困難な状況下で奉仕するマラウィの奉仕者たち
マラウィは,いまだにエホバの証人の残忍な迫害者として悪臭を放っています。エホバの民は迫害者の手を逃れるために,国境を越えてザンビアとモザンビークに逃げました。ザンビアに逃げた兄弟たちが計略にかけられてマラウィに送還されたことについては,ものみの塔協会の出版物ですでにお読みになったことでしょう。彼らが故国に戻った時,エホバの証人のおもだった代表者が何人か投獄されました。ザンビアから送還された後,再度苦しめられたエホバの証人は,再び国外へ逃れなければなりませんでした。今回は,ほとんどの人がモザンビークに逃げました。モザンビークの当局者は,彼らを好意的に受け入れました。現在,3万6,000人以上のわたしたちの兄弟やその子どもたち,また関心を持つ人びとが,10か所以上の難民キャンプで生活しています。
兄弟は,モザンビークの当局者から食糧品や医薬品だけでなく,耕作用の土地まであてがわれました。マラウィ会議党の青年団員が,兄弟たちを悩ますために国境を越えてキャンプにもぐり込もうとしていることがわかったため,同国政府はキャンプの回りに兵士を配備して,テロリストやマラウィ会議党の青年の暴漢から兄弟たちを守る措置を取りました。
当局は,難民キャンプの中で,毎週定期的に行なわれる集会や大会を開くことを兄弟たちに許可しました。ムランゲニの難民キャンプには,こうした集会のプログラムを計画する部門があります。キャンプの中には大きな大会広場があり,毎日午後4時になると,兄弟たちはここに集まって日々の聖句の討議をします。討議に先立ち歌の時間が1時間あり,兄弟姉妹は王国の歌を歌います。兄弟たちはそのうちの幾つかを忘れていました。というのは,1967年に業が禁止されて以来,マラウィでは王国の歌を公に歌うことができなかったからです。今や兄弟たちは,王国の歌をもう一度歌うことができ,それをほんとうに楽しんでいます。―エホバの証人の1974年年鑑より