『こうべを上げ』て救いを知らせる
エホバの証人の1969年度年鑑より
マラウィ
人口: 4,042,412人
伝道者最高数: 18,549人
比率: 218人に1人
昨奉仕年度は兄弟たちに多くの祝福と幸福をもたらして始まりました。兄弟たちは地域大会に出席したばかりであり,9月には,18549人の伝道者新最高数に達しました。その後,迫害の嵐がやって来ました。政府はエホバの証人を禁令下に置き,マラウィ会議党の党員でもある暴徒が兄弟の個人財産に大損害を与えただけでなく,兄弟たちに恐るべき肉体的,多くの場合にいまわしい迫害を加えるがままにさせておきました。報告によれば,1967年の10月以来,少なくとも,1095軒の家屋,115の御国会館が焼き打ちにあったり,こわされたりしました。その他,暴徒たちは,兄弟たちの所有物であるヤギ110匹,ブタ83頭,ニワトリ2771羽,ハト767羽を盗んだり殺したりしました。さらに兄弟たちは,412のイス,108のテーブル,82台の自転車,その他を失いました。何千人もの兄弟は打たれ,何人かは殺されました。手足を折られた兄弟もいます。多数の姉妹たちは暴行され,他の残虐行為も犯されました。これにも負けず,大多数の兄弟たちは自分たちの忠実を保ち,妥協するのを拒んでエホバに忠実に奉仕し続けました。中立の立場を捨てた者はわずか4パーセントでした。しかし数か月間,兄弟たちがちりぢりになっていたため,監督たちは野外奉仕の報告を入手することが困難でした。
事の成り行きを見た政府は会議党員に暴力的な迫害をやめるように通告しました。それで奉仕年度の終わり近くには,この国のほとんどの区域はかなり平穏で落ち着いた状態になりました。兄弟たちは落ち着いて奉仕を始め,その結果,8月には17662人の報告が集まりました。わざが禁令下におかれているにもかかわらず,兄弟たちは忠実に静かに交わり,他の人に「良いたより」を語り続けました。兄弟たちは,たとえ苦難に会っても,強くしてくださるのは神であることを知っています。―ペテロ前 5:9,10。
この迫害に対し,全世界の兄弟たちは思いやり深い反応を示しました。禁令と残虐行為に抗議する何十万通という手紙がマラウィ政府の多くの閣僚に送られました。これまでにいろいろな寄贈品により,113トンのトウモロコシ,1361枚の毛布,約千着の半ズボン,500着以上の衣服,その他680キログラム余の古着を備えることができました。この救援活動は今でも続けられており,まもなく完了すると思われます。
禁令は,多くの人々が真理を見る目を開く結果となりました。たとえば,ある区域では,マラウィ会議党の地方議長が兄弟と聖書を研究しています。別の町では,禁令のほんのすこし前,ある兄弟が職場の同僚に証言していました。一人の同僚が関心を示し,その地の御国会館における最後の集会に出席しました。この人は政府の決定に恐れをいだかず,聖書研究に直ちに応じたのです。彼の関心は非常に高まったので,奉仕年度の終わりには,モザンビーク経由でローデシアまで旅行し,地域大会に出席しました。今では,次の機会にバプテスマを受けることを望んでいます。
予想もしない事柄が反対する配偶者を変化させることはよくあるものです。一人の姉妹は長年真理にいましたが,夫は全然関心を示しませんでした。やがて1967年11月1日の早朝,暴徒が家にやって来て戸をたたきました。暴徒たちは夫がエホバの証人でないことを知っていましたので,妻をさがしに来たと叫びました。最初,夫は戸をあけませんでした。しかし,戸をあけないなら家族が中にいるままで家を焼くと言われたため,しぶしぶ戸をあけました。すぐに彼は捕えられて鎖でしばられました。暴徒たちは党員カードを買うようにせまりました。今や夫は決定をしなければなりませんでした。いろいろな考えが頭の中を駆けめぐりました。しかし彼は,妻が本当に真の宗教を持っているにちがいないと確信したのです。二人ともひどくたたかれ,妻は歯を折られました。しかしこの時以来,夫は家で聖書を研究し,その結果,1968年6月30日には水の浸礼により献身を公に象徴しました。
迫害が非常に激しいときでさえ,御国の音信を広げる兄弟たちの忠実さを耳にするのはすばらしいことでした。禁令が発表されてすぐ後のこと,一人の兄弟は小さな町へ行き,ホテルにとまる手はずを取りました。そして,自分のへやにはいって行く時,廊下の端で4人のボーイが一緒にすわっているのに気づきました。兄弟はそれに関心を持ち,数分後にへやのドアをそっとすばやくあけて,4人のボーイの所に行きました。一人目のボーイが手にしている物を片付ける前に,兄弟はそれが書物であることに気づきました。その本がシンヤンジャ語の「神を真とすべし」であるとわかったときの兄弟の喜びと驚きを想像してください。兄弟はそのボーイを自分のへやに呼び,ボーイも兄弟であることを確かめました。二人の兄弟は互いにあいさつし,秘かにともになったことをいかに喜び合ったことでしょう。やがてお客の兄弟は,このボーイとやはり献身した兄弟である他のボーイが,給仕の合い間を利用して他の二人のボーイと聖書研究をしていたことを知りました。
次の経験が示すように,確固として妥協しない兄弟たちは非常に強められてきました。青少年政治活動の一員が兄弟たちの家を捜査し,兄弟たちに罪をきせるような文書を発見しようとしていました。ある村で彼らは「良いたより」の小冊子を読んでいた一兄弟を捕え,他の兄弟の家から数冊の「ものみの塔」誌を見つけました。そして二人の兄弟をつかまえて,その地の警察に連行しました。次の日,どこからその禁止された文書を入手したかを尋問するため,もっと大きな警察に連れて行かれ,「どうしてお前たちはそのような不法な本を買い入れたのか」と尋ねられました。一人の兄弟は,「失礼ですが,あなたはこの雑誌に何が書いてあるかをご存知ではありません。わたしたちはこれがとてもよい文書であることを知っています」と答えました。警官は怒って「よく聞け。これは禁止された不法の本であると言っているのだ」と言いました。兄弟は穏かに,「はいおっしゃることはちゃんと聞きました。しかしわたしたちはこの雑誌を長年読んできています。そしてこれがとても価値のある本であることを知っています」と言いました。その警官は兄弟たちをどう扱うべきかを上司に電話で尋ねたとき,「それらの人々に悪い所はない。家に帰しなさい」との指示を受けたのです。それで,兄弟たちは釈放されましたが,その経験によって非常に力づけられました。
インドネシア
人口: 110,000,000人
伝道者最高数: 1,757人
比率: 62,607人に1人
インドネシアには人の住んでいる島が3000あり,伝道するための区域は大きく分散しています。その上,交通機関が不備なため,旅行と通信連絡は容易ではありません。1968奉仕年度のあいだ,数多くの島や都市が特別開拓者によって新たに伝道されるようになりました。しかし人口の約7割はまだ伝道されない土地に住んでいます。
インドネシアではむすこや娘を都会に送って,高等教育を受けさせる親が多くいます。そうした若者たちは生まれた土地の因襲から離れるため,真理を聞いたり受け入れたりする面で不必要な妨げがありません。真理を学んだ場合に,そうした若い人々の多くは開拓奉仕を選びます。これは子供が学校を終え,学位や卒業証書を得るように願う家族から反対を受けることになります。説得やおどしがうまくゆかない場合,親は仕送りをやめ,子供は財政的に困窮します。宗教的な背景もあって反対が特に強い場合には,家族から勘当されることもあります。特別開拓者や正規開拓者の中には,こうした苦難や反対に合いながらも大学を中退した若い人々が多くいます。言うまでもないことですが,これらの人々は「良いたより」の忠実な伝道者としてりっぱに働き,羊のような人々,特にほかの若い人々を助けています。
バプテスマを受け,休暇開拓奉仕を始めた時に親から仕送りを止められたある若者は,朝家を出る時に食べ物が何もなかった日が何度もあったのを覚えています。それでも,必ず文書を配布し,お米や野菜を買って帰り,ひもじい思いをしたことは一度もありません。生きるために必要な物を備えるというエホバの約束を信頼した彼は開拓宣教奉仕を続け,今は特別開拓者として奉仕しています。
ある事務所で働き,妻と5人の子供を養っている一兄弟は,同時に休暇開拓奉仕をもしています。彼は朝,仕事に出かけるまえ自分の家族に聖書を教え,日中もあらゆる機会をとらえて職場の仲間に伝道し,帰りには乗り物の中で聖書のパンフレットを配りました。仕事の帰途に家から家に伝道する計画をたて,彼は休暇開拓を続けています。
香港
人口: 4,000,000人
伝道者最高数: 228人
比率: 17,544人に1人
奉仕年度の初めは不穏な事態のため,いつもの年より証言のわざは困難でしたが,時が経つにつれ,生活は平常に復しました。香港は物質の面で大いに繁栄しており,大多数の人々は生活の物質面に心を用い,物質の富をたくわえることこそ安全の道であると考えています。昨年中何人かがエホバの組織を離れました。その理由は,「真のクリスチャンとしての生活に伴う損失は大きすぎる」というものでした。香港を去って他の国に行った人もいます。そのため一昨年より伝道者の数は減少しました。しかし時の緊急さを認識し,「良いたより」が中国人にも伝道されなければならないと理解している,すぐれた一群の伝道者が今もこの地で働いています。
エホバの組織から離れた者が戻るのを助けるため,十分の個人的な注意を払うことの大切さはどんなに強調しても強調しすぎるものではありません。6年ほど前のこと,真理に対して深い愛と認識をいだいているかに見えた一人の若い姉妹は,突然すべての交わりを断ちました。それは,真理に反対していた両親にしいられて,ある男性と結婚し,夫のおばの家で暮らすことになったためです。そのおばも真理の大の反対者でした。会衆は円熟したある姉妹が彼女を訪ねる取り決めを設け,定期的な訪問を通して彼女を励ましました。やがてその人は引っ越していまい,もはやどうすることもできないように思えました。ところがある日,その人を援助してきた姉妹に一通の手紙が届いたのです。その手紙には,以前激しく反対していたおばが死んだので,今やだれかに自由に訪問してもらえると書かれていました。そして彼女は真理から離れたことを悔い,真理の道に戻りたいとの熱烈な願いを述べました。そして,兄弟姉妹たちに自分を許していただき,研究を再開して,霊の思いを取り戻すことを助けてほしいと願い出たのです。すぐにこの婦人との連絡が取られ,必要な助けが与えられました。その後,巡回大会に出席し,兄弟たちの思いやりと個人的な援助に対する深い感謝を述べました。こうして真理に戻ることができました。
中国語の「神が偽ることのできない事柄」の本は兄弟たちにたいへん喜ばれました。一人の宣教者の姉妹は次のような手紙を寄せました。「毎週火曜日の晩この本を研究することが発表されたとき,以前真理に対してなんらかの興味を示した人の関心を再び燃えたたせたいとの熱意をいだきました。10年ほどまえ真理に関心を示しましたが,なんら行動を起こさなかったある婦人は,出席するようにとの招待に応じました。その婦人の子供たちは成長ざかりでしたから,彼女はなんとかして聖書を研究したいと願っていたところのようでした。それで私がこの機会をとらえて,家族全員で聖書を研究するよう提案したところ,婦人は直ちに応じました。今では,夫と3人の子供を含め家族全員で研究をしているだけでなく,その婦人はすべての集会に出席し,戸別訪問の宣教にも参加しています」。