読者よりの質問
★ エデンにいたアダムとエバは,何時の日か善悪を知るの木の実を食べることが許されたでしようか。―アメリカの一読者より。
『新しい天と新しい地』の本は,75頁のところで,創世紀 2章15-17節を引用した後に,こう述べています,『この命令によると,善と悪を知るの木から食べないならば,人間は死なないが,しかし,禁じられている間に,それを食べるならば,人間は死ぬでしよう。』これは,この木の実を食べることが禁ぜられない時の来ることを意味します。この木は善と悪を決定して定める力もしくは能力を象徴しました。アダムとエバがある一定の期間のあいだヱホバへの従順を証明し,そして何が善であり何が悪であるかについての神の裁きに一致していることを示し,かつ悪しき行を禁ずると共に善き行をすすめる原則を全く自分のものにした後には,ヱホバは両人に善悪を知るの木の実を食べることを許したでしよう。これは次のことを示します。両人は神の下に訓練を受けたことにより,そのような事柄についての神の裁きに一致し,そして何が善であり何が悪であるかについて今や正しく決定し得る,ということです。
しかし,アダムとエバは待とうとせず,そして訓練と神の教えについての必要な期間を経験しなかつたのです。両人はヱホバより先走つた行をなし,その当時に禁ぜられた実を食べてしまいました。そのために何が善であり何が悪であるかについて両人および罪と下完全を相続した両人の子孫たちもはつきり正しく裁いたり決定したりすることができなくなつたのです。キリストによる神の御国の支配の下で地的なパラダイスが復興されても,『善と悪を知るの木』が,人類を試すために復する,とは聖書の何処にも書いてありません。前述の本の346頁にこう述べられています,『地上の試験は,再び植えられる「善と悪を知るの本」で行われるのではありません。完全になった人類は,千年の終りまでに実際の経験から善と悪を身をもつて知ります。その試験は,歴史の最初に人類を惑したものと同じもの,つまり悪魔サタンと悪鬼たちによつてなされます。』
★ イエス・キリストについてイザヤ書 11章10節には,『栄光はそのとどまる所(休息のところ,ア標)にあらん。』と書かれています。この休息のところは,キリスト千年統治中の安息を指しますか。―アメリカの一読者より。
これは安息の休息を指さず,キリスト・イエスの天の住居を指します。地上で宣教していたイエスは,永遠の住居を持たれず,次のように言いました,『きつねには穴があり,空の鳥には巣がある。しかし,人の子には枕するところがない。』(マタイ 8:20,新口)しかし,イエスは栄光に輝く休息の場所を天に有しているのです。休息の場所を住居として用いる類似の使用は,ルツ記 3章1節に述べられています,『姑ナオミ彼に言いけるは,女子よ我汝の安身所を求めて汝を幸ならしむべきにあらずや。』この言葉を語つたナオミは,ルツのために永住の家を得ようとしたのです。それで,イザヤ書 11章10節にあるキリストの栄光に輝く休息のところは,彼の天的な住居のところを指します。
★ 新しい世の社会を,現代の逃れの邑と言うことは正しいですか。―アメリカの一読者より。
1956年4月15日号の『ものみの塔』を見るとき,新しい世の社会を逃れの邑と同意語のものにしていないことを知るでしよう。逃れの邑は,血の神聖さに関する神の契約を破つたために受ける死から私たちを守るヱホバの御準備と示されています。私たちは,ヱホバの大祭司,キリスト・イエスのなす働きの恩恵の下に来て,その下に留まらねばなりません。