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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 8/1 283–284ページ

聖書に基く婦人の立場

聖書の原則は,時代おくれの哲学であつて,いまの近代文明には全くあてはまらないものと考え,聖書の原則をとり上げない人が多くおります。腐敗した裁判官たちは,次の様に考えて自分を偽つています。すなわち,聖書によると,裁判官たちは『神を恐れ,正直な人であつて,不正な収入を避けねばならない』と言われていますが,そんな聖書の教えは流行おくれだと言うのです。資本家たちは,こんな風に考えて自分を偽つています。すなわち,神の言葉は,どん慾とむさぼりを強くいましめ禁じていますが,そんなことはまるで意味をなさないというのです。また,聖書は偽善の悪徳について語つていますが,牧師たちは,その聖書の言うことを全く無視しています。―出埃 18:21。マタイ 23:1-33。ヤコブ 5:1-6。

同様に,男女同権主義者たちは,聖書の教えを無視し,「すべての女の頭は男である」と聖書の言うことは,全く時代おくれの哲学であつて,現在には適さないのだと主張します。(コリント前 11:3)男女同権主義者たちによると,婦人が従属の立場においやられているのは正しくないことであり,そして婦人がその従属の地位をうけ入れることは,偽りの生活をすることであり,女性に大きな叛逆の罪を犯すものであるというのです。この意見を持つている一番の代表者は,いまシモン・ド・ビボールで,その人の書いた『第二の性』は,アブラハム・ストンによつて,1953年4月の『科学アメリカ』誌の中で論評されました。

この男女同権主義者は,次のことを私たちに信じさせようとしています。すなわち,女は『女』として生まれているのではなく,男が女の上に強制する独断の環境や状態のために,女は女となるというのです。女性の生理上の特質は,婦人の生活に『辛いこと』の続きをもたらすということを認めながらも,そんなことは平等という問題にとつて,なんら重要なことではないと,シモン・ド・ビボールは言い張ります。そして,婦人たちを強くはげまして男の支配に反抗させ,婦人の個性を主張させています。

しかし,この男女同権主義者は,甘い考えかたにふけつているということは,事実により示されています。これらの事実ということについて,ジー・ビー・ライス博士は,1949年2月の『コロネット』誌の中で,一人の少女について語つています。その少女は,少年のように育てられましたが,感情をも含むすべての試験をされた時,他の少女たちと全く同じ結果を示しました。女は,女のするように行うのです。それは『環境とか訓練のためではなく,女の体も心も,一番最初の時から女らしいものだからです。女を造り上げる何千万という細胞のどれ一つも,男のものとは違つているのです。女と男の細胞は,そんなにも違つていますので,顕微鏡で見るとき,はつきり区別されて見られる程です。最近に,二人の科学者は,女の頭脳の化学上の出来かたは,男の頭脳の出来かたとは同じでないということを示した程です。』

遺伝原質のことを論じている時に,同博士は,身体上の面についてこう述べました『女は男よりも,わずか5分の1だけ小さい(6パーセント短く,20パーセント体重が軽い)が,筋肉の力では男のやつと半分より多いぐらいです。』そして智力の面ではどうですか? 幼児の時から,高等学校を終る時まで,少女は男の子よりも智力がまさつています。『しかし,それから何かが起つて,男の子は少女よりもまさります。一つの級として婦人が,智的なことについて,男と張り合うということは決して再びありません。婦人の鋭い目は,人々と個人関係の内部の世界に向けられます女は『女』であつて,男とは違うということは,創造主の智によるのであつて,男の独断は断言によるのではないということは明らかです。

聖書に基く婦人の立場を論ずる時,制度の原則を考えると,その論理は,はつきりとしてきます。造られたもので,天にある目に見えない大軍は,神の制度として共に働き,そして神の妻または女として言われています。神はその頭であり,供給者です。次に,キリスト,イエスは,彼に従う者たちの体の頭であり,そして夫です。イエスに従う者たちについて,聖書は多くのところで,花嫁または処女と言つています。(イザヤ 54:5。詩 45:10-14。コリント前 11:3。コリント後 11:2)従属の地位でありますので,どちらの場合でも服従ということが示されています。

クリスチャンの会衆の中にあつても,まつたく同じです。若い者は,年上の者に服従するよう命ぜられています。クリスチャンの各人には,次のように命ぜられています『あなた方を監督する人たちに従い,服従しなさい。というのは,彼らは決算報告をする者として,よろこびをもつてそれをなし,歎きつつしないように,あなた方の魂を見守り続けているからである。』(ヘブル 13:17。ペテロ前 5:5,新世)服従しなければならない人が,この命令を無視してイライラしても,まつたく無駄なことです。

人間の家族は,また一つの制度です。アダムが一人でいた時に,地上には人間の制度がありませんでした。しかし,ヱホバ神が,アダムの側にエバを連れて来て,『生めよ,殖えよ,地に満てよ。そして地を治めて,(下等動物)を支配せよ』という命令を与えた時に,一つの制度は必要でした。(創世 1:28)地についてのヱホバの目的が実現されるためには,アダムとエバは協力し合わねばならなかつたでしよう。そして彼らの中の一人は指導をしなければならなかつたことでしよう。ヱホバはアダムを任命し,アダムに力を与えて,その立場,または役目をとらせました。

その役目は,決して易しいものではありません。というのは,男はただに供給者であり,監督者であるばかりでなく,自分の体を愛するように,妻を愛さなければならないからです。(エペソ 5:21-33)もちろん,夫が正しい愛を示さなければ,妻が深い尊敬を夫に払うのは,もつと難しくなるでしよう。だからといつて,妻はそれを言い訳として,尊敬を払はなくても良いというのではありません。また,妻が夫に正しい尊敬を示さないからという理由で,夫は,その妻を扶養することも必要ないし,そして自分の体のように愛さなくてもよいという言訳は許されません。

献身したクリスチャンの婦人は,その立場を軽べつしてはなりません。母,妻,姉妹,または娘として,彼女の立場は,静かな穏やかな影響を及ぼすというのが特権です。それは,男にたいして,全く力強いものです。リベカは,女らしい智慧を用いましたので,ヤコブは,当然に彼のものとなるべき家督権を得ました。アビガルは,その夫ナバルの頑なことをとりなして,ダビデをなだめました。従順な女王エステルは,女らしい機転を利かせて,準備してからその夫に悪いしらせを告げました。それで,ハマンの謀りごとは失敗し,彼女の生命ばかりでなく,ユダヤ人の残りの人々の生命も救われました。―創世 27:5-29。サムエル前 25章。エステル 3章より9章まで。

それで今日でも,ヱホバに献身した婦人は,機転と忍耐によって,自分の主張を達することができます。反抗することも,言い張ることも必要ではありません。ヱホバに献身した婦人は夫の愛を願い,そして必要とします。そして,聖書に書かれてある婦人の役目を果すならば,それだけに,彼女は愛され,いつくしまれるでしよう。そのように行うことは,不信者である夫にお説教するよりも,ずつと効果のあるものです。―ペテロ前 3:1,2。

それですから,賢い婦人は,聖書の命じている従属の地位にたいして反抗しません。そのような婦人は,ヱホバの智慧と制度の原則を良く認めます。制度の原則によれば,夫は責任を果し,妻は深い尊敬を払わねばなりません。そして,賢い婦人はその能力を向上させて,神の示される相対的自由の範囲にまで達せさせるでしよう。その時に,婦人は最大の幸福を見出すのです。

[284ページの囲み記事]

『誰か賢き女を見出すことを得ん,その価は真珠よりも貴し,その夫のこころは彼をたのみ,その産業は乏しくならじ。彼が存命うるあいだは,その夫に善きことをなして悪しきことをなさず,彼は羊と麻とをもとめ,喜びて手からはたらき……彼は口を開きて智慧をのぶ,仁愛の教えその舌にあり,かれはその家のことをかんがみ,怠りの糧を食わず,その子等はたちて彼を祝す,その夫も彼をほめて言う。……艶やかはいつわりなり,美色きは,呼吸のごとし,ただヱホバを畏るる女はほめられん。』

シンゲン 1:10-13,26-28,30。

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