようにして真理を学ぶのかを知った時に,私も学びたいと願うようになりました。沖繩に滞在した20日間の期間中,少しの時間でもあれば長男から聖書の真理を求めました。……その結果,いろいろな疑問に対する答えが得られ,喜びのうちに帰って来ました。
「札幌に帰って3か月ほど後に,長男が再訪問をしてくれるよう地元の長老に依頼したので,一人の婦人の奉仕者がさっそく電話をかけてこられ,すぐ研究を行なうことにしました」。
聖書の真理の価値を認めるようになったこの人は,今度は自分の子供たちに話すようになりました。その結果はどうだったでしょうか。
「私は次男の家族と同居しています。それで真理を次男夫婦に話しました。嫁はそれまで私に母親として敬意を示してくれましたが,真理を語るようになって以来そうした気持ちがだんだん薄れてゆきました。しかし嫁はこうした状態がよくないことに気付き,聖書を調べてみるなら私に対する思いも以前のように良くなるかもしれないと考え,私より2か月後に研究を始め,よい進歩をとげました。次男も学ぶようになり,孫たちも一緒に教えを受けています。
「私の家の隣には次女夫婦が住んでおります。次女は私たち,つまり次男,次男の嫁そして孫たちが聖書を学ぶのを見て最初のうち避けていました。と言いますのは,次女夫婦は3年前に家を新築し,次女はローンの返済を助けるためにパートの仕事をしており,疲れて休んでいる時にエホバの証人が伝道に来るので腹がたって,雑誌を求めてすぐ帰ってもらいそれをすぐにやぶり捨てるほどで,エホバの証人に対して偏見を抱いていたからでした。しかし,長男家族や3人のクリスチャンの婦人たちの来札をきっかけに,多少見方に変化が生じたようです。特に子供の教育について長男から助言を受けたことがきっかけで,すっかり自信を失いかけていましたので,私たちが聖書の勉強を始めてまもなく研究を始めるきっかけができました。また,引き続き次女の子供たち二人も教えを受け,こうして私と次男家族,次女家族(次女の主人は学んでいない)合わせて9人が真理を学んでいます」。
このような年配の婦人だけでなく,若い人たちの中にも聖書の価値を認めるようになる人は大勢います。19歳の若者は小学校3年生のときに母親と共に聖書を学び,続いて父親も真理に入ったのですが,しばらくして全く真理から離れてしまい,世の生き方を追い求めるようになりました。若者たちを取り巻く悪い交わりの及ぼす影響やその若者に再び真理に対する愛をめばえさせたものが何であったかについて,経験から学んでみることにしましょう。その若者はこう述べています。
「4年生になって伝道者にもなりました。しかし集会や伝道は心からではなくいやいやだったようです。中学3年生になったころ,悪い友達と交わるようになってからは全く真理から離れてしまいました。この世がとても魅力的でした。そして『ハルマゲドン(神からもたらされるこの悪い体制の滅び)で自分が滅んでしまうなら,この世の友達と滅んでもいい』と思うようになりました。それで自分の意志を表現したとき,親や組織に対する反抗となって表われました。その後,非行に他の悪友を誘い,いわばリーダー的に行動するようになりました。
「しかし,非行(たばこ,シンナー,盗み,暴力,暴走)を行なっても,いつもこれではいけないと思っていました。死んでもいいと思っていても,自分の体がそうした悪習によってだめになるのが不安でした。そのころは家族をめちゃめちゃにしてやろうと思い,父や母にも暴力を振るいました。校内で先生や生徒に暴力を振るったり,警察に補導されたりしたこともありました。
「そうした中でも,家族はいつも定期的に集会や奉仕に参加していて,自分の予想とはうらはらに,全く動じていないように見えました。それで『なぜだろう。その信仰はただものではない。自分が知らない何かがある』と思いました。また,ちょうど自分は人格を変化させなければとも思っていましたので,やはり真理がこの点で大きな助けになることを,エホバの証人の行状を見てよく理解できました。
「再び親との聖書の研究が始まったときに,心にかたく決意していましたので,悪い喫煙の習慣など,どんなつらいことでもがまんできました。全時間行なっていた世俗の仕事も,開拓奉仕(全時間を伝道などに費やす奉仕)を目ざす旨を表明したときに調整することができました。悪い交わりによって身についた言葉遣いも,言葉を出す前に一呼吸おいて話すようにして克服しています。以前の世の友は私が『気が狂った』と言って自然に離れてゆきました。本当に,悪い交わりが有益な習慣を損なうということをつらい経験から学びました(コリント第一 15:33)」。
このように聖書の真理は人の人格を良い方向へ変化させる大きな力がありますが,人生のより優れた目標を見いだすうえでも価値があります。新潟に住む一人の男の人は新たな人生の目標を見いだした喜びについて次のように書いています。
「真理に接する前,私はある大学の修士課程で数学を専攻する学生でした。数学の中でも比較的最近耕され始めたある分野で,抽象的な対象を分類したり,特徴づけたりするその研究は多くの収穫を期待できる有意義なことのように思えました。すでに生涯にわたってその仕事に従事しようという計画を立て始めているところでした。
「ところが,ある雨の降る日に一人の男性のエホバの証人が私の家を訪問してくださり,私の本棚の隅に眠っていた聖書の巻末の書の一節から,私が中学時代に通読した時には理解できなかった事柄について指摘され,その日のうちに聖書研究が始められました。
「『相手が問題を提出している以上,それについて考察が加えられねばならない』という義務感がそうさせたかのようでした。ですから,真理を求める純粋な動機がなかったために,長い間真理は心に入りませんでした。加えて,人を避ける傾向,つまり心のうちに自分を高める傾向が根強くあって,聖書の原則の多くは自分に適用し難いように思えました。集会などでのうちとけない大歓迎を負担に感じたりもしました。
「しかし,『今ある命がすべてですか』とか『聖書はほんとうに神のことばですか』a などの書籍が,私の側に大きな問題があることを指摘し,真理が私の生き方と密接な関係があることを気付かせてくれるようになりました。また,ある奉仕者は祈りの重要性について機会があるごとに私の注意を向けてくださり,同時に精力的にエホバの証人たちと交わる機会を設けてくださいました。ほとんどのエホバの証人が,何らかの問題を抱えながらもエホバのご意志を優先し,好ましくない状況にありながら喜びを保っていました。特にすべてのエホバの証人が円熟に向かって進歩する途上にあり,払わねばならない犠牲を覚悟している態度を表わし示していました。
「こうして,エホバが最高の教育者であられ,生ける唯一の,回復をもたらす方であることが分かってきました。そして,エホバの宇宙主権の立証が重要なこととして浮かびあがってきたため,『信仰』が私にとって是非とも必要なものとなりました。私に何ができるでしょうか。何かすべきでしょうか。献身するために準備しなければなりません。数学はどうしましょう。時間はとれるでしょうか。エホバは私に数学をさせておいてくださらないでしょうか。これは時間を独占していたのです。エホバのご意志に近いですか,遠いですか。明らかに決断を必要としていました。助けはあるでしょうか。
「『失うに時あり』,『よい時を買い取りなさい。今は邪悪な時代だからです』,『汝おのれのために大いなる事を求むるなかれ これを求むるなかれ』,『人はおのおの自分自身の荷を負うのです』,『ああ神の富と知恵と知識の深さよ。……「だれがまず神に与えてその者に報いがされねばならないようにしただろうか」』。実に多くの聖句が数学を中止しようとするのを助けてくれました。……中止した現在,より多くの時間を霊的な事柄に費やすことができ幸福です。集会のすべてや奉仕と以前の数学とを比較するとき,パウロのように,「いっさいのことを損とさえ考えています。……多くのあくたのように考えています」と言うことができます。
「私は良いものを何も持っていませんでしたが招待されました。こうして始めることができたからには,いつまでも感謝の念を忘れず,最後まで走り通すことができますように」。
[脚注]
a 「ものみの塔聖書冊子協会」発行の本。