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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
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あたえることにより大きな幸いをみだす

まつたく満ち足りて,よろこびを感じているときは,幸いです。『幸いな神』であるヱホバは,ほかのすべてのものよりも,幸いなかたです。(テモテ前 1:11,新世)なぜヱホバは,そのように幸いですか? なぜならばヱホバは,まつたく,おしむことなくあたえられるからです。ヱホバに,したがうものたちが,いのちとその祝福をたのしんでいるのを見るとき,ヱホバはほんとうに幸いに感ぜられます。a

ヱホバは,私たちに測りしれないほどの多くの智恵や,知しきや,そしてさとりをあたえられています。それで,私たちはヱホバと彼の性質について知しきを持つことができ,またキリストが私たちの罪のために死なれたということを良くさとり,そして義しい新しい世での,み国の祝福についての望みを持てますので,私たちは幸いに感じます。また,御国会館や,大会や,そして国際大会でほかの幸いな人たちとまじわることができるとき,私たちは幸いに感じます。なぜならば,ともにあつまる幸いな人の数が,多ければ多いほど,そこにはより多くの幸いが,かならずあるからです。

しかし,私たちがうける幸いだけで,自分だけをよろこばすならば,それは私たちが,ひじように未じゆくのものであるということを示します。それは,ふた親からものをもらうことだけに幸いを感ずる赤ん坊や子供のようです。パウロのときにも,クリスチャンのなかに,そのような人がいました。そのようなクリスチャンは,もう教えなければならないはずでしたのに,彼らは,またある人から教えをうけなければなりませんでした。―ヘブル 5:12。

より大きな幸いをさとるために,私たちはヱホバのあたうるという型をまねなければなりません。またキリスト・イエスと使徒たちがのこした,あたえるという手本に,私たちは従わねばなりません。(ヤコブ 1:17。使行 20:35。ルカ 10:17-21)うけたものを,ほかの人にあたえないならば,うけるという目的はまつたく意味がなくなつてしまいます。街頭や人々の家で,この真理をあたえるしかたについては,ほかの人から教えてもらうことができます。そして,私たちは,こまごましたことをくり合わせて,そうする時間をみだすことができるものです。

真理をうけてから,私たちは水のわきでる泉のようでなければなりません。泉はいつぱいに水があふれでて,ほかの人を生きかえつたように元気づけます。私たちは,ギューとしぼらねばならない海綿のようであつてはなりません。もちろん,ある人のところに行つて,それらの人たちが真理を欲しないならば,それらの人によつて,私たちの幸いを取られてはなりません。私たちは,ただ足のチリをはらつて,そして真理を欲している人々をさがします。

私たちが,まつたく無私の心からあたえれば,あたえるほどに,私たちはより大きな幸いを持ちます。惜しみなく,ゆたかに播けば,私たちはゆたかにかりとるでしよう。ヱホバの民ほどに幸いな民はおりません。そして彼らがそんなに幸いであるわけは,より大きな幸いはあたえることにあると,彼らは知つているからです。

[脚注]

a くわしいことについては,1953年2月15日号の『ものみの塔』を見て下さい。

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