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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「ペレト人」

ペレト人

(ペレトじん)(Pelethites)

ダビデ王の忠節な戦士で,常にケレト人と共に言及されている人々。ダビデがアブサロムの反逆(軍隊の大部分から支持されていた)ゆえにエルサレムから逃げた時,ペレト人はダビデに同行してキデロンを渡りました。(サム二 15:18,23)彼らはシェバの反逆の鎮圧をも助け(サム二 20:7),後にダビデが自分の後継者としてソロモンを選んだ際にはその措置を支持し,ヨアブのようにアドニヤの側に付いたりはしませんでした。(王一 1:38,44)ケレト人とペレト人は正規の軍隊の一部ではなく,ダビデ王に仕える独立した組でした。というのは,ヨアブは軍隊の頭と呼ばれていますが,それとは別にベナヤがケレト人とペレト人をつかさどったからです。(サム二 8:18; 20:23; 代一 18:17)ペレト人のことはダビデの治世以前も以後も述べられていないので,彼らは王位を擁護するために仕える常設の集団というより,ダビデの個人的な僕であったと結論できるかもしれません。―サム二 8:18および23:22,23と比較。

ペレト人の身元を明確にするものが何もないので,それについて数々の意見が出されています。その中には基本的に次のような二つの違った考え方があります。(1)ヘブライ語ではペレト人とフィリスティア人の名称が非常によく似ている(פלתי[ペレト人]に文字を一つ付け加えるだけでפלשתי[フィリスティア人]になる)ので,このことを根拠として両者が同じ背景を持っている,あるいはペレト人がフィリスティア人の一支族であったのかもしれないと言われています。フィリスティア人がダビデの個人的な護衛を構成したというこの意見に反対する人もいますが,この可能性を完全に度外視すべきではありません。(2)一方,ケレト人およびペレト人という名称はダビデの護衛が行なった奉仕の務めや階級を表わす語であり,ケレト人は刑執行者として,またペレト人は走者として仕えたのかもしれません。そのような走者の組のことが,サウルや後代の王たちの治世中に述べられています。(サム一 22:17; 王二 11:4; 代二 30:6)しかしながら,この二番目の見解は最初のものほど広く支持されていません。

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