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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
塔92 2/15 31ページ

誉れを受けるに値するのはだれですか

「誉れ」を意味する主要なヘブライ語はカーボードで,これは文字通りには「重いこと」という意味です。(サムエル第一 4:18,およびサムエル第二 14:26に出ている同族語の用法と比較。)ですから,敬われている人は,重きをなしている人,あるいはひとかどの人物とみなされます。ギリシャ語ではティメーという名詞が,「誉れ」,「敬意」,「価値」,「貴さ」といった意味を持っています。ですから,動詞のティマオーには『値を定める』という意味もあり(マタイ 27:9),名詞のティメーは「代価」や「代金」という意味を持つ場合があり(マタイ 27:6。使徒 4:34),形容詞のティミオスには「重んじられる」,「惜しい,もしくは貴重な」,『宝の,もしくは貴い』などの意味があります。―使徒 5:34; 20:24。コリント第一 3:12。

エホバ神とみ子 エホバ神は創造者としての資格,およびその主権のゆえに,誉れ,畏敬の念に満ちた敬意,もしくは尊敬を受けるにふさわしい方です。(テモテ第一 1:17。ヘブライ 3:3,4。啓示 4:9-11)人々は,み子が常に行なわれたように神の目に喜ばれることを行なって,そのような誉れを神に帰します。(ヨハネ 8:29,49)律法契約が有効だった間,イスラエル人は自分の持っている最善のものを犠牲としてささげることによりエホバを敬うことができました。―箴言 3:9。マラキ 1:6-8。

単に外面的な崇拝の方式を形式的に守るだけでは,全能者を本当に敬っていることにはなりません。本当に敬うには,エホバの道に対する真の愛や神のご意志を行ないたいという心からの願いもなければなりません。イエスが地上で宣教に携わっていた時代のユダヤ教の宗教指導者たちには,そのようなものが欠けていました。―マルコ 7:6。イザヤ 29:13。

イエス・キリストは,ご自分の命を犠牲としてなげうつほどに完ぺきな仕方で神のご意志を行ない,み父を敬う点で完全な模範を残されました。(マタイ 26:39。ヨハネ 10:17,18)イエスが喜んでみ父のご意志を行なわれたゆえに,み父はイエスをご自分の愛する,是認された子として認めることにより,イエスを尊ばれました。(ペテロ第二 1:17。マタイ 17:5)イエスが地上におけるご自分の歩みを終えられた後,神はイエスが人間となる以前に持っていたものよりもはるかに大きな誉れと威光をみ子にお授けになりました。(フィリピ 2:9-11)イエス・キリストの事例は,至高者がご自分を敬う人々を皆,ご自分の是認した僕として認め,大いに祝福して,いかに尊ばれるかということを例証するものとなっています。―サムエル第一 2:30。

み子を大いに高められたのはエホバ神ですから,イエス・キリストを不滅の,王の王,主の主と認めようとしない者は皆,み父を辱めていることになります。み子はご自分の身分とご自分が成し遂げられたことのゆえに,誉れと忠節な支持を受けるにふさわしい方です。(ヨハネ 5:23。テモテ第一 6:15,16。啓示 5:11-13)み子から是認された弟子として尊ばれたいと願う人は皆,み子の模範に見倣い,み子の教えに忠実に付き従わなければなりません。―ローマ 2:7,10。

敬われるべき他の人たち エホバ神とみ子は最大の誉れを受けるに値する方ですが,ほかにも誉れを与えたり与えられたりすることが必要な人間同士の関係があります。子供たちは従順であることによって親を敬わなければなりません。(申命記 5:16。エフェソス 6:1,2)大人になっている人たちも,自分の親が困窮するような場合,進んでその事態に対応して物質面で援助することにより,親に敬意を示すことができます。(マタイ 15:4-6。テモテ第一 5:3,4)夫は妻を愛のこもった品位のある接し方によって尊ぶ一方,妻は夫に服して深い敬意を示すなら,夫を敬うことになります。(ペテロ第一 3:1-7)教えることに骨折っていた長老たちには「二倍の誉れ」を与えなければなりませんでしたし,それには物質面で援助することも含まれていたであろうと思われます。(テモテ第一 5:17,18)クリスチャンの奴隷たちは,自分に割り当てられた仕事を謹んで果たすことにより,自分の主人を敬わなければなりませんでした。(テモテ第一 6:1,2)支配者や他の権威ある人たちには,その立場のゆえに当然の誉れを与える,すなわち敬意を示すべきです。(ローマ 13:7)どんな人も,身分にはかかわりなく,神の創造物として,誉れを受けるに値します。―ペテロ第一 2:17。

クリスチャンは仲間の信者を敬うことに率先すべきです。(ローマ 12:10)それには自分の益ではなく,他の人の益を求めることが関係しています。(コリント第一 10:24)他の人の益を求めるためには,卑しい仕事でも喜んで行なわなければなりません。(ルカ 22:26。ヨハネ 13:12-17)神にとってはどの信者も尊いこと,またクリスチャンは人体の各部が互いに依存し合っているのと同様,互いに必要であることを忘れないようにすれば,その立派な精神を保てます。―コリント第一 12:14-27。

クリスチャンは栄光を求める者ではありませんが,エホバ神とみ子のみ前で誉れある立場を保つことに正当な関心を抱いています。誉れある立場を保つには,人を堕落させる交わりを避けるようにすること,また罪深い肉の欲に抵抗することが必要です。人は道徳的,また霊的に清い状態を保って初めて,神に用いられる,誉れある器としてとどまることができます。(テサロニケ第一 4:3-8。テモテ第二 2:20-22。ヘブライ 13:4)そうすることにこそ真の誉れがあるのです。

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