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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
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読者からの質問

■ クリスチャンは「世のものではない」とイエスが言われたことからすると,環境保全のような,地域や社会の様々な問題に関し,わたしたちはどのように行動すべきでしょうか。

クリスチャンは,一般の人々に影響する地域社会の諸問題を気に留めないわけではありません。公害や環境保全といった問題も例外ではありません。しかし,こうした事柄にどの程度関与するかということは,聖書と,神に対する主要な責務に調和して決定されなければなりません。

古代イスラエルに対する神の律法からも分かるように,エホバは公共の安全と衛生に適切な関心を抱いておられます。例えば,危険な家畜をよく管理すること,坑に覆いをすること,屋根に欄干を付け,偶然の事故で人が落ちたり下の人々に危害が及んだりしないよう気を配ることなどを勧めておられます。(出エジプト記 21:28-34。申命記 22:8)エホバが公衆衛生に関心を持っておられることは,検疫と排せつ物の処置に関する律法からも明らかです。排せつ物は供給される水を汚染したり,病気を広めたりする可能性がありました。(レビ記 13:1-59。申命記 23:9-14)公害や天然資源の保存や環境について,神は「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」と,そのみ言葉聖書の中に記されています。―啓示 11:18。

しかし,注目すべきことに,神は,イスラエル人とクリスチャンの別を問わずご自分の僕たちに対して,これらの問題を掲げて人々を引き寄せるようにとは指示しておられません。ユダヤ人は,衛生設備の改善,健康の増進,あるいは立法措置を求めるキャンペーンを周囲の諸国民の中で繰り広げるようにとは命じられませんでした。ユダヤ人(後のクリスチャンの場合も同じ)が,他の国に住んでいた時にそうしたことを行なったという証拠もありません。さらに神は,地を破滅させている者たちに対して行動を起こすのは自分である,と言われました。この問題が『預言者なる神の奴隷たちと聖なる者たち,そして神のみ名を恐れる者たち,小なる者と大なる者』の主要な関心事であるべきだ,などと神は言われませんでした。―啓示 11:18。

当然ながら,今日のクリスチャンは,自分たちと周囲の人々の生活を今よりよくするものがあることに気付いています。クリスチャンは人間の必要に冷淡なのではなく,むしろ「人間味のある親切」を高く評価し,それを培います。(使徒 28:2,7-9; マルコ 7:24-30と比較してください。)このことは,地域社会を改善することに関係したある問題が持ち上がる時,クリスチャンの歩みに影響を与えるかもしれません。例えば,ある地域の人々に対して,街燈や道路標識や新しい学校を増やす必要性について,あるいは給水設備や排水設備を整える必要性について意見が求められるかもしれません。こうした改善についてクリスチャンが意見を述べることは,一般的に言って悪いことではないでしょう。そうした改善のための要求書や請願書のようなものに署名しても差し支えないと感じる人さえいるかもしれません。

しかし,クリスチャンは,地域社会に影響を与える大きな問題がしばしば政治問題に発展するという事実を見過ごすべきではありません。様々な団体が,誠実に考えてみて最善と思える変革をもたらすため,政治的な手段に訴えるようになるのです。あるいは,ある問題を支持する政治家(あるいは候補者)が現われます。そうすると人々は政治的に特定な方向を持たされたり,『無に帰する,この事物の体制の支配者たち』と提携するようになったりしてしまいます。(コリント第一 2:6,8。啓示 19:17,18)クリスチャン会衆の成員にそうしたことが生ずれば,その人はもはや次のイエスの描写にそぐわないところまで行ってしまう可能性があります。「あなた方が世のものであったなら,世は自らのものを好むことでしょう。ところが,あなた方は世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなた方を憎むのです」。キリストは適切にも,ご自分の忠実な弟子たちについて,「わたしが世のものでないのと同じように,彼らも世のものではありません」と述べました。―ヨハネ 15:19; 17:16。

まだ自分の住むところでは政治問題となっていない,あるいは地域の人々が政治活動に携わることなく取り組んでいる問題もあります。公害を抑え,水や鉱物資源を守り,自然保護区域を保護することなどがそれかもしれません。ある人は,こうした仕事は価値あるものであり,神もそのように考えておられると思うかもしれません。しかし,クリスチャンが専心するようにとエホバがゆだねてくださった業は,全地の幾百万という人々に永遠の祝福をもたらす王国の良いたよりを広めることであるという点を忘れてはなりません。(マタイ 24:14; 28:19,20)この業を行なっていれば,多くの人の感情をとらえてきた,人々を引き寄せる運動に巻き込まれてしまわないように守られます。

事実を言えば,こうした人間の努力は,敬虔な専心を培うよう人々を助けることほどの,広範な,また永続する良い結果をもたらすことはできません。敬虔な専心は,『すべての事に益があり,それは今の命と来たるべき命との約束を保つのです』。(テモテ第一 4:8)確かに,実利的な見地から見ても,わたしたちは真のクリスチャンになるよう人々を助けることにより,最善の事柄を行なえます。それは,健康に有害な事柄を避けるよう彼らを助けることができます。わたしたちは,人々が聖書の原則を適用し,その地域社会内で貴重な資産となるよう助けることができます。しかし,より大きな祝福として,わたしたちが払う努力の結果,彼らは「真の命をしっかりとらえる」ことができます。(テモテ第一 6:19)彼らが得る益は,社会や地域で行なわれる努力によって実現される事柄よりはるかに信頼できます。そしてクリスチャンとして,神が割り当ててくださった業からそらされないように注意を払うのは,エホバへの従順を示すことです。そのエホバは,「あらゆる家族が」,「その名と」,健康と将来の見込みを負う方なのです。―エフェソス 3:15。

■ 「神の言葉はあなた方から出たとでもいうのでしょうか。あるいは,それはただあなた方のところにだけ達したとでもいうのでしょうか」というコリント第一 14章36節のパウロの言葉には,どんな意味がありますか。

基本的に言えば,使徒パウロは,会衆内で物事を行なう際に新しい方法を作ってはいけないことを理解するよう,コリントの人々を助けたいと願っていました。この聖句の前のところでパウロが書いていることから分かるように,この助言は適切なものでした。

キリスト教の揺らん期に,神は預言や異言といった奇跡的な霊の賜物をお与えになりました。(コリント第一 12:4-11)コリントのある人々はそうした賜物を得ていましたが,混乱を生じさせるような仕方でそれを用いていました。例えば,奇跡的な翻訳の賜物を持つ人がいない所で異言を語ったりしました。パウロはこのように論じました。「普通の人の座席に着いている人は,あなたが何を言っているのか分からないのですから,あなたのささげる感謝にどうしてアーメンと言えるでしょうか」。そこにいる不信者は,異言を語る人々は気が違っているとさえ考えるかもしれません。―コリント第一 14:13-16,22,23。

さらに,幾人もの人々が同時に語ったため,混乱が生じていました。「だれかが異言を話すのであれば,多くても二人か三人に限り,順番に話しなさい」とパウロは勧めています。同様に,預言をするよう霊に動かされる人々も,限られた方法で,「一人ずつ」そのようにすべきでした。このことは,神が平和の神であられ,無秩序の神ではないということと一致しました。―コリント第一 14:27-33。

集会で婦人が話すという問題もあったようです。これは,質問に答えたり経験を語ったりする以上のことを指しているに違いありません。ある婦人たちは,教師として振る舞おうとし,集会で兄弟たちと議論していたようです。それは頭の権の原則と調和しないことでした。―コリント第一 14:34,35。

それでパウロは,「神の言葉があなた方から出たとでもいうのでしょうか。あるいは,それはただあなた方のところにだけ達したとでもいうのでしょうか」と書きました。(コリント第一 14:36)そうです,パウロは,コリント人の会衆が最初の会衆ではなく,「神の言葉」は彼らだけに宣明されたのではないということをコリント人に思い出させようとしたのです。それで,彼らが他のすべての会衆とはなはだしく異なった方法で問題を扱うのは間違ったことでした。クリスチャン会衆にとっては異質な,また平和と頭の権に関する原則に反する新しい事柄を持ち込む権利は彼らになかったのです。

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