「地の最も遠いところにまで」証言する
エホバの証人の1971年度年鑑より
日本
人口: 103,100,990人
伝道者最高数: 9,478人
比率: 10,878人に1人
昨奉仕年度のはじめ,日本のエホバの証人は,東京後楽園競輪場で開かれた,「地に平和」国際大会から豊かな祝福を受けました。ノア兄弟の公開講演に1万2,614名が出席したことや,798人という記録的な数の人々がバプテスマを受け,新しい兄弟・姉妹となったことはわたしたちを感動させました。それらバプテスマを受けた人々のうち81人は,9か月以内に,正規開拓奉仕を始めました。確かに,こうしたおう盛な開拓者精神は,日本での最近の拡大に著しく貢献してきました。休暇開拓者の数は前年よりも49%増加し,正規開拓者はわずか12か月間に592人から1,111人にふえました。昨奉仕年度も毎月,伝道者の新最高数が記録され,7月をもって,丸3年,毎月連続して記録が更新されたことになります。8月の伝道者新最高数は9,478名でしたが,これは前奉仕年度の平均伝道者数の38%増加に当たります。しかも,そのうち1970奉仕年度中にバプテスマを受けた人は2,245人で,この数は前年にバプテスマを受けた人,すなわち1,023人の2倍以上になります。
1963年に完成された当時はたいへん大きく思えた,東京支部の6階建てのビルも,すべての仕事を処理する所としては,今では手狭になっています。ですから,東京から南西約120キロの,富士山のふもとにある沼津市に,新しく土地家屋を購入する承諾をノア兄弟から得た時のわたしたちの喜びは並々ならぬものでした。4,000平方メートルあまりの敷地にある,九つの日本家屋は,文書や雑誌の保管・発送のために利用されたり,王国会館,王国宣教学校および宣教者の家として使用されたりしてとても役に立っています。
11歳のある少女の寄せた次の手紙から,若い伝道者たちも「ものみの塔」誌の価値を認めていることがわかります,「7月15日号の『ものみの塔』には子供の記事があってとても喜んでいます。おとうさんやおかあさんも,とても喜んでいます。ひとりずつよしゅうしてから,おかあさんとさっそく勉強しました。とてもよくわかりやすいので,よくわかります。わたしは今5年生なので,お友だちと聖書を勉強しています。でも,これから,『ものみの塔』をやることにしました。ふたりのお友だちは,おもしろいといって喜んでいます。これからもおねがいします。ベテルのみなさんによろしく」。この家族の幼い子どもたちは,正規開拓奉仕をしている両親の模範にならっているのです。
数千人に上る若い奉仕者たちは,伝道のわざに貴重な貢献をしています。正規開拓者を母親に持つ,ひとりの少年は,良いサマリア人について母親から教えられた教訓に従い,ある夏の暑い日,保険の女子外交員が家を訪れたとき,冷蔵庫から一杯のレモネードを持ってきて,のどを冷やすように勧めました。その婦人は,この少年のしつけについて尋ねるため,わざわざもう一度その家を訪問しました。その結果,彼女自身も今ではバプテスマを受けたエホバの証人となって,正規開拓奉仕者の資格を得るまで休暇開拓奉仕をしています。
そのほかにも,真理に対する心臓からの認識を急速につちかい,エホバに献身するためいっしょうけんめい努力している新しい人々がいます。3月のこと,ある学生が友人の家を訪れたところ,たまたまそこで,エホバの証人が家庭聖書研究を司会していました。その学生はすぐに興味をしめし,開拓奉仕者との聖書研究が始まりました。最初の研究では,「見よ!」の小冊子の4分の1まで進みました。週に2回研究することが取り決まり,次の週には「見よ!」の小冊子の研究が終わりました。その間,若者の考え方はすでに大きく変化しました。さらに5週間たった時には,「とこしえの命に導く真理」と題する本の勉強が済みました。その時までには,その学生はすべての集会に熱心に参加するだけでなく,開拓奉仕者が野外奉仕に出かける日ごとに同行するほどでした。4月には奉仕に112時間を費やして,161冊の雑誌を配布し,41の再訪問を行ない,自分でも一つの家庭聖書研究を司会しました。6月にバプテスマを受けたこの青年は,教師になるというかつての目標を捨て,現在パートタイムの仕事をしながら,開拓奉仕という新しい職業を目ざして準備を進めています。
奉仕年度の終わり頃,ひとりの姉妹は“ヒッピー”のかっこうをした若者と聖書の研究を始めました。その若者はすべての集会に出席しましたが,自分が“ヒッピー”のかっこうをしていることを別に悪いとも思っていないようでした。その後,彼は横浜で開かれた地域大会に出席しました。第1日はどうみても,正真正銘の“ヒッピー”のいでたちでしたが,二日目には髪を刈って来ました。そして最終日にやって来た時には,ま新しいシャツを着て,とても明朗で清潔そのものに見えました。
10月に開かれた「地に平和」大会では,外国から来た非常に多くの兄弟たちと直接に会えたばかりか,ノア兄弟,フランズ兄弟,またスーター兄弟による大会の話を聞くことができ,日本の兄弟たちはたいへん喜びました。さらに,横浜における「善意の人々」大会では,フランズ兄弟が親切にも,公開講演,および閉会の話をしてくださり,そこにつどっていたすべての人は,またもや大いに励まされ,日本の「最も遠いところにまで」,この証言活動を行ない続けるよう鼓舞されました。
沖縄
人口: 968,000人
伝道者最高数: 450人
比率: 2,151人に1人
沖縄の兄弟たちは,エホバから祝福された,増加の一年を今年も振り返ることができます。平均伝道者数は,1966年度の210名に比べて,今年は402名に増加し,わずか4年間に伝道者の数は2倍になりました。兄弟たちは区域をくまなくもうらしており,あらゆる身分の人々の中から「羊」が集まっています。昨奉仕年度中,沖縄では,若い人々がたいへん多く真理の道にはいって来ました。大学生や高等学校を終了したばかりの多くの人たちが,両親の反対にもかかわらず,真理の側に堅く立ち,中には開拓者になった人もいます。
沖縄では,西洋の国々とは異なり,各家に番地がついていませんし,道路にも名前や番号などは付されていません。ですから,区域を完全にもうらするための唯一の方法は,反対方向から来る伝道者と出会うまで,小路をも抜かさず,一度に一区画を囲んでしまうことです。次の例は,「羊」がどのように見いだされるか,またそうした人々は,同じ日に伝道者の訪問を何度受けても真理に答え応じるということを示すものです。2月のある日,「ものみの塔」誌の予約を提供しながら証言活動をグループで行なっていた時のことですが,ひとりの大学生が関心を示し,最初に訪れた伝道者に「ものみの塔」誌の予約を申し込みました。数分後,もうひとりの伝道者が訪れると,その女子大生は「とこしえの命に導く真理」と題する本を求めました。さらに数分後に訪れた3人目の伝道者は,その女子大生が雑誌を予約したうえ,書籍も持っていることを知って,自分の家の電話番号と王国会館の住所を教え,集会に出席するよう招待しました。集会の開かれる日曜日の朝,関心を示したその女子大生は3番目に訪れた伝道者に電話し,王国会館での聖書研究に,その伝道者といっしょに出席しました。また,一週間に2回,家庭聖書研究をしたいと希望したので,そのような取り決めがなされました。非常に急速な進歩をみせたその女子大生は,初めて集会に出席してからちょうど1か月半後,伝道奉仕に参加しはじめました。そして,3か月足らずで「とこしえの命に導く真理」と題する本を学び終え,6月に開かれた巡回大会でバプテスマを受けました。最初に伝道者の訪問を受けてから,なんと4か月後のことです。
次の経験が示すとおり,巡回のしもべの訪問中に宿舎を提供すれば,配偶者が真理を認識するきっかけが得られる場合もあります。ある姉妹は,家にあいた部屋があったので,巡回のしもべを泊めてもさしつかえないかと夫に尋ねました。夫は,異存はないと答えました。その時まで,姉妹が真理について話しても,夫は少しも興味を示さず,姉妹が聖書の勉強をしている時は,いつも席をはずしました。ところが,毎晩巡回のしもべが帰宅するたびに,夫は質問をし,論理的で親切な答えを聖書から示されるにおよんで,妻が真理を持っていることに気づくようになりました。その週中,巡回のしもべの優しい態度から受けた良い印象に促され,夫は聖書の勉強をしはじめ,今では兄弟になっています。そればかりか,一軒の店を持っているので,開拓奉仕ができるよう妻といっしょに仕事を調整し,現在ではその特権にあずかって喜びを味わっています。
職場で霊の実を表わすことにより,他の人が真理を知るのを助けることができます。次の経験はその一例です。ノースウエスト航空に修理技士として勤務している,ある兄弟の親切で協力的なふるまいは,非協力的で自分たちの仕事に関する機密事項を外部の人に教える他の人々の態度と全く対照的で,仲間の技士たちもその違いを認めるほどでした。なぜそのようにふるまうのかと尋ねられた兄弟は,現在の世俗の仕事は二次的なもので,主要な仕事は神の王国に関することであると説明しました。質問をした人が,さらに詳しく知りたがっていたので,その兄弟は休けい時間を利用して聖書研究をはじめました。まもなく,この人は真理を理解するようになり,家庭で家族と聖書の研究をはじめました。そして,家族全員が,エホバの証人の持つ真理と,他の宗教との相異を知るようになり,その家族は集会に出席しはじめ,兄弟たちとの徳を高める交わりを楽しみました。次に,その人は自分自身と家族がエホバに仕えられるよう,事態を正したいと思うようになりました。沖縄の習慣では長男が家族の仏壇の世話をし,線香をたいたりなどして,死んだ先祖すべての供養をしなければなりません。したがって,長男であるその人は,まず,家の仏壇を世話しなければならないという問題がありました。そこで,その人は家族を一堂に集め,自分がクリスチャンになろうとしていること,それゆえ,もはや死人を祭る仏壇を世話しないこと,そのかわり,父親が生きているうちに孝行することを説明しました。家族はみな,すぐに同意して家から仏壇を取り除き,また,彼が父親のめんどうを見るということでとても安心しました。というのは,その時まで,父親の世話をすることは,家族にとって頭痛の種だったからです。そのうえ,死人を祭る仏壇のために出費をしないですみます。その人と家族は,近いうちにエホバの証人になることができるよう,聖書の勉強にいっしょうけんめいです。
次の経験が示すとおり,1冊の雑誌を配布しただけの家でも再び訪問すれば,実を結ぶことがあります。那覇市の人家の密集した地区で奉仕をしていたある宣教者は,ひとりの若い婦人に会い,2冊の雑誌を提供したところ,その婦人は「ものみの塔」誌だけを求めました。再訪問が行なわれ,家庭聖書研究が始まりました。その婦人はたいへん病弱で,一日おきに医者に通っていました。ですから,横になったまま家庭聖書研究をすることもありました。その後一家は,庭や広い菜園のある家に移り,その婦人の容態も急に回復したように思われました。そして,医者に通うかわりに菜園で働いていました。彼女は霊的にも進歩し,集会に出席しはじめました。
真理の側に強く立ったため,家族からいくらか反対されました。しかし,進歩を続けて奉仕にも出かけるようになりました。夫の反対がひどくなりましたが,そのために,彼女の進歩が停滞することはありませんでした。集会の開かれる夜になると,夫は家にかぎを掛けて彼女を締め出しました。それで,その婦人は古い毛布を使い,トタン板を屋根にして庭で眠りました。これまで毎週木曜日の晩になると夫から締め出されるので,たくさんの蚊はもちろん,沖縄のハブという毒蛇に襲われる危険が大いにあるにもかかわらず,星空の下で眠るための準備をすっかり整えています。そうした危険について尋ねられた彼女は,マラウィその他の土地で兄弟たちが経験している事と比べたら,自分の経験はとるに足らないと答えました。こうした積極的な態度はエホバの祝福を受けています。彼女は,次の地域大会でバプテスマを受けることを望んでいます。