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  • 500年かかって実現した宗教に関する寛容な精神
  • 目ざめよ! 1993
目ざめよ! 1993
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500年かかって実現した宗教に関する寛容な精神

500年前,クリストファー・コロンブスはスペインから出帆しました。コロンブスが出発するちょうど前日,別の船団がスペインを離れ,コロンブスとは違う方角へ向かいました。コロンブスの一行は新大陸を発見して意気揚々と帰ってきました。しかし哀れにも,出帆した別の一団が故郷の土を踏むことは二度とありませんでした。

それらの人々はだれですか。なぜ自分たちの土地から追われたのでしょうか。それはスペインに住んでいたユダヤ人でした。コロンブスが発見を目的とした航海に対する王室の支持を取り付ける2週間前のこと,カトリック教徒だったスペインの統治者フェルナンドとイサベラは,スペインのすべてのユダヤ人を追放する布告を出し,「二度と帰還することは許されない」と申し渡しました。スペインのユダヤ人は神聖なるカトリックの信仰に対して罪を犯したというのです。

この法令は,当時設立されたばかりだった異端審問所と共に,スペインをカトリック化する粛清運動の始まりをしるし付けるものとなりました。ユダヤ人が強制退去させられてから10年後,イスラム教を奉じていたムーア人もすべて国外追放となりました。また異端審問所は,プロテスタントのグループが芽を出し始めるなり,時を移さず弾圧しはじめました。コロンブスは支持者であった王室の不寛容な精神を反映して,土地を発見したときにはユダヤ人をそこから締め出すと述べました。

今世紀に入っても,スペインでは依然として宗教に関する不寛容な精神が行き渡っていました。フランシスコ・フランコの独裁政権の下ではカトリックだけが「公式の保護」に浴していました。他の信仰を持とうとした大勢の人は次々と逮捕されました。スペインのエホバの証人もスペインの霊的な一致を乱したかどで投獄されました。1959年にはカミーロ・アロンソ・ベガという政府役人が,エホバの証人の活動を「根絶」する努力を続けるよう警察に通達しました。しかし幸いなことに時代は変わりました。

1992年3月31日,つまり先の支配者がユダヤ人追放に関する法令に署名してからちょうど500年後,現在のスペインのフアン・カルロス国王はマドリードにある会堂を訪れました。そこで,スペイン国王と,スペインから国外追放されたユダヤ人の子孫との歴史的な会合が開かれたのです。

「我々はスペインで不寛容のページをめくってきた」とスペインの法務大臣トマス・デ・ラ・クアドラサルセドは述べました。今では,ユダヤ人もイスラム教徒もプロテスタント信者も,妨害されることなく崇拝を行なっています。エホバの証人に対する禁令も解かれました。マドリードには,新しいモスクや会堂だけでなく,スペインのエホバの証人の支部事務所もあります。9万人を超える活発な信者を擁するエホバの証人は,スペインではカトリックに次いで大きな宗教であると見られています。

エホバの証人やその信条についてもっと詳しい情報を得たい方は,243-04 海老名市中新田1271 ものみの塔聖書冊子協会か,5ページにある住所から最寄りのものを選び,手紙でお知らせください。

[32ページの図版]

ものみの塔協会のスペイン支部

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