幸福な国民
国民が本当に自分たちの神としてエホバに従い,その律法を守るなら,幸福がその国民もしくは民全体の分け前となり得ます。(詩編 33:12; 144:15)ダビデの義にかなった統治が終わり,ソロモン王がエホバの律法に従っていた期間中,イスラエル国民は安全と幸福を享受し,「おびただしさの点で海辺にある砂粒のように多くて,食べたり飲んだりして,歓んで」いました。(列王第一 4:20,25; 10:8。歴代第二 9:7)このことは,義の支配が国民に及ぼす影響を示しています。(箴言 29:2,18と比較してください。)自分たちはアブラハムとヤコブの肉的な子孫であるゆえに,『エホバをその神とする幸福な国民』であると考えていた国家主義的なユダヤ人たちに対して,イエス・キリストは国民としての幸福を得るための要求を明らかにされました。(詩編 33:12)イエスは,神の王国が彼らから取られ,「その実を生み出す国民に与えられる」と彼らにはっきり言われました。(マタイ 21:43)後日,使徒ペテロは,「国民」という言葉をキリストと結ばれた霊的な者たちに適用して,「あなた方は,『選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民』であり,それは,闇からご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださった方の『卓越性を広く宣明するため』なのです」と語りました。―ペテロ第一 2:9。