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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1973
塔73 5/15 315–316ページ

マナグアの地震 ― その後

大災害が起きると,困った被災者が大いに頼りとするのは他の人からの援助です。一方,多くの人びとは,家を失った人や負傷した人,またおなかをすかしている人のことを思いやり,悲嘆にくれる仲間の人間の切実な訴えに進んで応じます。エホバのクリスチャン証人も例外ではありません。彼らは,苦しむ人を助けるのは真の崇拝の一部であるということを認識しています。(ヤコブ 1:27)そして,ほかの人たちとともに,そのような困っている人々を助けるために勤勉に働きます。ニカラグアの震災被災者のために行なわれた救援活動はその一例です。

ニカラグアのマナグア市を荒廃させた最近の大地震のニュースが近隣の国々に伝わると,それらの国のエホバの証人たちは時を移さず,クリスチャン兄弟や援助を必要とする他の人たちを助ける努力を始めました。ほどなくして,食料品と衣類を積んだ乗用車やトラックがマナグア市のものみの塔協会の支部事務所に向かいました。

マナグア市にあるものみの塔協会の支部は,ニカラグアの1,800人を越えるエホバの証人の宣教活動を監督する中心です。さいわい支部の建物は地震の間に少しいたんだだけでしたから,食料品や衣類その他の物資を受け取り,またそこから配ることができました。

最初の震動から22時間もたたないうちに,ホンジュラスのエホバの証人から救援物資が届きました。翌日曜日,ニカラグア支部の監督,L.E.ウィザースプーンは,マナグア市で奉仕している宣教者を集め,救援物資の分配について検討しました。やがてコスタリカとエルサルバドルのエホバの証人から食料品や衣類および医薬品が到着しはじめました。飲料水はマナグア市の周辺地域からトラックで運び込まれました。その日,いく百人もの人が必要な援助を受けました。

12月25日月曜日には,被災者に救援物資を配るための場所が他にいくつか設けられ,火曜日にはさらに他の町にもそうした場所が設けられました。その時までに,マナグアの人口の大部分は町から出ていました。そのうちに,コスタリカとホンジュラスおよびエルサルバドルのエホバの証人たちから何トンもの救援物資が到着し,さらに多くの物資が輸送途上にありました。他の国々のエホバの証人たちからの金銭的な援助もありました。

ホンジュラスの一宣教者はこの救援活動について次のように書いています。「当地の兄弟たちや,コスタリカ,エルサルバドルの兄弟たちは何トンにも及ぶ食料品を持ち込んでいます。ここの兄弟たちは貧しいにもかかわらず,心からそれらの物を提供しました」。彼女はさらにこう続けています。「今晩は,わたしたちはここ[テグシガルパのものみの塔の]支部で,ジャガイモやタマネギ,洗剤を配りやすいようにポリ袋に入れる仕事に費やしました」。

マナグア市全体,特に下町地域では,死体の悪臭がしだいに強くなっていました。火事も各所で発生し,略奪行為も横行していたので,協会の支部事務所を疎開させるのは賢明に思われ,水曜日に移動が行なわれました。

こうして,支部事務所の監督の下に行なわれていた救援活動はマナグア市の南約20㌔の新しい場所で続行されました。エホバの証人たちはそこで食料品袋を作る仕事を一生けん命に行ないました。支部の王国会館から運んできた長いすは作業台や収納だなになりました。

L.E.ウィザースプーンの報告によると,食料品袋には,米約4㌔,豆2㌔,チーズ1ポンド,ラード450㌘,ドライミルク450㌘,乾燥トウモロコシ約1.5㌔,コーヒー250㌘,砂糖1㌔,いわしの大きなかん詰1かん,ローソク2本,マッチ2箱,棒状の石けん1本,スープの素1箱,および最新号の「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌がつめ込まれました。袋の大きさは2種類あって,ひとつは,2人から5人家族向けの5日分,もうひとつは6人から10人家族向けの5日分の食料がつめられていました。

多くの人にとって,マナグア市を去るということは,暑い気候から涼しい気候のところへ,あるいは寒い所にさえ行くことを意味しました。それで,必要な人には毛布も供給されました。

12月29日にエホバの証人の救援活動のことが赤十字社の職員全部に説明されました。彼らは非常に感銘して,「それこそわたしたちが行なうべきことです。わたしたちもそのようにしなければなりません」と何度もくり返して言いました。さらに,その人たちは,エホバの証人がマナグア市の郊外一帯に14の救援物資供給所を設け,救援を受けている世帯全部の名簿も持っていることを知って驚きました。

赤十字社の責任者レイナルド・タピア・モリナ氏は,エホバの証人の救援活動を支援するため,約450㌔の米と約950㌔の豆の注文書を書きました。翌日,政府は赤十字社の発行した注文書通りに食糧を放出することを許可しました。

その後,赤十字社は1㌧半の食料品とテント10張りを供給してくれました。テントは,それまで屋外で寝ていた人たちに大いに利用されました。露が非常にたくさん降りるので,星空の下で寝ていた人たちは朝までにはシーツを絞らなければならないほどでしたから,テントはとても必要だったのです。

ニカラグアで奉仕をしているエホバの証人の宣教者の多くは北米出身なので,彼らはアメリカ大使館に助けを求めました。進歩のための同盟の一員であるAID(国際開発局)を通してテント20張りのほか,100台の簡易寝台と100枚の毛布が供給されました。

また,ニカラグア政府は,エホバの証人が個々の被災者たちに援助を与えるうえで役立つ物資を支給しました。

いうまでもなく,救援活動を助けるため,コスタリカやホンジュラス,あるいはエルサルバドルその他の土地のエホバの証人とその友人たちから救援活動を助けるために多くの物資が寄付されました。援助を受けた人々は,近隣の国々の仲間のクリスチャンの多くがかなり貧しいことを知っていますから,そうした寄付は彼らにとって特に励ましとなりました。

いろいろなところから援助を受けたので,ニカラグアのエホバの証人は1日に500㌔から750㌔の食料品を配り,1週間のうち数日は1㌧以上を配りました。1973年1月10日現在で,10万食分の食料品が供給されました。

ニカラグアのエホバの証人は,非常に必要とされていた食糧を配ることに加えて,悲嘆にくれる人々に聖書からの慰めを与えることにも忙しく携わりました。使徒パウロは,『賛むべきかな,われらの主イエス・キリストの父なる神,すなわちもろもろの慈悲の父,一切の慰めの神,われらをすべての患難のうちに慰め,我らをして自ら神に慰めらるる慰めをもて,もろもろの患難に居る者を慰むることを得しめ給ふ」と書きしるしましたが,彼らはその時のパウロと同様に感じています。(コリント後 1:3,4)また,自分たちが物質的に困っている時に,すみやかに援助するよう,エホバ神が他の国々に住むクリスチャンの兄弟たちの心を動かしてくださったことを喜んでいます。

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