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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 12/1 730–734ページ

『すべての国の民への証言』

エホバの証人の1968年度年鑑より

セイロン

人口: 11,875,000人

伝道者最高数: 276人

比率: 43,025人に1人

わたくしたちが「末の世」に住んでいることを考えるなら,セイロンにおける過去12か月は全く平穏であったと言わなければなりません。奉仕の全分野に充分に参加でき,集会も大会も何の妨害もなく開けました。その結果,わざはたいていの分野で少しずつ増加し,兄弟たちは円熟を加え,会衆の組織を改善する面でも良い進歩がみられました。5月に催された御国宣教学校はこの点で大きく貢献し,その益はさらに続くことでしょう。

多くの神々を崇拝するのは誤りで,唯一の真の神を崇拝するのが正しいことを確信させるのに,多くの勉強を必要とする人がいます。ある兄弟の次の経験が示すように,1週間に数回勉強すれば人はそれだけ早く理解できます。「約2年前,わたくしは,ココヤシを栽培する近所の農園の一青年と聖書研究を始めました。聖書の真理を学び,それを受け入れるにつれて,ヒンズー教の家庭に育ったかれは多くの宗教的儀式に参加しなくなりました。それを不満として両親は反対しはじめましたが,かれは妥協しませんでした。わたくしたちが週2回あるいは3回も研究するにしたがって,かれの熱意は高まって行きました。かれはすぐ他の人に伝道することの必要を認めました。そして自分の理解をさらに早めるため,わたくしが聖書研究を司会している他の家にもついてくるようになりました。その結果,ほとんど毎日1回の研究をすることになり,いなか道を夜遅くまで通うということが何度もありました。進歩は早く,今では定期的な伝道者となり,農園の仕事も忠実に果たしたうえに,1か月約40時間をクリスチャン奉仕に費やします。最近のタミール巡回大会で,かれはバプテスマを受け,現在,福音の全時間伝道者になる時を待ち望んでいます。2か月前かれは農園で昇進を許されましたが,かれをねたんだ他の人々はかれに不利な申し立てをしました。かれを非難する人々の言い分を聞いた時,管理者は次のように言いました。『この男は正直な雇い人で,かれのことばはあなた方90人の証言よりもわたくしには重みがある』。かれに対する非難は無根とされ,かれが今崇拝している真実の神,エホバに賛美のもたらされる結果となりました」。

他の兄弟の報告は次のとおりです。「英国教会の一神学校で司祭になる勉強をしている人たちに話しをするように招待された時,わたくしはエホバに知恵と導きを与えてくださるように祈って,その依頼を承諾しました。『エホバの証人の目的,そしてなぜかれらは他と異なるか』をわたくしの話の主題にして,充分に準備し,エホバの御霊により頼みました。約束の時間に,2時間話す機会を与えられ,その間講師や記録官を含めてすべての人がメモをとりました。続く1時間,聴衆からのたくさんの質問に答えましたが,その多くは,自分たちの教えを支持する目的で,ヘブル書1章8節のような聖句を読み,わたくしの説明を求めるといった形のものでした。これらの質問や記録官から提出された,「起るべきすべてのことがすでに天で定められているのなら,聖書のことばの意味は漸進的に啓示されるとどうして言えるのか」,また「イエスはエホバに頼らずに罪を許す権威を持つと言えるか」,といった鋭い質問にも適切な答えを与えることができたのは,わたしたちの持っているいろいろな聖書究研の手引きの中で与えられる豊富な知識,それらの熱心な勉強,そして記憶を助ける聖霊の援助の賜物でした。食事の時間がきて,わたくしと妻と2人の子供は出席者一同と食事をするように親切にすゝめられました。しかし,討議はそのまゝ,続けられ,『聖体拝領』,地上での永遠の生命,また,『14万4000人だけが救われる』ということなどを話し合いました。「エホバの証人は『クリスチャン』の家庭だけを訪問する」という非難が持ち出されましたが,一人の司祭が自分の生まれた町では証人たちが仏教徒の家庭をはじめ他のすべての家々を訪問するのを知っていると発言して,その非難は正しくないことが認められました。さらに1時間たちましたが,人々はわたくしがまだ食べはじめてもいないことに気がつき,みな大笑いとなり,わたくしが食事ができるようにしばらく黙っていることに同意してくれました。しかしこのように真理を理解してもらう機会が与えられると,受け入れる人がいるかもしれないという希望が生じ,一生懸命説明することで食べることもむずかしくなります。マルスの丘で話していた時,パウロはどんな気持ちだったろうかと考えさせられます。たしかにかれには準備ができていました。長年定期的に熱心に勉強していれば,同じような機会に知識をひき出すたくわえを得ることができます。

もう一人の熱心な御国伝道者は次のように知らせています。「どんな機会にも文書を提供しようという決意は報われます。4月の特別活動の期間に,私はその決心をしました。会った人には,仕事の同僚,顧客,実業家,訪問客,行商人,友人,親類,聖書研究生,また定期的な家から家の伝道で会った人のいずれを問わず,すべての人に予約をすすめました。他の人にも同じことをすゝめました。他の一人の開拓者は,予約切れ用紙をもって訪問する際この方法を実行して益を受けました。用紙にしるされている人の住所をさがすのに,他の人の家を尋ねなければなりませんが,そのたびに,わたくしたちはどうしてその人たちに会いたいかを説明し,それからお尋ねした人たちに予約をすゝめました。そのようにして四つの予約が得られました。幸いなことにわたくしは4月,116の新しい予約を報告することができました。すべての機会に予約をすゝめてはいかゞですか。大変効果的です」。

マーシャル諸島

人口: 18,205人

伝道者最高数: 27人

比率: 674人に1人

宣教者と伝道者の良い努力は確かに祝福され,この1年わざは発展しました。奉仕年度の初めには伝道者が6人,それに,深い関心をいだいて集会に定期的に出席する人が約15人から20人いました。巡回のしもべが訪問した時には,集会の出席者教は平均して70人以上で,公開講演には92人が出席しました。5月には7人が野外奉仕を報告し,6月には18人,そして奉仕年度の終わりまでには23人の人々が野外奉仕にたずさわっていました。

人々を弟子とするわざのこのような成功は,新教の僧職者たちからおきまりの反対を招き,かれらはエホバの証人を偽りの教師として,証人を攻撃するビラを配布しました。一人の牧師は,「自分」の信徒たちが聖書については幼児で,エホバの証人と聖書の話をすれば必ず当惑するだろうから,証人と聖書の研究をしないように警告しました。すると,エホバの証人と研究をしていた教会の役職を持った一人の信徒が,教会の席から立ち上がってたずねました。「エホバの証人と聖書を研究しなければ,どうして円熟できますか。あなたはわたしたちの家に来て教えてくださいませんが,証人たちは尋ねてきて自分たちの教えを聖書から証明します。あなたは私の所からたった3軒先に住んでいるのに,わたくしやわたくしの家のものに聖書を教えに来てくださったことは1度もありません。それなのに,こゝから16キロも離れた所に住んでいる証人たちが,毎週わたくしを訪問してくれます」。その会員が教会を去ろうとしていることに気づいた教会は,今までより高い地位,すなわち牧師の次の階級である執事の職を与えてかれを買収しようとしました。しかしかれはそれを断わりました。それ以来,この人はスクーターに妻を乗せて,16キロのデコボコのさんご道を,時にはひどい悪天候にもかゝわらず,集会に定期的に通っています。先回の巡回大会でかれはバプテスマをうけ,マーシャル諸島における人々を弟子とするわざに喜んで参加しています。

インドネシア

人口: 108,000,000人

伝道者最高数: 1,779人

比率: 60,708人に1人

今年の記念式の出席者教は,昨年のそれを約1400人上回りました。マストラン村では野外市場で,山から吹き下す膚寒い夜気にさらされながら,夜10時,100人以上の関心を持つ人々が出席して,記念式が行なわれました。小さな石油ランプを照明に使い,土の上にしゃがんだまゝ,聴衆は講演者の活に最後まで熱心に耳を傾けました。この孤立した群れは5人の伝道者から成っていますが,これ程多くの仲間の村民が出席したのをみて,みな大変喜びました。この村では夜遅くまで野良仕事をし,その後,夜の9時ごろ夕食をします。集会の始まりが遅いのはそのためです。丁度1年前には,エホバの証人も福音もこの村では知られていなかったのですから,この集まりは驚くべきことです。3年前,1600キロ離れたジャワ市のバンドンで,この村の一人の出身者が教師になるために勉学していましたが,その時,一人のエホバの証人に会いました。かれはまもなく真理を受け入れ,定期的な伝道者になりました。バプテスマを受けてすぐ休暇開拓者になりました。ついに,かれは教師として郷里の村に帰る決心をしました。自分一人きりでしたが,その孤立した区域で御国の音信を伝道する勇気を与えていたゞきたいと,エホバに祈ることを忘れなかったとこの兄弟は語っています。ほとんど毎晩,色々な人に伝道し,夜中になることもしばしばありましたが,1か月に50ないし60時間奉仕しました。村民のおよそ半数は新教の信者で,他の人々は死んだ祖先の魂が住む場所と信じられている巨大な石に毎日供物をあげる精霊崇拝者でした。新教の牧師は執ようにかれの働きを妨害しましたし,精霊崇拝者の考えから霊魂に対する恐怖感を取り除くには大変な忍耐が必要でした。明らかにエホバはかれの祈りを聞きいれられ,かれの伝道のわざを祝福されました。それで1年間に5人の新しい伝道者が得られたのです。記念式のすばらしい結果に力づけられて,この兄弟は特別開拓者になるため教師の仕事をやめました。それで,この孤立した地方で関心のある人々を援助するのに,さらに多くの時間を費やすことができます。

支部の地所にぜひとも必要な増築をするため建築許可を得るために2年間努力が払われましたが不成功に終わっていました。しかし今年の4月,エホバの導きで,広くて格好な新しい家を買う道が開かれ仕事をさらに改善し,拡大に備えることができました。

インドネシアの新政府は信教の自由および表現の自由を維持する努力を続けているので,インドネシアの伝道のわざを拡大するのに今は好都合な事情にあります。昨奉仕年度の初めのころには,共産主義者追放の運動がまだ推進されていましたので,名目だけのクリスチャンが圧倒的に多い地域では,牧師たちが,その非常事態を利用して,エホバの証人に対する偽りの告訴を起こしました。ある場所では牧師が地方警察や軍当局を買収して,兄弟たちを苦しめ,暴行を加え,また逮捕させたりしました。9月にはヌーザ・テンガーラ・チムウ領のアロール島で働く3人の特別開拓者が逮捕され,自分の宗教について他人に話すことを止めますという宣言書に署名するように脅迫され,警官により20回以上なぐられました。かれらのその確固とした立場を変えさせることができないとしるや,警察はその町でエホバの証人として知られている人および関心を持つ人々をことごとく逮捕し,警察署に連行しました。警察ではたたきのめされた特別開拓者を他の兄弟たちに見せ,開拓者に渡された同じ宣言書に署名しなければ,同じ目に合わせてやるとおどしました。関心を持つ人々の中には恐れを抱いた人もいましたが,バプテスマを受けている兄弟は堅く立って署名することを拒みました。結局,当局者には他の兄弟をなぐる勇気がありませんでした。数時間の留置後,兄弟たちは釈放されました。その日の午後,兄弟たちは食料をたずさえてまだ拘留されている開拓者たちのいる刑務所に再び戻ってきました。この事件は当局の取り上げるところとなり,地方警察署長は矯正手段を講じました。ただし,その地方における家から家のわざはさらに数か月間禁止されたまゝでした。6月には,警察署長が地方主都のクパンの監督を訪問し,エホバの証人が今やその地方のどこでも自由に家から家に伝道していることを告げ,さらに伝道活動に妨害があれば援助をしたいと申し出ました。数年間,激しい迫害の地であったその地方の人々の反対は現在では少なくなっています。

リベリア

人口: 1,100,000人

伝道者最高数: 447人

比率: 2,461人に1人

ご自分の民に,巧みに話し落着きを示すことを教えてくださるエホバに感謝します。一人のテレビ番組演出者は,「生活の導きを聖書に求めなさい」と題する,大会の劇の舞台げいこを見るように招待されました。それを見て満足したかれは,放送局のスタジオを使ってなまの放送をする取り決めを設けました。兄弟たちは大変喜びましたが,心配もしました。ほとんどの出演者は高等教育を受けていませんし,中には全然学歴のない人もいたからです。しかし舞台であがりはしないかと心配する代わりに,熱心な練習を積みました。いよいよ放送の日,日曜日の夕方となりました。そして1時間にわたる見事な劇が上演されました。せりふは1行も飛ばされることなく,動作も一つも抜かされませんでした。その番組の演出者は大変喜んで,出演者の練習のほどをほめました。一般の人々の習慣からすると,何千人もの人がその劇をみたに違いありません。次はいつ上演するのかと多くの人から問い合わせが寄せられ,評判は大変良好でした。私たちに親切なことばなどかけたことのなかった一人の人は,「どうしてみなさんがきらわれるのか理解に苦しむ」と語りました。

ゴム園で働く兄弟たちは少しずつ読む習慣をつけるのに長い時間がかゝり,その間,毎日「年鑑」の聖句を討議しても,自分たちも家族も益を得られない状態にありました。そこで今度は,約30人の兄弟が仕事に行く前に,各週3軒の家に別々に順番に集合することにしました。5時30分に仕事を始める人は朝4時30分に,他の兄弟たちはそれより1時間後に集まります。資格のある一人の兄弟がその日の聖句,野外の経験,聖書のある部分を読んで注解します。仕事が終わると兄弟たちは,学んだことを自分の家で家族と討議します。毎日このように霊的にたておこされることにより,会衆内には実際に変化が起きています。

一人の特別開拓者は,国旗に敬礼をしないという理由で証人を非難する人に会いました。机の上に置いてある小さな辞書に目をとめた兄弟は,「敬礼」という語の意味をさがすようにその人にたずねました。当の非難者は頭を下げる,接ぷんするという定義に接して,明らかに驚いたようでした。開拓者は出エジプト記 20章1-3節にある崇拝に関する原則を指摘したところその人は兄弟に感謝し,エホバの証人は自分たちのしていることをよく知って,行動しているのですねと言いました。態度を変えたかれは,現在,協会の雑誌を購読しており,妻と子供たちは聖書を研究しています。

銀行の金銭出納係りの仕事をしている一人の兄弟は預金入金残金を正しく報告していました。そうするのはかれだけでしたので,他の金銭出納係りに疑われ,主任の出納係りは口実をもうけて解雇するよう上司にすすめました。しかし,経営者側はそれを却下し,現職の金銭出納係りの中で兄弟が最も良い行員であることを明らかにしました。その証拠に,銀行員全体の賃上げが決まった時,兄弟は他の行員よりも多額の昇給を受けました。銀行の役員はかれに次のように言いました。「あなたは自分の宗教に誇りをいだいてください。あなたが今日まで昇進したのは,その宗教のおかげですね」。

ユーゴースラビア

過ぐる奉仕年度のあいだ,ユーゴスラビアの兄弟は人々を弟子とするわざに熱心に努め,そのわざは祝福されました。

セルビア地方の一つの村に,小さな会衆があります。雑誌や他の出版物は会衆のしもべあてに定期的に送られますが,郵便集配人の仕事は全く満足すべきものではなく郵便物が定期的に配達されなかったり,雑誌が紛失してしまうことも時々ありました。ユーゴスラビアでは郵便集配人はどんな人が手紙を受け取るかに注意して報告しなければならなかったのです。ある日その集配人は,共産党員であるその村の幹事のところに,会衆のしもべあての文書の小包みを持って行きました。彼は幹事に次のように言いました。「この会衆のしもべあてにこういった宗教的宣伝の資料がたくさん送られて来ますが,これからずっと小包みをその家に配達すべきでしょうか。私は一体どうしたらよいのかよくわかりません」。幹事の答えはこうです。「この人がエホバの証人であることを君は知らないのかね。全世界はこの人たちと戦っているが,勝利を得たことはないのだ。彼らに対してどうしようというのかね。全部のものを彼の家にきちんと配達しなさい。このことについてはもう2度と聞きに来てはならない。ところで,みんながエホバの証人のようだったら,この狂った世界の事態は違っているだろうに」。その時から兄弟は小包を定期的に受け取っています。たしかにエホバの証人は世界の見せ物です。

クリスチャンの妻のふるまいが,真理に無関心な夫の心を変えることもあります。一人の姉妹は真理に興味を持っている婦人を何度も訪ねましたが,その婦人は会衆の集会に来ようとはしなかったのです。婦人は自分の夫が聖書の真理やものみの塔協会の出版物を読むことに反対していると姉妹に打ち明けました。ある日,二人が聖書の研究をしていると,ご主人は思いがけぬ時間に帰宅したのです。彼はひとことも話さなかったので,姉妹はご主人と話をして自分の訪問の目的を説明しようと努めました。しかし,彼は聖書の勉強は女のためのもので男のすることではないと言い,耳をかそうとはしませんでした。それにもかかわらず姉妹は断念しなかったのです。次の訪問の時には,聖書の真理が女の人のためだけのものではなく,男の人のためのものでもあることを証明するため,円熟した一兄弟と一諸に行きました。確かにご主人は徹底的に証言をした兄弟に耳をかしたのです。そして次のように述べました。「私はこの新しい宗教のことがわかりませんでしたが,一つ気のついたことは,私の妻の大きな変わりようです」。ご主人に考えさせるほどその婦人が変わったので,彼はエホバの証人の語ることばに耳を傾ける備えができたのです。やがて夫婦そろって研究が続けられました。二人は集会に出席し始め,今浸礼について話しています。

神の御心を行なうことをなおざりにしている,未熟で弱い人々を援助するには,しばしば忍耐しなければなりません。ある村に住んでいた一人の老人は,聖書を学び浸礼を受けることさえ話していました。しかし,その後彼の子供たちが聖書の真理を学んでいることが原因となって学校で大きな問題に直面し,この人はエホバの証人との交わりをやめてしまいました。それからこの老人に聖書を教えていた伝道者は巡回大会に出席しましたが,この大会では不活発になった人々を援助することが強調されたのです。それで伝道者は祈りのうちにこの老人を訪問しました。伝道者は老人に挨拶し,「私はエホバの御名にかけてまいりました。あなたを援助するのは私の責務だと思います」と言ったのです。それから兄弟は,自分の聖書を開いてたくさんの聖句を読み,恐れるべきではないことを示しました。老人は注意深く耳を傾けていましたが,最後には目に涙を浮かべ「私はいつバプテスマを受けられるでしょうか」尋ねました。老人は3年間もバプテスマを延ばして弱くなりましたが,今やバプテスマの時が来たこと,また命ぜられたこの段階をふんでのちに強くなるということを悟ったのです。老人は決意したことを実行しました。伝道者の愛ある積極的な訪問は実を結びました。

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