積極的な人
去る1995年2月5日に,桃原真一兄弟は,全時間奉仕者として52年以上エホバに仕えた後に,79歳でその一生を閉じました。同兄弟は,3か月の集中的な聖書研究の後,1942年4月19日にバプテスマを受け,ほどなくして1942年6月1日に全時間宣教の生活に入りました。そして1949年からは,妻と3人の幼い子供たちを伴い,ハワイでの安楽な生活を後にして,戦後の廃墟と化した日本での宣教者奉仕をとらえました。
それ以来,桃原兄弟は日本にいた一握りの伝道者がほぼ20万人にまでなるのを目にしました。大阪・仙台・函館・札幌の各宣教者の家で奉仕し,札幌では北海道全島の巡回監督としても仕えました。その後,1965年に,沖縄に支部を開設するよう割り当てられ,その地で支部の監督,また後には支部の調整者として奉仕しました。ここ数年間は,東京三田の宣教者の家で奉仕していました。
同兄弟の葬儀に出席した人々は,エホバのために力を尽くして励む面での兄弟の積極的で,楽観的な態度の立派な模範に見倣うよう励まされました。晩年に,桃原兄弟の視力が落ちて,会衆や大会で話をするのが難しくなりましたが,それでも目の見えないことを言い訳にして同兄弟が割り当てを断わることは決してありませんでした。割り当てはエホバから来るのだから,神が割り当てを与えてくださるのならそれを果たせるはずだ,という態度をいつも抱いていたのです。視力が落ちてからも,小さなテープレコーダーを使って,力強い話をすることができました。―「ものみの塔」誌,1992年11月1日号に載せられた桃原兄弟の手記をご覧ください。
地上のパラダイスについて話すとき,同兄弟の目は輝き,そこでの生活がどんなものになるのかをうれしそうに描写していました。葬儀に出席した人々すべては,楽園の希望をしっかりと見据え,近い将来,桃原兄弟が地上に復活して来るときに同兄弟を迎えるよう励まされました。―ヨハネ 5:28,29。コリント第二 4:18。