「聖霊に満たされて大胆に神の言を語る」
― 1964年度エホバの証者の年鑑から
日本
最高伝道者数: 2,931
人口: 95,750,000
比率: 32,668人に1人
日本には善良な人々がたくさんおり,エホバの証者はその人々を助けて,迷信的な慣習を取り除くためにできるだけの努力をつくしています。人々が,創造者のみこゝろにかなうべく,自分自身の心を変えてゆくには時間がかかります。それで,エホバの証者は,忍耐を働かせつつ,伝道や聖書研究にはげんでいます。1963年は,日本における証言の仕事が大きく拡大した年となりました。その上,京都市では「永遠の福音」大会が開かれ,大きな祝福となりました。日本と沖縄地区の伝道の仕事を助ける,ものみの塔協会日本支部の僕の報告をここに紹介しましょう。
もとより人口9500万の日本人の中にはたくさんの子供がいますが,エホバの証者の中にも熱心な子供の奉仕者がたくさんいるのは喜ばしい事です。8歳の少女は母親と一緒に伝道に行き,聖書の話をして,高等学校の少女とその母親に「楽園」の本を配布しました。この若い伝道者は自分で何度か訪問し,再訪問の話をしたのち「見よ!」の小冊子を使って聖書研究を始めました。母親が一緒についてゆく事もありましたが,研究の司会は少女が続けました。この少女は最近の大会で浸礼を受けました。
中学生の一姉妹は,自分の好きな題を選んで,教室で3分の話をするように割り当てられ,「エホバの証者」について話しました。そののち,級友の一人は彼女のところに来て,その話がとても面白かったと言いました。その級友は「ものみの塔」誌を予約し,今では日曜日の「ものみの塔」研究会に出席し,個人的な聖書の研究を定期的に続けています。別の若い伝道者は,「御国奉仕」の「あなたの光を輝かせなさい」という記事に従い,学校の昼休みの時間を利用して,友人の一人に進化論の誤りについて説明しました。話が進むうち,他に8人の級友が集まって一緒に話を聞いていました。神を否定する者もありましたが,5人は翌週に奉仕中心地で開かれた講演会に出席しました。そのうち二人は定期的に集会に出席しており,うち一人はよく進歩して野外奉仕を始めるところです。
一人の姉妹の伝道者は,東京読売新聞にある「読者コーナー」を利用しました。これは一種の案内欄です。姉妹は新聞社に手紙を書き,土地の会衆の集会について知らせました。2週間後の新聞にはその知らせと共に,伝道者の住所と電話番号が出ました。その後1週間のうちに約20人の人から連絡があり,そのうち9人は彼女の家を訪ねて来ました。姉妹はその人たちに15冊の本を配布し,二つの予約を提供しました。遠方から訪ねて来た人には,その近くにある会衆の場所を知らせました。自分でも男三人女一人と聖書研究を始めました。その多くは仕事の関係て,通常の伝道では会えない人々です。研究を始めた四人のうちの一人は学生ですが,早く進歩し,御国会館の集りに出席し,証言にも参加し,次に開かれた巡回大会で浸礼を受けました。他の3人も集会に出席しており,研究も良く続いています。このすべてが,ほんの数行の新聞の案内欄の記事から得られた結果です。
奉仕年度が終りに近づくと共に,人の関心は京都に集まりました。1963年世界一周シリーズの日本大会が8月21日から25日まで,開催されたのは京都市であり,美しい京都会館がその会場となりました。
大会は仏教の町京都に大きな影響を残し,新しい聖書研究が沢山始められました。一人の高校生は講演会招待ビラを頼りに大会に出席し,エホバの証者が真のクリスチャンである事をすぐに認めました。彼は母親やおばあさんと一緒に聖書の研究をしています。おばあさんは40年も「教会」に通った人ですが,最近では,聖書の教えと牧師の教えとの間に違いがあるのを知るようになりました。大会の運営の仕方に好感を持った市当局の人の中にも研究を始めた人が何人かあります。
この報告が印刷されて,世界のエホバの証者の手に渡るころまでに,東京ベテルの家族は日本における御国のわざを一層おし進めるためにエホバがそなえられた新しい支部の建物の中で生活し,また仕事をしているでしょう。
沖縄
最高伝道者数: 203
人口: 868,000
比率: 4,276人に1人
2年前巡回の僕の妻は一人の善意者に会い,「ものみの塔」の予約をすゝめ,「見よ!」の小冊子を使って,研究を始めました。しかし,この人は2回ほど集会に出席した時,船で22時間ほど離れた八重山群島に移らねばなりませんでした。「ものみの塔」誌は引き続き送られて来ましたが,交りに不足し,以前に学んだ事も次第に忘れてゆきました。遂に「ものみの塔」誌の予約も残りがすくなくなりましたが,その時届けられた雑誌の中に再約をすゝめる通知がはいっていました。小さな再約用紙を手にした時彼女は非常にうれしい気持になりました。協会が自分にも関心を示していてくれると思ったからです。その時以来彼女は,以前に増して毎号の「ものみの塔」にのせられる記事の価値を認めるようになりました。そしてとくに「正しい交りは生命に導く」という記事には心を動かされました。でも,孤立した島にいる彼女がどうしたらエホバの証者とまじわれるでしょうか。しかし彼女は問題の答を得ました。主人がギレアデ学校に招かれ,その1年間の留守の間,私のところに来て一緒に住みませんか,という手紙が,沖縄の巡回の僕の妻から届いたからです。彼女は喜んでそれを受け入れました。沖縄の那覇に来て,最初の月には自分の新しい仕事を探しましたが,その間に42時間伝道し,96冊の雑誌を配布し,二つの家庭聖書研究を始めて,自分が司会するようになりました。彼女が見出した仕事では,月に2回の休みしかとれませんでしたが,神権的な活動のために,毎週日曜日に休みたいという事を話したところ,雇い主は快く認めてくれ,そのうえ,予期以上の手当を約束してくれました。彼女は沖縄で開かれた巡回大会で浸礼を受けました。巡回の僕の妻も,主人が不在の間良く働き,はじめの半年のうちに,彼女が聖書研究をした人のうち8人が新たに献身してバプテスマを受けました。