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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1964
塔64 4/1 220ページ

終りの時にあって決して神にそむかない

創造主エホバ神は,だれをも必要とされません。ですから永遠の過去から,孤独を感ずることもなく,だれかを必要とすることもなく存在してこられました。

しかしその永遠の過去のある時,エホバはその知恵と愛とにより,生物の創造を開始することを善しとされました。かくして最初に造られたものは,神のひとり子である言葉で,のちにイエス・キリストとして知られるようになりました。エホバ神とそのみ子は人間を,自分たちのかたちに造って,特定の性質と能力を与え,また,正しいことを行ない,神に服従して生きるか,悪を行ない,神に反逆して死ぬか,どちらかを選ぶ自由をお与えになりました。しかし神は人間が何をしようといつも真実であられます。というのは神はご自身を否定することができないからです。―テモテ後 2:13。

アダムとエバに対する神の目的は,彼らがふえて地をしたがわせ,下等動物を治めることでした。(創世 1:28)彼らの認識と価値をためすために神は一つの制限をもうられけました。つまり彼らはある特定の木から食べてはならなかったのです。(創世 2:17)アダムとエバが神のおきてに従っていた間は,「知恵ある子は父を喜ばせ」と書かれているとおり神を喜ばせました。―箴言 10:1,新口。

しかし神にそむいたとき,アダムとエバはもはや神に喜びをもたらしませんでした。それで神は義なる者の組織から彼らを絶ち,エデンの園から追い出されました。そのため彼らは,いばらとあざみとを生ずるのろわれた地から得るものでほそぼそと生活している間に死んでしまいました。創世 3:19)しかしエホバ神は,アダムとエバが自分の期待にそむいたからといって,失敗されたのでもなければ,困惑されたのでもありません。エホバ神は宇宙の全能なる主権者であられますから,人間が何をしようとすまいと,地球と人類にかんする目的を遂行されます。―イザヤ 55:11。

アダムの時以来,他にも多くの人間が神の期待にそむきました。長子の相続権を軽視して,聖なるものを尊重せぬ者であることを示したエサウがいます。(ヘブル 12:16)エホバを捨てた他の顕著な者のなかには,カイン,アカン,サウル王,ソロモン王などがいます。事実,イラエスル民族は,エホバがそのみ子を地につかわされたとき,わずかの者を除いて全部エホバの期待にそむきました。イスカリオテのユダもそうです。ユダは3年余も神のみ子の親しい友人でしたが,みじめにも神の期待にそむきました。これらの人はみな,神に奉仕する特権をもっていました。そしてみな不忠実のゆえに神の期待にそむきました。みな何かの理由で後退したのです。そのため神はもはや彼らを喜ばれなくなりました。―ヘブル 10:38,39。

しかし,エホバ神は,その間神の期待にそむかなかった霊者と人間をお持ちでした。最初に生まれたみ子イエス・キリスト,アベル,エノク,ノア,アブラハム,モーセ,ダビデその他忠実な使徒たちがすなわちそれです。彼らはみな忠実を保ち,嘲笑する悪魔サタンに対する答えを神に与えて,神を喜ばせました。―箴言 27:11。

この古い世の終り ― 聖書の預言の成就によってそのことは明らかである ― に住む私たちはだれに習うべきですか。神の期待にそむいた人ですか,それとも忠実を証明した人ですか。神は今日,預言されていたとおり,ご自身の目的を実行して神に対する忠実を証明している民をお持ちです。(イザヤ 43:10-12)この民を神は,ご自身とご自身の目的に関する知識によって啓発され,また御霊を彼らの上において,ご自身の証者に任命されました。私たちはひとりびとり,正しい行いにより,妥協しないことにより,奉仕を着実に行なうことによって忠実を保ち,後退することも,神の期待にそむくこともしない忠実な人々の仲間にはいることができますか。

この終りの時代にあって神の期待にそむかぬようにするには,ちょっとした後退の傾向にも注意しなければなりません。後退はほとんど気づかぬうちに,微妙な方法で始まります。私たちが進歩しようとしないとき,前進することをためらうとき,クリスチャンの宣教において特権を拒否するときなどがそれです。

私たちの後退を食い止める助けになるものは何ですか。それはたくさんあります。その一つは,神が備えてくださった援助によって定期的に神のみことばを研究することです。なぜなら神のみことばは,「人を教え,戒め,正しくし,義に導くのに有益である」からです。(テモテ後 3:16,17,新口)もう一つの援助は祈り,すなわち神と語ることです。さらにもう一つの援助は,御国会館や近隣聖書研究会に共に集まることです。私たちはそこで,愛と良いわざに互いに励まし合うことができます。また熱心な宣教活動から生まれる力も見のがすわけにはいきません。そうしたすべての援助を利用するとき私たちは,後退の傾向をすべて排除し,この終りの時にあって神の期待にそむかぬようにすることができます。

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