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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1973
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心の正直な人たちがエホバに仕えることを願う理由

毎年,新たに何万人もの人びとが,聖書の神エホバへの奉仕に進んで携わっています。多くの場合,それは自分の生活の仕方を全く変化させることを意味します。しかし,彼らは喜んでそうするのです。なぜでしょうか。

それは,彼らがエホバを最高主権者また宇宙の創造者として認めているからです。このきわめて重大な理由が,人類の歴史のすべての時代の敬虔な人びとに,神に仕えたいとの願いをいだかせてきました。

西暦紀元前に住んでいた,そのような敬虔な人のひとりである,霊感を受けたある作詩者は,自分の感情を次のように表現しました。『そはエホバは大いなる神なり もろもろの神にまされる大いなる王なり 地の深き所みなそのみ手にあり 山のいただきもまた神のものなり 海は神のものその造りたまうところかわける地もまたそのみ手にて造りたまえり いざわれら拝みひれふし我らをつくれる主エホバのみまえにひざまずくべし』― 詩 95:3-6。

何世紀も後,クリスチャン使徒ヨハネは,幻の中で24人の長老がこう宣言するのを聞きました。『我らの主なる神よ,栄光と尊崇と能力とを受けたまうはうべなり。なんじは万物を造りたまい,万物はなんじの〔意志〕によりて存し,かつ造られたり』。(黙示 4:11,〔新〕)確かに,全宇宙でわたしたちの崇拝と奉仕を受けるに値するかたがおられるとするなら,それはエホバ神です。

心の正直な人びとがエホバに仕えたいと願う別の強力な理由は,エホバが,不完全で罪深い人類を憐れみと同情心と愛とをもって扱われるからです。

最初の人間アダムは,神の律法にそむく道を選ぶことによって,自分自身と自分のすべての子孫を罪と死に売り渡し,その奴隷にしました。聖書はこう述べています。『それひとりの人によりて罪は世に入り,また罪によりて死は世に入り,すべての人,罪を犯ししゆえに死はすべての人に及べり』― ロマ 5:12。

いかなる人間も,みずからの努力によってこの隷属状態から自由になることはできませんでした。『たれひとりおのが兄弟を贖うことあたわず これがために贖いしろを神にささげ これをとこしえに生き長らえしめて朽ざらしむることあたわず(魂を贖うには費いと多くしてこの事をとこしえに捨て置かざるを得ざればなり)』― 詩 49:7-9。

エホバ神はアダムの子孫を見捨ててしまうこともできました。というのは,神は人類から何ものも必要としてはいないからです。しかし,人類に対する深い愛のゆえに,エホバは自ら非常に大きな犠牲を払って,必要な贖いを備えました。エホバは最愛の天のみ子の生命をユダヤ人の処女マリアの子宮に移し,このみ子が完全な人間として生まれ,死んでゆく罪深い人類のためにその命を犠牲にすることができるようにされました。(ルカ 1:26-37。ヨハネ 1:14)神の愛のこの最高の表現について,使徒パウロは次のように書きました。『我らのなお弱かりし時,キリスト定まりたる日に及びて敬虔ならぬ者のために死にたまえり。それ義人のために死ぬるものほとんどなし,仁者のためには死ぬることをいとわぬ者もやあらん。されど我らがなお罪人たりし時,キリスト我らのために死にたまいしによりて,神は我らに対する愛をあらわしまえり』― ロマ 5:6-8。

エホバ神がご自分の支配権を行使する方法にも正直な男女の心に訴えるものがあります。神はご自分に仕えるように人びとを強制することはされず,神に対する深い愛と神の戒めの正しさに対する認識に基づいて,人びとが進んでそうするよう望んでおられます。―申命 30:11-16。ヨハネ第一 5:2。

心の正直な人びとが,神の律法に対する従順こそ人間の最善の益になるということを認めるのはそれほどむずかしいことではありません。そのような従順さは重荷ではなく,むしろ人の心をさわやかにするものです。(ヨハネ第一 5:3)というのは,愛や利他的な気遣い,それに他の人に対する関心が,人間関係のすべてを支配する神の律法の基礎となっているからです。モーセの律法について使徒パウロは次のように書きました。『それ「姦淫するなかれ,殺すなかれ,盗むなかれ,貪るなかれ」と言えるこの他なお戒めありとも「おのれのごとく隣を愛すべし」ということばの中にみなこもるなり。愛は隣を害わず,このゆえに愛は律法の完全なり』― ロマ 13:9,10。

もし,人びとがどこでも,またいつでも,仲間の人間のために愛をもって事を行なうよう努めていたなら,人間関係ははるかに良いものになっていたのではないでしょうか。不正や圧政はなくなってはいなかったでしょうか。そして,幸福や満ち足りた暮らしや安全な生活がもたらされてはいなかったでしょうか。確かにそうなっていたことでしょう!

ですから,誠実な人びとは,聖書の戒めに堅くつき従う人びとが最も有益な暮らし方を楽しんでいるのを見ることができます。そして,まさにそのことが,エホバ神の献身した証人として神に仕え始めるよう,今日多くの人びとを動かしているのです。ある男の人は次のように述べました。「わたしを引きつけたおもな理由は,エホバの証人がすべての人類の間で保持している国際的な一致とそのような一致が聖書の原則に堅くつき従う結果初めて可能になるのだという点を知ったことでした」。別の人はこう述べました。「わたしはエホバの証人の間にかもし出されている友好的で暖かいふん囲気に動かされました。真理を知っている人びとの間には平和や一致や愛がゆき渡っているべきことを,わたしは知りました」。さらに別の人は次のように言いました。「エホバの証人の家族の間にわたしが見た愛が,これらの人びとが真実のクリスチャンであることを見分ける助けとなりました」。

確かに,心の正直な人びとにはエホバに仕えるための多くのすぐれた理由があります。創造者および最高主権者であられるエホバはその立場のゆえにそのような奉仕を受けるに全くふさわしいかたです。神の支配の仕方は常に愛を反映し,明らかに,ご自分の知的な創造物すべての最善の福祉を顧みるものでした。エホバ神は,何ひとつ不足してはいないにもかかわらず,罪深い人類を罪と死への隷属から解放してご自分の正義の支配のもとで数々の祝福を永遠に享受させる機会を開くことにより,みずから進んで愛を示されました。

エホバ神ご自身のご性質,またエホバが行なってこられた事がらゆえに,全き心をいだいて神に仕えたいとの願いにかられますか。そのような人は,疑いなく,同じ願いをいだいている人びとと交わりたいと思われるでしょう。では,お近くのエホバの証人の王国会館に,できれば今週にでもお出かけください。そして,たとえ不完全ではあっても,神に仕えている人びとの間に見いだせるはずの愛と一致をそこに出席している人びとが明らかに示しているかどうかを,ご自分で確めてください。

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