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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1973
塔73 5/1 285–286ページ

ニカラグアからの手紙

昨年の12月末,大地震のためにマナグア市が大災害をこうむってまもなく,同市にあるものみの塔協会の支部の監督ウィザースプーン兄弟から次のような手紙が寄せられました。「ものみの塔」誌の読者の多くは,マナグア市にいる仲間のクリスチャンの兄弟たちの安否をたいへん気づかっていますから,12月25日付のこの報告に深い関心をお持ちでしょう。なお,この報告は,ものみの塔協会のN・H・ノア会長にあてられたものです。

「けさの電話で,あなたの声をはっきり聞き取ることができました。ノア兄弟,わたしたちに示してくださったあなたの愛と気づかいに感謝します。また,わたしたちは,この危機的な時期にこうした愛のある組織を起こしてくださったことに対してエホバに感謝しています。地震が起きたあと,わたしたちはすみやかに救援を受けました。

「最初の,そして最も激しい震動がマナグア市を襲ったのは,12月23日になって間もない午前零時40分でした。宣教者はみな寝ていました。最初の震動がやんだとき,わたしたちは直ちに外の路上のまん中に出ました。その後短時間に,さらに2回震動に見舞われました。わたしたちの回りの家々はみな倒壊していきましたが,わたしたちはかすり傷一つ受けませんでした。マナグア市は厚いほこりのおおいに包まれてしまいました。そのほこりのおおいが消散し,下弦の月の光が差し込むようになって初めて,近所の様子がぼんやり見えてきました。その時わたしたちは,同様の破壊がマナグア全域に及んでいたことなど知りませんでした。

「近所の人たちはぼう然として口もきけませんでした。が,しばらくして絶叫や泣き叫ぶ声がどっと上がりました。半区画ほど離れたところでは,12人の人がある住宅地区で生き埋めになっていました。道具がないので救出作業は困難でした。回りの地区では,こちらに3人,あちらにひとり,3区画向こうではさらに20人が生き埋めになっているというように,事情はどこでも同じでした。わたしたちは死に取り巻かれていました。下町の地区の上方は赤々と輝いていましたから,地震に続いて火災も起きていることがわかりました。荒廃したマナグア市にはだ寒い夜明けが訪れるにつれ,わたしたちは引き起こされた恐ろしい状態を知るようになりました。

「わたしたちは仲間のクリスチャンの兄弟たちのことを心配していましたが,彼らもわたしたちのことを心配していました。監督を務めていた宣教者たちは兄弟たちの安否を知るために出かけました。わたしは,報告を待ち,何が必要かを考慮するため支部にとどまりました。報告は徐々にしか来なかったので,心配して待つわずかな時が何時間もの長い間に感じられました。しかし,全く信じられないことですが,兄弟たちがなくなったという報告は一つもありませんでした。ただ,兄弟たちの親や親族の中にはなくなった人もいました。また,今週の地域大会でバプテスマを受けることになっていた一婦人が4人の子どもを失いました。

「次々に伝えられてきた兄弟たちの話はだいたい同じでした。家屋が真上でくずれ落ち,どうにかこうにかしてはい出なければならなかった兄弟たちもいました。切り傷や打ち傷を受けた人は少なくありませんでしたが,現在のところ,骨折するほどのひどいけがをした人はひとりも報告されていません。それらの兄弟たちがまっ先に思い浮かべたのはどんなことだったでしょうか。

「まず最初にわたしたちと他の兄弟たちの安否を尋ねてから,彼らは,地域大会が中止されはしまいかと恐れて,この災害のためにきたるべき地域大会はどうなるのだろうかと,たいへん気落ちした様子で聞きました。彼らにとって最大の悲劇は大会を逸することだったのです。自分たちの家や物質的な所有物を失ったことなど意に介してはいませんでした。ノア兄弟,わたしはほんとうに胸がいっぱいになりました。

「地震が起きたその日の夜10時,つまり地震発生後22時間もたたないうちに,ホンジュラスの兄弟たちからの最初の救援物資が到着しました。それは土曜日の夜でした。わたしたち全員はその夜を路上で過ごしました。事実,ニカラグアの市民はすべてがそうしたのです。震動は一晩中続きました。強い震動も弱い震動もありましたが,土曜日朝の最初の震動の強さや長さに及ぶものはありませんでした。わたしたちはたいへん不安な一夜を明かしました。日曜日の午前7時に,シェップ兄弟(支部の監督)がさらに救援物資を持ってコスタリカから到着しました。彼はまた,何が必要かを知りたいと考えていました。それは,すぐに引き返して,さらに救援の取り決めを設けるためでした。わたしたちは主要な必要物の品目を決めたあと,市内を2時間半にわたって視察しました。そして,自分たちの目にしたものに驚きました。なんとマナグア市は崩壊してしまったのです。わたしの考えでは,協会の支部事務所は全市で一番被害の少ない建物だったと思います。

「日曜日の正午前にエルサルバドルからさらに物資が届きました。エルサルバドルの兄弟たちも,何が必要かをしきりに尋ねたので,一覧表を作りました。国境は,救急活動のための車輌を通せるよう,ずっと開かれていました。査証は必要とされませんでしたから,兄弟たちは敏速に往復できました。昨日,つまり日曜日の朝,救援部門を支部の王国会館に設けました。知らせを受けた兄弟たちは到着しはじめました。昨日の夜までに,578人の兄弟たちに2日分の食糧を配ることができました。また,マナグアの外部からトラックで水を運び,2日分の飲料水を配ることもできました。医療物資は必要ではありません。こちらに十分ありますし,入手することも可能だからです。

「兄弟たちの約8割が家を失いました。王国会館が9軒全壊またはそれに近い状態に陥りました。当市では現在疎開が行なわれています。下町の地区全域を完全に破壊して,15区画幅の細長い地帯を作る作業が行なわれています。同地区ではいまだに多くの死体が発見されています。悪臭がかなり強くなっています。汚染の危険があるので,すべての人はこの地区を立ちのくよう勧められています。総合病院は損壊がひどいため,患者は屋外の地面に移されました。ですから,地震の被災者たちは手当てを受けることができず,多くの人はそのまま帰されてしまいました。今では,もっと手当てを施すため,テント小屋が病院の外に建てられていると聞いています。政府はこうした膨大な仕事をまかなっていくために,たいへんな重圧を受けています。

「わたしたちは,どのような方針を取るのが最も実際的かを見定めるため,とにかく待たなければなりません。しかし,兄弟たちは平静で,行動する前に指示を待っています。

「手もとにはいくらかのお金がありますが,支部のお金はほとんどが銀行にあずけられており,銀行はあいていません。銀行があくまでには数日かかることでしょう。しかし,こちらでは兄弟たちを援助するお金が手にはいらず,金銭的な援助を確かに必要とするようなことがあれば,わたしはホンジュラスのアリンジャー兄弟(支部の監督)とコスタリカのシェップ兄弟に連絡し,わたしたちへの救援物資をそちらのお金で購入して送ってもらいます。そして,こちらのお金が引き出せるようになり,そうでなくても,さらに良い方法で事態に対処できるようになったなら,それを当支部に請求してもらいます。あるいは,わたしたちが必要な物をこちらで買える場合は,おそらくお金だけを送ってもらえばよいでしょう。しかし,今後どうなるかを知るにはまだ早すぎますので,しばらく様子を見て,現在の一般的な情勢のもとでできるだけの努力を尽くすつもりです。

「わたしたちは,宣べ伝えるわざに引き続き活発に携わり,霊的な強さを保ち,エホバに信頼するよう,みなさんを励ましています。兄弟たちは,受けている物質面の援助に対して涙を押えることができません。世界の他の土地に住む兄弟たちの愛と気づかいをほんとうに感謝しています」。

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