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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
塔71 2/15 127ページ

読者からの質問

● わたしの司会している聖書研究で,ロマ書 8章26,27節が問題となりました。この聖句の意味を説明してください。―アメリカの読者より

問題の聖句は次のとおりです。「斯のごとく御霊も我らの弱を助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども,御霊みづから言い難き歎を日に執成し給ふ。また人の〔心臓〕を極めたまふ者は御霊の念を知りたまふ。御霊は神の御意に適ひて聖徒のために執成し給へばなり」〔新〕。

神の聖霊が,聖なる者たちのために執り成しをする方法は次のとおりです。神は,クリスチャン会衆が経験する事柄を予見,予告し,神の霊によって霊感を受けた,ご自分のことばの中で,クリスチャンが特定の事態に陥ることを,あらかじめ知らせておられます。神は,霊感を受けたその同じみことばの中に,そうした事態からどのようにクリスチャンが導き出されて,神への奉仕に引き続きあずかれるかを予告する,預言的な祈りを記録させられました。クリスチャンは,預言や預言的な祈りを常に理解してきたわけではないので,自分の考えをどう言い表わすべきか,また,何を祈るのが正しいのかを正確に知っているわけではありません。とは言え,クリスチャンは神の助けを求めて,祈ってきました。

使徒パウロはそうした事態に陥り,その経験についてこうしるしています。「兄弟よ,我らがアジヤにて遭ひし患難を汝らの知らざるを好まず,即ち圧せらるること甚だしく力耐へがたくして生くる望を失ひ,〔自分たち〕のうちに死を期するに至れり」。

神の意志は,パウロと彼の仲間を救い出すことか,それとも,神は彼らが殺されるのを許されるのかが問題でした。パウロは続けてこう答えています。「これ己を頼まずして,死人を甦へらせ給ふ神を頼まん為なり。神は斯る死より我らを救ひ給へり,また救ひ給はん。我らは後もなほ救ひ給はんことを望みて神に頼(む)」― コリント後 1:8-10〔新〕。

そうです,神はご自分の時と時期,また,ご自分の霊によって,みことばの中に書きしるされた事柄,ならびに,そうした事柄がクリスチャンにどのように,いつ当てはまるかをご存じです。そうした,霊感を受けた預言や祈りの意味を知る神は,それらがキリストの真の追随者のために執り成しをするものとなることを許されます。神はそれを,彼らが願い求めたいこと,また祈り求めたこととみなして受け入れ,かつ,そのとおりに成就されます。神は後になって,そうした預言がどのように彼らに成就したかをご自分の霊の力により,明らかにされるのです。その結果,キリストの真の追随者は,もし事前に知って理解していたなら,それこそ自分たちが願い求めるべきであった事柄を悟ります。

1918年の当時の試練を乗り越えた,キリストの油そそがれた追随者の忠実な残れる者は,この事実を特に正しく認識できます。その理由は,大戦の間,彼らは非常な窮境に陥っていたからです。確信もなく,混乱していた彼らにとって,自分たちに対する神の意志がなんであるかは定かではありませんでした。したがって,神の支持を確かに祈り求めはしたものの,いったい何を祈り求めればよいのかわかりませんでした。しかし,神のことばは,彼らの状態を予告し,かつ,預言的な祈りを含んでいたので,神はそれらの祈りを彼らからのものとして受け入れ,それに従って彼らに答え応じられました。―詩 69,102,126篇。イザヤ 12章。

同様に今日でも,神のしもべたちが組織として,あるいは個人として,試練に陥り,のがれ出る道がわからず,いったい何を祈り求めるべきかわからない,という事態が起こりえます。しかし,神は実情を知っておられ,ご自分のことばの中にしるされている祈りを,ご自分の民からのものとして受け入れ,ご自分の意志にしたがって彼らに答え応じてくださるのです。試練によっては,神の民はそれを取り去ってもらいたいと考えても,神は,彼らがそうした試練に耐え続けるのが最善の意であることを知っておられる場合があります。ナチスの強制収容所に入れられたエホバの証人の例がそうです。そうした試練が,エホバの名前を大いに証するものとなり,ご自分のしもべたちにすぐれた特質をつちかわせ,また,他の人々をしてエホバの側に立たせる結果となる場合も大いにありうるのです。マラウィの事態がそうです。さらに,そうした試練はしばしば,試練にあっている人々に仲間のクリスチャンができるかぎりの援助を差し伸べて,愛を示す機会ともなってきました。―ヨハネ 13:34,35。

そういうわけで,神の民が大きな圧迫を受けている時,神の霊が,霊感を受けたことばによってその民のため,どのように実際に執り成しをするかがわかります。それに加えて,問題の聖句から考えると,クリスチャンがかん難にあう時,常にイエスの次のような祈りをささげるのはなんと賢明でしょう。「わたしの父よ,もしできることでしたら,このさかずきをわたしから過ぎ去らせてください。しかし,わたしが望むようにではなく,あなたが望むようにしてください」― マタイ 26:39。新。

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