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目ざめよ! 1983
目83 7/8 23ページ

子供たちも霊的な思いを持てる

今の世の中には,一部の若い人々の態度について心配する大人が大勢います。ここ数年の間に,十四,五歳の子供たちの非行が驚くほど増加してきました。

1983年4月15日付の英文読売に,「非行が続くことを懸念する校長たち ― 調査で明白に」という見出しの記事が載りました。それによると,中学校長の約8割が,今後3年間非行は続くのではないかと懸念しています。この調査では非行少年に関する四つの顕著な態度も明らかになりました。非行生徒は,(1)平気でうそをつき,(2)無気力で学業不振,(3)責任を他に転嫁し,(4)罪悪感を持たない,ということです。それに加えて,利己的なところがあり,他の人に対する思いやりも欠けています。

教育者たちは状況が悪化することを恐れていますが,すべての若い人々がそれほど無感動ではないことを知ると安心します。

例えば,小学校2年生の小さな女の子が家族と一緒にクリスチャンの集会に出席しました。ある集会で,巡回監督(巡回区内のエホバの証人の諸会衆を1週間ずつ訪問し,援助を与える旅行する奉仕者)が話をし,バプテスマを受けることは神と和解して神との良い関係を持つことであると説明しました。その子はこの話を聞いてすっかり慌ててしまいました。少女はその理由を次のように説明しています。「私はそのことばをきいて自分はまだ神とわかいしていないと思いました。そしてだんだん悲しくなり,終わりの賛美の歌をうたう時は悲しい気持ちで一ぱいになって,お祈りをしている時には涙が流れてきてとまりませんでした。そしてすぐに巡回かんとくの兄弟の所へ行ってそのことを話したいと思いましたが,涙が出てなかなか話せませんでした。やっと話すと兄弟はとてもはげましてくださいました。両親も,とてもよろこんではげましてくれましたが,でもその時私には,まだあまり知しきがありませんでしたから,バプテスマを目標に勉強しようと話し合いました」。

この少女はすぐにバプテスマを受けたでしょうか。少女は続けてこう述べています。「大会が近づくたびにこんどこそはと思うのですが,だめでした。でも,去年の4月4日の『ものみの塔』研究で,『わたしがバプテスマを受けることに何のさまたげがあるでしょうか』という記事を学んだ時,私はもうバプテスマを決意しているのだからさまたげるものはなにもないと考えて,6月の大会で,やっとうけることができました。巡回ほうもんからちょうど1年あとでしたが,私は巡回ほうもんの時うけたはげましによって,目標をたっせいできました。それから,巡回訪問のたびに,どんなはげみをうけられるか楽しみにしています。エホバが巡回かんとくをつかわしてくださったことに心から感謝しています」。

そうです,この少女はわずか八,九歳で,霊的な事柄に深い認識を示したのです。この子の両親も影響を及ぼしていたに違いありません。前述の調査で取り上げられた非行少年の態度とは正反対のまじめな気持ちを持った若い人がいることを知ると,心強く感じます。

状況は異なりますが,考え深い一人の子供に出会った人がいます。エホバの証人は戸口から戸口の宣教奉仕で様々な人に会います。一人の奉仕者はある時,小学5年生に会い,「目ざめよ!」誌と「ものみの塔」誌を勧めました。その子は関心を示し,それらの雑誌に対する少額の寄付を持って来るため家の中に入って行きました。しかし母親にだめだと言われました。ところがそのすぐ後,少年は雑誌を求めるための少額のお金を持って奉仕者を捜しに来たのです。

奉仕者はそれらの雑誌とその目的についてもっと詳しく説明しました。そして,その子が抱くかもしれない疑問に答えるため,翌週もう一度訪問する約束もしました。再訪問をしてこの奉仕者はびっくりしました。少年は雑誌を読んでいただけではなく,読んだ後の感想文を手紙に書いていたのです。それは,「ものみの塔」誌1982年12月1日号の迷信に関する記事でした。

この少年がその記事にどれほど深く感謝しているかに注目してください。次の手紙はその少年が書いたものです。「ぼくは,『ものみの塔』と『目ざめよ!』を読んで,一番心に残ったところは,『迷信の鎖を断ち切る』だ。ワワの夫が死んでから,ワワが,死者を恐れて生活するのはおかしいと思う。それは,本文4ページに書いてあるように愛するものに害を加える『死者の霊』などは存在しないからだ。ぼくも,その言葉を信じるべきだと,深く思った。その通りで,今まですごく愛しあっていたら,その人が死んでも,その愛しあった人に害を加えるはずがない。それをワワは迷信を信じて,この言葉には,ぜんぜんしたがわないからこのようになる,ということがわかった。がワワは,やっと,このようなことばをまなび,ついに迷信のくさりをたち切ることができたので『ワワは,やっと神のお言葉にしたがうことにしたんだなあ』とまんぞくに思った。ぼくは,たまに,迷信を本気にしているが,これは,まちがいだということがわかった。こんどから,神のお言葉にしたがって迷信をおそれないで,平和に生きたいと,この本をよんで心にきざみこんだ。ぼくは,『ものみの塔』と『目ざめよ!』をよんでとてもためになったと思った」。

大人と親は,若い人々が霊的な事柄に関心を抱けるように多くの事柄を行なえます。若い人々をからかうのではなく,彼らに助けを与えなければなりません。そうすれば確かに少年非行の問題は次第に少なくなるでしょう。

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