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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1965
塔65 10/1 579–580ページ

自分の信仰を弁明できますか

自分の宗教を持ち,それを愛し,大事にしておられますか。それなら,自分の宗教について語り,それを他の人と分かつことを喜ばれるでしょう。他の人の益になるものを持つ時に,それを互に分け合うのは愛のあらわれです。あなたの宗教がまことのものなら,それは真理である神のことば聖書に堅い基礎を置いているはずであり,聖書を使ってその教えを弁明できるはずです。それゆえ,ここでひとつのことをたずねましょう。あなたは,聖書を使って自分の信仰を弁明できますか。イエス・キリストの使徒シメオン・ペテロは,「心の中でキリストを主とあがめなさい。また,あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい」と書いていますから,これは大切です。(ペテロ前 3:15)真のクリスチャンなら,聖書を使って,自分のいだく信仰を弁明できねばなりません。あなたはできますか。

しばらく前,一人のカトリック信徒の婦人は,自分の信仰を他の人に伝え,疑問にも答えられるようになるため,知識を深めようとしました。その努力について婦人はこう書ています。

「数年前,主人と私は,自分の宗教に対する理解を深めるため,夜間クラスに行きました。クラスの開かれた2年の間,私たちは毎週2回ずつ通いました。自分たちの信仰が神を崇拝する唯一のまことの道であると考えていた私は,知識を深めて,未信者に自分の信仰を伝えるようになりたいと思いました。ミルウォーキー市のカトリック案内所主任メホック神父がクラスを主宰しました。問答式の本を使い,それにはいくつかの聖句が引用してありました。また,聖書の一,二章を読むこともありました。

「ある日,エホバの証人の一人が家にたずねてきました。わずかの時間でしたが,多くの聖句が例証されました。それらは私の耳に新しく,自分の信条をくつがえすように思われました。カトリックの教えについては多くを学んでも,聖書をほとんど理解していないことを知った私は,再び聖書クラスに通うことに決めました。今度は,ミルウォーキー市にある別のカトリック教会の集まりです。各回の終わりには,あらかじめ提出した質問の答えを聞く時間が数分ずつありました。私もいくつかの疑問に答えを求めました。しかし,聖書から答えられることはありませんでした。

「つぎに同じミルウォーキー市の聖マリア教会の聖書クラスに行きました。これはブラウン神父が主宰していました。ある討議のおり,神父は,望むなら聖書を読んでも良いが,それは『たいくつな読書』になるだろう,と言いました。神父が大切だとしたのは,カトリック教徒が自分の祈りを暗唱することでした。理由を説明した神父は,自分がしているように,その祈りをするとき,一日の計画をたてられるだろうと言いました。そのような祈りにどんな価値があるのですかと私は聞きました。神父は,その話をした時自分は考え違いをしていたと思うと語っただけでした。「その後私は,『その日,その時は,だれも知らない。天の御使たちも,また子も知らない。ただ父だけが知っておられる』と語られたイエスは,世の終わりがいつ来るかを知っていたのですかとたずねました。(マタイ 24:36)神父は,イエスは知っていたが,その話を聞く人々が知る必要はないと考えて,知らないと言ったのだと答えました。

「クラスでこうした質問をすることは,神父を困らせるのではないかと考え,個人的に話し合うことを申し出ました。神父との面接のおり,私はふたたびマタイ伝 24章36節をあげ,なぜイエスを虚言者とするような言いかたをしたのかをたずねました。神父は聖書を開こうとせず,イエスは神であり,それゆえすべての事を知っていたと述べて,はじめの言葉に固執するだけでした。神父が聖書を使おうとしないので,別の司祭に会うことにしました。

「私はカトリック案内所の主任と再び連絡をとりました。手紙を書き,自分にいくつかの疑問があること,それをタイプで打って神父に送ろうと思っていることを知らせました。問題を調べるため十分の時間をかけて良いこと,答えが得られたら自分の家をたずねてほしいことを伝えました。また,そのときエホバの証人を家に招いておくこと,カトリックがまことの宗教であることを証人に示したいと思っていることも手紙に書きました。返事の手紙がきましたが,神父は私の家に来ることを拒み,私がつり合いのとれた考え方をしていないという意味のことを書いてきました。

「最後の手段として,ローマの法王に手紙を書くことにしました。それで夜間間送電報を出しました。私がたずねたことの一つは,聖書に通じ,私の聖書の質問に答えてくれるような司祭がミルウォーキー地区にいないだろうかということでした。これには16ドル45セントかかりましたが,自分にはそれだけの価値があると思われました。しかし返事はきませんでした。

「私は自分の信仰を貴重なものと考え,いつまでもカトリック教徒でいようと思っていました。疑問の答えを得て,自分の信仰を弁護するためにできるだけの努力をしました。これができないことを知った時,エホバの証人と共に聖書の系統だった研究を始めました。その後間もなく,会の集会に通い始めました。聖書からの証拠を数多く見て,そこに真理があることは容易に理解できました。今,私は野外宣教奉仕に参加することを喜んでおり,カトリック教徒の友人に神の国を伝えています」。

あなたは,聖書にしたがって自分の信仰を弁明したことがありますか。もしだれかが,あなたの信仰の理由をたずねるなら,聖書から適切な聖句をあげて,「これが私の信仰の根拠です。この点について聖書が教えるのはこのことです」と言えますか。使徒ペテロが,「あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい」と述べているのを忘れてはなりません。―ペテロ前 3:15。

たんに信仰をいだいているだけでは十分でありません。それを弁明するそなえが必要です。このためには調べること,すなわち,いろいろな疑問を出し,真理である神のことば聖書から答えを得ねばなりません。

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