恐れはどんな場合でも有害ですか
それは幸福を損ない,希望を失わせる場合があります。それは精神的な害毒,理性を失わせるものと呼ばれてきました。また,最も悪質な身体的疾患よりも破壊的であると言われています。確かに,恐れは強力な感情です。しかし,どんな場合でも有害なのでしょうか。
知らない道を車で走っている自分を想像してみてください。道は山道となり,くねくねと曲がり始めます。夕闇が迫り,雪もちらついてきました。車は多少横滑りします。そのうちに小高い場所に差しかかりました。道は凍結しかけています。
さあ,こうなると用心深くしなければなりません。カーブを曲がる時は慎重に運転しながら,とかく滑りやすい路面では車を思うように操作できなくなり,谷底に転落しかねないことを思い出します。しかも暗がりに他のどんな危険が待ち受けているか全く分かりません。そうしたことを考えていると,口は乾き,心臓も少しどきどきしてきます。目はさえてきました。これまで何を考えていたとしても,今は,道から外れないように,事故を起こさないようにするという当面の急務に一心不乱に取り組んでいます。
ようやく幾分低い所まで下ってきました。街の明かりが見えますし,道にはもう氷もありません。体の緊張は次第に解けてゆきます。気分は楽になり,ほっとします。あの恐ろしさはすっかり消えてなくなりました。
では,恐れは全く無用だったのでしょうか。いいえ,そうは言えません。そのような状況下で,ある程度神経質になるのは正常な反応です。そのおかげで慎重に,用心深くなるのです。健全な恐れを抱いていれば,向こう見ずな,身に害を招くようなことをせずにすみます。確かに,恐れは必ずしも理性を失わせたり,精神的な害毒になったりするわけではありません。状況によっては,益となるのです。
聖書は恐れについて述べており,2種類の恐れに注意を促しています。一方の恐れは確かに精神的な害毒ですが,もう一方の恐れは正常かつ健全であるばかりか,わたしたちの救いにとって必要不可欠なものです。2種類の恐れとは何のことでしょうか。一方を避けながら,どのようにもう一方を培うようになれるでしょうか。次の記事ではそうした点が取り上げられます。