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目82 6/22 13–14ページ

“無宗教ヒューマニズム” 新しい宗教か,それとも古い哲学か

プロテスタントの説教者たちは,神と道徳規準に対する信仰を覆す陰謀だとして“無宗教ヒューマニズム”を非難しています。“ヒューマニスト”を自任する人々は,自分たちは魔女狩りの犠牲者だと述べています。ではヒューマニズムとは一体どんなもので,クリスチャンはそれに対してどんな反応を示すべきでしょうか

「無宗教ヒューマニズムはアメリカの宗教になっている」と,テレビを通じて福音を説くジェリー・フォールウェルは述べています。「我々は公務からあらゆるヒューマニストを除き去り,その代わりに,道徳を擁護する政治指導者を当てなければならない」。こう警告しているのは,“ヒューマニストの脅威”に関する本を著わした説教者,ティム・ラハーイェです。

米国の新聞紙上で最近このような陳述が注意を集め,また危機感を深めさせています。ニューズウィーク誌はこう評しています。「根本主義者の新右翼は,新たな怪物に立ち向かうための策略を……変更した。標的はキリスト教の根本主義者たちが“ヒューマニズム”と類別するものであり,ヒューマニストとみなされるあらゆる人々に対する彼らの運動は,1950年代の反共運動と同じほど辛らつなものになるおそれがある」。

では,“無宗教ヒューマニズム”とは何でしょうか。タイム誌には,「それは新右翼の人々にとって,彼らに同調しない,共産主義の側に立つほとんどすべての人々の教えや実践を表わす用語となった」と述べられています。

実際のところ,“ヒューマニズム”には,“ヒューマニスト”あるいは“反ヒューマニスト”と同じほど多くの定義があります。伝統的に,ヒューマニズムはルネサンスと結び付けられています。当時ヨーロッパ,特にイタリアには,トルコ人に攻囲されていたビザンチウムからの古文書がはんらんしていました。その結果,退屈な中世のスコラ哲学にへきえきした人々が,古代ギリシャおよびローマの文化を熱烈に求めるようになりました。カトリック教会の抑圧的な支配の下で神について学んだ1,000年間が過ぎ,ルネサンス期のヨーロッパ人は新風を求め,古代の人々を模倣して人間を賛美することに胸を躍らせました。

歴史家のウィル・デュラントは次のような所見を述べています。「多くのヒューマニストの心はペリクレス時代のギリシャ人やアウグスツス帝時代のローマ人の自由な思考と行動に対する羨望の念に満たされ,その結果,謙遜,この世のものではないこと,禁欲などのクリスチャンの倫理が心の中で粉々に打ち砕かれた。そして彼らは,今では喜んでこの世に転向してしまった僧職者の設けた規則に,なぜ体や心や魂を服従させるべきなのかと疑念を抱くようになった」。

しかしルネサンス期のヒューマニストは,キリスト教という大切な赤子を,偽宗教家という不要な湯と共に捨ててしまいました。デュラントが言及しているように,「大体において[彼らは],キリスト教が神話に過ぎず……束縛から解放された知性で真剣に考えるべきものではないかのように行動した」のです。

その後の幾世紀かの間,昔の古典文学の研究がヨーロッパのヒューマニストにとって新たな宗教のようになりました。ところが古典作家について研究すればするほど,彼らの考えがしばしば誤っており,最も偉大な古典文学でさえ完全さからは掛け離れていることを認めなければなりませんでした。ブリタニカ百科事典(英文)が言及しているように,19世紀には,「古代文明は……理想の領域から一つの歴史的な相対性へと変換を余儀なくされた」のです。ではヒューマニストは次に何を信じることができたでしょうか。

少なくとも一部のヒューマニストにとって,その答えは「ヒューマニスト宣言」と呼ばれる文書が米国で発表された1933年に与えられました。コルネリオ・ファブロという識者の説明によると,「それは本質的に進化の理論に立脚した人類学的な無神論の表明」でした。この後1973年には,科学的手法を支持して宗教を非とした「ヒューマニスト宣言II」が発表されました。これらのヒューマニストにとって,科学が新しい神になったのです。「ヒューマニスト宣言II」に署名した人の中には,数人の僧職者も含まれていました。

ですからキリスト教世界の保守的な説教者たちがヒューマニズムに心を乱されるのも理解し難いことではありません。もとより,「ヒューマニスト宣言」のような文書はヒューマニスト全体の意見を反映しているものではなく,ヒューマニストの間でもあるべき姿についての混乱が見られること自体,問題をはらんでいることの現われです。「ヒューマニズムに関する学問の統一とめざすべき理念は今やついに打ち砕かれた」と,哲学の教授,ジョージス・ポール・グスドルフは認めています。

ヒューマニストは,「人間は万物の尺度である」と述べた古代ギリシャの哲学者プロタゴラスの言葉を好んで引用します。プロタゴラスはこう述べて,絶対的な真理を見いだすことはできないと言おうとしたのです。こうした考え方は真のキリスト教と相入れるものではありません。クリスチャンは,自分たちが真理を実際に見いだし,真理によって自由にされたと確信しているからです。(ヨハネ 8:32)クリスチャンは,エホバ神とそのみ子イエス・キリストが,「万物の尺度」であることを認識しています。―エフェソス 5:1。ペテロ第一 2:21。

ですから,見かけが無神論的なものであれ,“古典主義的な”ものであれ,ヒューマニズムに賛成できないとはっきり語るのはクリスチャンにとってふさわしいことです。真のクリスチャンであれば,神への忠誠を曲げることなく,ヒューマニズムの見解を受け入れることはできないのです。

では,いわゆる宗教的右翼が行なおうとしているように,政治の場でヒューマニズムと闘う権限を,聖書はクリスチャンに与えていますか。与えていません。西暦1世紀に偽りの思想と闘う際に,使徒パウロは政治に訴えましたか。そうしたことは全くありませんでした。「わたしたちの[霊的な]戦いの武器は肉的なものではなく……わたしたちは,いろいろな推論や,神の知識に逆らって立てられたいっさいの高大なものを覆しているのです」とパウロは語っています。―コリント第二 10:4,5。

今人気を呼んでいる様々な形態のヒューマニズムは,確かに『神の知識に逆らって立てられた高大なもの』ですが,真のクリスチャンは政治闘争のような『肉的な武器』でヒューマニズムと闘うことはしません。イエスはご自分の追随者が「世の者ではない」と明確に示しておられるのですから,どうしてそのようなことができるでしょうか。(ヨハネ 15:19)真のクリスチャンはむしろ,ヒューマニズムやこの混乱した時代における他のすべての“主義”に対する霊的な戦いに喜んで携わります。どのようにしてでしょうか。唯一の真理の源であり,信頼できる「万物の尺度」である神の言葉を携えて,全世界の人々の所へ直接出掛けて行くことによってです。―テモテ第二 3:16,17。

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真のクリスチャンはヒューマニズムに対して霊的な戦いを行なうが,それを政治的闘争の場に持ち込むことはしない

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ヒューマニスト宣言 ―『進化論に立脚した無神論』

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