エホバの保護
● 集会に定期的に出席することはきわめて大切だとエホバの証人は考えています。それで,外部の人々がその習慣に気づかないはずはありません。最近,アフリカのカメルーンのある町でのこと,二つの部族の間で騒動が起きました。これは,その町のエホバの証人が毎週の奉仕会に出席するため御国会館に集まった直後のできごとでした。この騒動を鎮圧するため,直ちに兵隊が召集されましたが,この争いで幾人かが殺されました。そのうちに,二人のエホバの証人が時間に遅れてその集会にやってきました。そして町中でその騒動に遭偶したので,家に戻りました。そのうちの一人は,騒動が自宅にまで波及することを恐れて,自衛のため槍を手にして戸口に立っていました。そのうちに,兵隊がやって来て,その人を暴徒の一人と思い込んで逮捕しました。もう一人の証人は暴徒に誘拐され,殺されました。逮捕されたその証人のことを聞いた他の証人たちが,当局に行ってその釈放を求めたところ,次のように告げられました。「彼はエホバの証人ではない。エホバの証人はみな,集会で聖書を研究していたが,彼は出席していなかったのだ」。兵隊はその人の釈放を拒否しました。騒動が収まってから,兵隊は,だれが騒動に加担したかを確かめるため,その町のすべての男子を集めました。この争いでその夫を殺された婦人たちは,その前を歩くよう命ぜられた男子全員を一人一人見て,その殺害者を確かめることになりました。エホバの証人が前を通ると,きまって婦人たちは,「この人たちは御国会館に集まって聖書を勉強していたので,騒動には参加しませんでした」と述べました。このようなことが二,三回あってのち,兵隊は,エホバの証人全員に帰宅を命じましたが,一方,町内の他の人々は捜査の行なわれている間,暑い日ざしの中に立たされていました。その騒動の結果,教会はしばらくの期間,閉鎖され,エホバの証人を除いてはどんな集会も禁止されました。軍の一指揮官は,「もしすべての教会がエホバの証人のようであったなら,こういう問題は起こらなかっただろう」と語り,「さらに証人たちに向かって,「人々の心を静める,みなさんの良いわざを続けてください」と述べました。確かにエホバの保護は互に交わるその民の上にあることがわかります。
― エホバの証人の1968年度年鑑より