新たな空気を漂わせるスペインの国情
まことのクリスチャンは,たとえ政府からの禁止措置や迫害を受けても,宣教の務めを決してないがしろにはできません。1959年,スペインのエホバの証人は初めてそのような事態に直面しました。同年,内務大臣は,エホバの証人のクリスチャン活動の根絶を命じた一連の通達を出したのです。以来7年余の今日まで,投獄,罰金刑,所有物の没収など多数の事件が国内の各地で生じました。しかしエホバの証人はこの苦難の時期に恐れにとらわれるどころか,神から与えられた伝道の使命を忠実に果たしてきました。1958年末,スペインのエホバの証人は平均894人でしたが,現在では平均4302人のエホバの証人が伝道しています。迫害もあかしのわざをやめさせることはできず,警察のおどしも他の人々が宣教に携わるのを妨げることはできません。
内務大臣は,最初の通達が期待どおりの成果をあげなかったことに気づき,今度は以前の指令を変更し,聖書のことを伝道するエホバの証人は浮浪者として逮捕し,投獄するようにという狂気の命令を発しました。しかし,公正な判事は,エホバの証人が法と秩序を尊重し勤勉に働く市民であることを知っており,今日にいたるまで1件の訴訟をも受けつけませんでした。
しかし,このところスペインの政治情勢のみならず,一般市民の宗教感情にも新たな空気が漂いはじめています。長年の伝統がバチカンの公会議によって変改されたため,カトリック信者の間にはかなりの動揺が生じているのです。エホバの証人の活動は,「スペインの精神的一致」をおびやかすという奇妙な理由で,近年文字どおり十数回にわたり法的に禁止されましたが,これは,カトリック教会そのものに敵対する多くの反対者への非難にしてはあまりにもあいまいであるということに一般市民は気づいてきました。そして,カトリック教会の信徒の俗人指導者はおろか,一群の牧師までが,口頭であるいは文書を用いて幾度も小ぜり合いを演じ,政府当局どころか,スペインの教会当局に対してさえ反対してきたのを人々は見ているのです!
このような事態に刺激されて,人々は宗教問題を自ら進んで話し合うようになりました。バチカン公会議が行なった以上,自分たちも信仰の根本問題を今や自由に検討してさしつかえがないと人々は考えています。このような宗教感情が幸いして,幾つかの新しい地域における群れの組織は強められ,その地方のわざは確立されました。小さな村では,中世的な考えをもつ牧師がしばしば封建時代の独裁的な領主のような横暴さをもって村の活動を支配していますが,そこでも人々は自ら進んで物事を考えようとしています。
そのような寒村に住む一人の男の人がたまたま,都会に住む妹を訪れました。丁度その時,彼女の家では家庭聖書研究が司会されていたのです。伝道者は彼に証言し,「失楽園から復楽園まで」という本を1冊配布しました。それから長い期間を経たのちこの男の人は再びその町に来ましたが,今度は,会衆の監督と相談するためでした。そしてこう語りました。「今,村にはすでに9人のエホバの証人がいますから,あなた方の助けがほしいのです」。彼はひとりで研究し,学んだ良い事柄を他の人々に伝道してきたのです。さっそく会衆の伝道者たちが村を訪れたところ,例の1冊の本から真理を学んだ他の8人の若い人々が集まりました。彼らは知識の面で不十分ではあるにしても,神の御心を行ないたいという熱烈な願いをいだいていたので,訪問した伝道者たちは大変驚かされました。そして今後は霊的な知識の面で円熟に進むよう彼らを援助する取りきめが設けられました。
― エホバの証人の1967年度の年鑑から