祈りと努力は報われる
クリスチャンである使徒パウロは,『たゆまず祈る』よう仲間の信者に勧めました。(ローマ 12:12)パウロがこのように勧めたのはもっともなことでした。パウロは,こうした祈りが有益であることを知っていたのです。神はご意志にかなった正しい祈りにこたえてくださいます。大抵の場合,熱心な祈りには真剣な努力が伴わねばならないのは当然のことです。次の経験はそれを物語っています。
エクアドルの,広大なバナナ園が幾つもある地域に,10人ほどの王国宣明者たちから成る一つの小さな群れがありました。この人々はクリスチャンの集会に行くのに何時間も歩かねばなりませんでした。証言する区域も人家がまばらにしかなく,隣家に行くにも徒歩で2,3時間かかります。しかし,こうした区域に住むエホバの証人の「良いたより」を広める努力,つまりそれを人々に告げ知らせる努力は報われてきました。―イザヤ 52:7。
この土地の60歳になるあるエホバの証人の男性は,関心を持つ人との聖書研究を見いだして,それを司会できるよう,エホバ神の祝福を祈り求めました。間もなく,一つの研究が始まりました。しかし,この王国宣明者は,その孤立した区域を行きめぐる自分の努力すべてがむだにならないように神がさらに祝福してくださることを祈り続けました。結果はどうでしたか。ほどなくして,「良いたより」に関心を示す人々との聖書研究を四つも司会するようになりました。
その群れの10人の王国伝道者の努力も祝福を受けてきました。旅行する監督の訪問の際に行なわれた公開の聖書講演に80人の人々が集い合ったことにその証拠が見られます。出席者の中には,数時間も歩いてその集まりに来た人がいました。
孤立した区域であるかどうかにかかわりなく,エホバの証人は『幸福な神の良いたより』を他の人々に伝えることを喜びとしています。(テモテ第一 1:11)こうした活動における誠実な祈りと真剣な努力は一再ならず報われてきました。エホバの証人がこの次お宅を訪問する時,聖書について話し合ってごらんになってはいかがですか。そうすれば,あなたご自身もきっと霊的な報いを得ることでしょう。