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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1999
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生きることを愛していますか

「光を見せてほしい」。イタリアの詩人ジャコモ・レオパルディは死を前にして,付き添っていた人たちにそう言ったと伝えられています。これは,光で表わされている命に対する人間の並々ならぬ愛着をうかがわせる言葉です。

生きることに対して愛着を抱くのは自然の衝動で,大切なことです。人はふつう,その衝動に促されて危険を避け,出来る限りのことをして生き続けようとします。この点で人間は,強い生存本能を持つ動物と大差がありません。

しかし,ただ生きるだけでなく,愛するに値する命とは,いったいどんな命でしょうか。それは,単に呼吸して動く生理学的な存在としての生命ではありません。また,総合的な満足感は,得られるだけ得ようとする態度からもたらされるものでもありません。「ただ食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから」というエピクロス派の哲学は,ほとんどの場合,人に満足をもたらしませんでした。(コリント第一 15:32)確かに,人間には物質面で基本的に必要なものがたくさんあります。しかし,文化的,社会的な関心事もありますし,もちろん,至高者に対する信仰に関係した霊的な必要もあります。残念なことに世界の多くの地域では,悲惨な社会状況や劣悪な環境のためにただかろうじて生きている人が,何十億ではないにしても,何億もいます。おもに自分の身体的な必要を満たすこと ― 食べること,飲むこと,物を所有すること,性的な欲望を満たすこと ― しか考えない人は,多かれ少なかれ動物的な生活を送ることになり,そこからは十分な満足を得ることができません。実際のところそうした人々は,生きているからこそ使えるもっと有意義な資産を活用できず,人間としての知的感情的能力を十分に発揮し損なっています。さらに,利己的な欲望を満たすことだけを求める人たちは,生きることから得られる最善のものを得られないだけでなく,自分が生きている社会を損ない,他の人の益に寄与することもありません。

少年犯罪を扱っている一判事はこの点を裏づけて,「価値観の危機,好ましくない手本となっている人物を褒めそやすこと,手っ取り早い方法による成功」は「過度の競争心を助長」しやすい,と述べています。それが結局,社会を損ない,若者にとって破滅的な ― 麻薬に走る場合は特に ― 行動の要因になるのです。

ご存じのとおり,生きているゆえに得られる楽しみは数多くあります。魅力的な場所での休暇,興味深い読書や研究,仲間との楽しい交わり,美しい音楽などです。ほかにも,大小さまざまな満足をもたらす活動があります。神に深い信仰を持つ人,とりわけ聖書の神エホバに信仰を持つ人たちには,生きることを愛すべきさらに多くの理由があります。真の信仰があれば力がわき,平静でいられるので,困難な時期を乗り切ることができます。真の神を信じる人たちは確信を込めて,「エホバはわたしの助け主,わたしは恐れない」と言うことができます。(ヘブライ 13:6)神の愛をよく知るようになった人たちは,神に愛されていることを実感します。そして,その愛にこたえ応じ,深い喜びを得ます。(ヨハネ第一 4:7,8,16)その人たちは,満足をもたらす活動的で利他的な生活を送ることができます。まさにイエスが言われたとおり,「受けるより与えるほうが幸福」なのです。―使徒 20:35。

残念なことに,現在の生活には別の面もあります。広く存在する苦しみ,不公正,貧困,病気,死などです。これらは,生きることをしばしば耐え難いものにするつらい事柄の一部にすぎません。古代イスラエル国家の裕福で力のあった賢王ソロモンは,人の楽しみとなるものに何一つ不足していませんでした。それでも,ソロモンには悩みがありました。「知恵と知識と熟練」とをもって行なった「骨折り」によって自分のために生み出したすべてのものを,死後だれかに残してゆかなければならないことを知って悩んでいたのです。―伝道の書 2:17-21。

人は大抵ソロモンのように,命のはかなさに気づいています。命はあまりにも早く消え去ります。聖書は,神が『わたしたちの思いに永遠を置かれた』と述べています。(伝道の書 3:11,バイイングトン訳)この永遠性の感覚があるので,人は命のはかなさをしみじみと考えるのです。生と死の意味について納得のいく答えを見いださなければ,悲観的でむなしい感情に悩まされるようになるかもしれません。そうなれば,人生は悲しいものとなるでしょう。

人が抱く苦悩に満ちた疑問の答えはあるのでしょうか。生きることがもっと魅力的で永続的なものとなることはあるのでしょうか。

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