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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
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クリスチャンは証しをしなければならない

ここ数年間,教会の指導者たちは,クリスチャンの証しの必要を盛んに強調してきました。それは当然のことです。ギリシャ語マルテュスを語源とする「証し」という語とその派生語は,ジェームズ王欽定訳のクリスチャン・ギリシャ語聖書(「新約聖書」)に47回も出ているからです。では,キリスト教世界から出された声明を幾つか調べてみましょう。

1984年4月30日付のオッセルバトーレ・ロマノ紙(週一度の英語版)は法王ヨハネ・パウロ2世の言葉として次の言葉を引用しています。「前の法王パウロ6世が強調した通り,証しは『福音伝道の不可欠な要素であり,一般に第一のものである』。(エバンジェリ・ヌンティアンディ,n.21)人々が方向を見失い価値観が失われて危機が形成されつつあり,その危機が文明に臨む総体的危機であることがいよいよ明白になっているこの時代において,それは特に急を要する事柄である」。これより1年前にも同紙は,「労働界にキリスト教の証しが必要」という見出しで,法王との会見に関する記事を載せました。

このようにローマ・カトリック教会は証しの必要を強調しています。ではプロテスタントのスポークスマンは証しの重要性について何と言っているでしょうか。

世界教会協議会 ― 現在の加盟団体は301団体 ― は,1983年7月24日から8月10日までバンクーバーで第6回総会を開き,後ほど「インターナショナル・レビュー・オブ・ミッション」を発行(1983年10月)しました。これには「分裂した世界における証し」と題する36ページの記事が載せられています。この記事の「すべてのクリスチャンは証しをするために召されている」という副見出しのところでは,率直にこう述べられています。「証しを務めとして証しの業を行なうことは,クリスチャンにとっては神にこたえ応ずることであり,神に対する忠誠の表明である。……証しは神の命令によるものである。我々は創造者であり命の授与者である神の至上性と愛について証しする」。

バプテスト派の神学雑誌,「レビュー・アンド・エクスポジター」は同様の点を強調し次のように述べています。「使徒行伝をよく調べてみると,クリスチャンたちが証しの業を行なったからこそ新しい信者たちが教会に加えられたことが分かる。もし新しい改宗者たちが入って来ないようなら,クリスチャンたちはおそらく証しの業を行なっていない」。

キリスト教世界の諸分派は,イデオロギーや教理については手の施しようがないほど分裂していますが,証しの必要については意見が一致しているようです。しかし,それらの派の教会員は,証しをする責任を果たしているでしょうか。

このことに関して,英国はオックスフォードの聖アルゲート教会の司祭ミカエル・グリーンは次のように書いています。「信仰の面での我々の先祖は,人々に伝えたイエスに関する良いたよりで『天下をかき回してきた』と非難された。(使徒 17:6)……初期教会と我々との大きな違いはそこにある。初期教会ではすべての男女が,自分に可能なあらゆる手段を用いてイエス・キリストについて証しすることを自らの務めと心得ていた」。

バプテスト派の小冊子,「今日の世界における証し」には,「ある献身したクリスチャンは,『ほかの人に証しをしようとしてもどこから始めていいか分からない』と言うだろう」と書かれています。そしてさらに,「証しのことについて話すと,バプテスト教会の教会員の多くはすぐに,『わたしたちは牧師にそれをしてもらうために給料を支払っている』という反応を示す」と述べられています。

またウェストミンスター寺院の出版物「伝達者としてのクリスチャン」は次のように告白しています。「クリスチャンたちは言うべきことをあまり持たないので,ただそれだけの理由で,福音を伝える責任が無視されている可能性は大いにある」。

キリスト教世界の諸派の教会員が「言うべきことをあまり持たない」のは事実です。彼らの抱える問題の最重要点はそこにあります。彼らはイエスが王国の栄光の中におけるご自身の「臨在」と「事物の体制の終結」とに関してお与えになった「しるし」が今日成就していることを認めていません。その「しるし」を見る人々は,それについて証しをしないではいられないのです。真のクリスチャンは今日言うべきことをたくさん持っているのでほんとうに幸福です。真のクリスチャンはキリスト・イエスによる来たるべきエホバの王国について熱心に証しをしています。―マタイ 24:3-14。イザヤ 43:12。

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