卒業して,より高い任命地へ
世界各地に多くの友人を持つマックスウェル・G・フレンドは1983年2月10日,92歳で亡くなりました。1890年12月7日に,オーストリアでユダヤ人を両親として生まれ,元の名前をマックス・フレシェルと言いました。ユダヤ正教の教育を受けましたが,後にスイス人のエホバの証人と聖書を研究するようになりました。そして遂に,1913年5月9日にバプテスマを受け,油そそがれたイスラエル人のクリスチャンとなりました。1914年にドイツのベテルで奉仕するようになり,後に,イルマと結婚してからは,二人でベルンにあったスイス支部で奉仕しました。1926年,二人はブルックリンのベテルへ移されました。その後フレシェル兄弟は,名前をマックスウェル・G・フレンドに改めました。a
米国では,翻訳者,旅行する講演者,WBBR放送局の聖書劇の監督として奉仕しました。1943年には,ニューヨーク州サウスランシングのものみの塔ギレアデ聖書学校の創立時の教訓者の一人となりました。フレンドは,17年間に34のクラスで教え,宣教者となって巣立っていった3,600人を上回る学生たちから慕われました。フレンドが担当したのは,公開講演と聖書研究の二つの学科です。晩年は,大会で上演された多くの聖書劇の声優としてその声が大勢の人々によく知られるようになりました。フレンドは,いつの日か「卒業して」より高い任命地へ行き,天の王国でキリストと共になることについて度々語っていました。―啓示 14:13。
[脚注]
a その自伝は,「ものみの塔」誌1967年9月1日号の538-543ページに載せられています。